数年前の煎茶稽古の際に掛けられていたお軸である。懐かしの写真の一枚として目に留まった。
雄大さの中に男の激しい生きざまを文字に表現しているように見えたので印象に残っている。
稽古ではいつもの通り、この詩の文字数は、というところから始まった。そしてこの中で読める字があるか?という問いになかなか明確に答えられない。わかった文字から想像し、何を意図した詩なのかを連想し進んでゆく。
ひと通り読み終わ宗匠からの解説によると、中国の明大の時代に生きた王陽明の「泛海(ぼうかい/海に泛(う)かぶ)」という詩であることわかった。王陽明が、書いた当時の自身の心情を表現した詩である。想像の世界と現実の状況を混在した不思議な詩だと宗匠はいう。
その内容は以下のとおり。
「泛海」
險夷原不滞胸中
何異浮雲過太空
夜静海濤三萬里
月明飛錫下天風
「海に泛(うか)ぶ」
險夷(けんい) 原(もと) 胸中に滞(とどま)らず
何ぞ異ならん 浮雲の太空(たいくう)を過(す)ぐるに
夜は静かなり 海濤(かいとう)三万里
月明(げつめい)に錫(しゃく)を飛ばして天風を下る
逆境であれ順境であれ、それらに心を煩わせることなどない。
それらは、あたかも浮雲が空を通り過ぎるようなものなのだから。
静かな夜の大海原を、月明かりに乗じて錫杖を手にした道士が天風を御しながら飛来する、まるでそんな広大無碍な心境である。
目的地に飛んでいった僧侶のように、わたしも目的地を目指したい。
といった内容である。
王陽明は官僚であり、そして陸軍大将として戦いを指揮してきた。その道中、苦難も経験し、後に「陽明学」という思想を生んだ人物である。その王陽明はこよなく茶に傾倒したと言われている。
宗匠曰く、煎茶は隠棲した文人の趣向にあるが、激動騒乱の中で心の平穏を保つ欠かせないものだったようである。
この書は、陽明学者で思想家の「安岡正篤」氏が、一茶庵でしたためた直筆書。