ライブ インテリジェンス アカデミー(LIA)

日本の伝統文化の情報を国内外に配信していくための団体です。 その活動を通じ世界の人々と繋がっていく為の広報サービスです。

一枚の版画から世界遺産の大仏教伽藍「莫高窟」が見えてきた 【HOTOKEストーリーⅢ】

2024-09-23 15:35:16 | 中国歴史文化

先日、即成院を訪ねた際に、阿弥陀如来と二十五菩薩が安置されている仏殿の横に立ててあった衝立屏風に張られてあった版画の仏画が目に入った。

仏画の横に「敦煌莫高窟57窟菩薩」と書かれてあった。これは、中国・敦煌の世界遺産の莫高窟(ばっこうくつ)の壁画の菩薩像の版画で屏風に貼り付けたものであろう。残念ながら詳細は確認できてないので定かではないが、画としては莫高窟のものである。

 

以前、NHKで東京藝術大学の調査チームが現地で詳しい歴史情報などの収集や、その詳細を調査しているという番組をみた。この「莫高窟」がある中国西部にある甘粛省敦煌市は、かつてシルクロードの中継都市として文明の交差路であった場所であったことはよく知られている。その敦煌から南東約25kmのところにあるのが仏教美術の宝庫である莫高窟である。色彩に乏しい砂漠の中で極彩色を放つ大仏教伽藍として有名である。

 

莫高窟は、西暦366年、楽僔(らくそん)という一人の仏教僧が石窟を掘って修行の地にしようと彫り始めたのが最初で、その後1000年にも渡り元の時代まで彫り続けられた世界でも最も規模の大きい仏教石窟寺院である。現在は南北1,700メートルにわたって続く石窟の南区域が仏像を礼拝する場に、また北区域は僧侶が生活する場と分かれている。700以上もの石窟が鳴沙山(めいささん)の東の断崖に総面積4万5000平方メートルに渡って壁画が続き、2000ヶ所以上の仏塑像が点在している。

 

写真にある9層の赤い木造楼閣を持つ第96窟の現在の姿は1928年から1935年にかけて造られたもの。下から7層目までは庇(ひさし)で、上に乗った2層は屋根のようなデザインになっている。石窟は695年の唐の時代に敬虔な仏教信者であったといわれる則天武后によって造営された。石窟内には莫高窟最大の高さ約33メートルの弥勒菩薩が安置されている。

 

即成院でみた衝立屏風の版画には57窟菩薩とあるが、57窟の北壁の菩薩によく似ているが、いずれにしても一枚の貴重な版画から世界遺産の大仏教伽藍に話を広げてくれた。

仏画を楽しむものには、この大仏教伽藍の美しさとともにロマンをかき立てられる。建設期間が1000年にもわたって続いた貴重な世界遺産は実際にみてみたいものである。

 

 

 

莫高窟57窟菩薩と書かれた即成院の屏風の版画

 

 

 

莫高窟57窟菩薩壁画

 

 

 

莫高窟57窟仏塑像

 

 

 

1928年から1935年にかけて造られた9層の赤い木造楼閣を持つ第96窟

 

文/ 渡邉雄二

参考文献/ 世界遺産莫高窟 ウィキペディアなど

写真/  莫高窟ウィキペディア写真より転載

 

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三教図をはじめ三酸図、三笑図の微笑ましい表情が魅力的

2023-10-03 20:33:57 | 中国歴史文化

水墨画の人物で描かれている中に「三教図」という画がある。儒教、仏教、道教の三教の尊者が並んでいる画である。中国では、三教が根本において一致するという思想からこのような画が生まれ、一幅に儒教の孔子、仏教の釈尊、道教の老子の三人勢揃いで描かれている。前に孔子、その斜め右後ろに老子を描き、両者の間から顔だけをだす釈尊。

 

日本でも室町時代の水墨画に例が多い。その中でも建仁寺 両足院に所属(写真)されている伝如拙筆のものが著名。道釈画なので達磨さん風に描かれているのが、ちょっと微笑ましい。

また、三教図と同じように、三酸図(さんさんず)や三笑図(さんしょうず)という図がある。三酸図は、詩人である道教の黄庭堅(こうていけん)や儒教の蘇東坡(そとうば)が金山寺の仏印禅師をたずねたとき、桃花酸という酢をなめ、三人とも眉をひそめたという故事に基づいて描かれたもの。この画も三教の一致ということから老子、孔子、釈尊として描くこともある。釈尊ではなく達磨が描かれる場合もある。

 

三笑図は、三酸図と同じく中国の故事に基づいてつけられたものである。晋の慧遠(えおん)法師が廬山にいた時、訪ねてきた詩人で儒学者の陶淵明(とうえんめい)、道士の陸修静(りくしゅうせい)を送りながら話に夢中になり、日頃渡る虎渓を過ぎてしまい、虎の声に初めて気がつき三人で大笑いしたという故事から描かれた画である。

すべての図に共通して言えることは、人物がユニークに表現されている。墨の線で表現されるといっそう想像がふくらみ微笑ましく映るから不思議だ。

 

 

三教図

 

 

三酸図

 

 

三笑図

 

 

リポート/ 渡邉雄二

 

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四君主の一つ「蘭」は 高潔な花として今も

2023-05-02 11:16:22 | 中国歴史文化

水墨画で蘭が描かれているのをよく見る。

中国では花を君子と呼ぶことがあり、昔から四君子と呼ばれる花がある。

「蘭」「菊」「梅」「竹」。

この4つの花を文人・詩人に例えて表現する場合が多々ある。
蘭は「屈原(くつげん)」、菊は「陶淵明(とうえんめい)」、梅は「林和靖(りんなせい)」、竹は「蘇東坡(そとうば)」と言われている。それぞれ中国の歴史上有名な詩人である。

描かれている蘭を見ていると遥か悠久の時代まで巻き戻し想像を膨らませると、戦国時代の楚の政治家で詩人として名を馳せた「屈原」の話につながる。屈原といえば「離騒(りそう)」が代表作である。この詩は楚地方で謡われ「楚辞(そじ)」という様式(詩集)を代表する有名な詩である。南方の「楚辞」に対して北方は中国最古の詩篇とされる「詩経(しきょう)」、共に中国の後代の漢詩の源流になったとされるものである。

 

 

 

楚辞の代表的な長編詩である離騒では、屈原がありもしない事で追放され、失意のあまり投身を決意するまでの心境を夢幻的に謡った詩である。その一節が・・・

朝飮木蘭之墜露兮 夕餐秋菊之落英
苟余情其信以練要兮 長頷亦何傷

「朝に木蘭(もくれん)から落ちる露を飲み、夕べには香しい秋菊の花びらを食事としてとる」。そして「私は、ただ主上と国のために仕えて来たし、ただ国を守りたいがために身も心も高潔に修養を積んだのにどうして分かってくれないのか」という清らかな心情を表している。

屈原は心情を表現する場合、「蘭」や「菊」などの花で描写することがよくある。とくに「蘭」は精神性の高い高貴な花として頻繁に詩に登場している。紀元前の話がいまも脈々と流れつながっている。墨画に讃(漢詩)を添え屈原に倣ってその時の心情を表現するのに四君子はよき題材となっている。

 

 

  

 

 

リポート/ 渡邉雄二

蘭の画/ フリーネット画像より引用

 

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一枝の柳、旅立ちへの餞(鼻向け)

2023-04-03 11:07:55 | 中国歴史文化

4月は「旅立ち」のシーズン。
親元から巣立っていく子供、苦楽をともにした友人との別れ、

恋人との別れ、そして転勤。

この季節は、いろんな別れがあり旅立ちがある。

中国の故事に、旅立ちに際しよく使われるものに「柳」がある。

中国の古典によく出てくる柳といえば、

旅立ちの場面で近親者が別れの餞(はなむ)けに “達者で暮らせよ” と

柳を輪にして手渡す風習があったようだ。


ご存知のように、むかし服などを収納するのに

柳で編んだ行李(こうり)が使われた。

柳には殺菌効果があることから使われていたものである。

健康を気遣うことに加え、

柳(りゅう)と留(りゅう)の音通によって引き留める意を表す。

また、枝を環にするところから、帰省の意を表したとされる。

 

空海が唐から持ち帰った行李(こうり)の中に

そんな話がいっぱい詰まっていたのかも知れない。

 

 

 

 

リポート&写真/ 渡邉雄二

 

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「折楊柳」にふれて 

2023-04-02 11:40:14 | 中国歴史文化

 

 

春は、昔から新しい出会いに喜び、悲しい別れに沈む季節と言われる。
年を重ねると、そんなことで一喜一憂することが少なくなっている。というより、現実的な世界に馴染んでしまっているのかもしれない。一方、遠く離れた故郷を思う気持ちは一層膨らんでくるのは不思議なものである。

そんなときに中国古典の漢詩「折楊柳」などに触れると、故郷を思う気持ちが増幅される。とくに李白の有名な詩「春夜洛城聞笛」は沁みるものがある。

誰家玉笛暗飛聲

散入春風滿洛城
此夜曲中聞折柳

此夜曲中聞折柳
何人不起故園情

いったい誰だろう、暗闇の中を笛の音が響いてくる。
笛の音は春風の中に乱れ入り、洛陽の町中に広がる。
この夜、曲の中に「折柳」の調べを聴いた。
これを聴いて故郷を偲ばない者があろうか。

といった訳になる。
当時、李白が30代半ば、洛陽に半年ほど滞在した時の作とされる。
夜、洛陽の宿屋に泊まった李白が、部屋の天井をながめながら、俺の人生これからどうなるのか、と考えていたとき笛の音が聴こえてきた。
そのときにこの詩を書いたと言われている。
むかし中国では旅立つ人に柳の枝を折って送る習慣があったようだ。別れの悲しみを歌った「折楊柳」は、いつ日かまた元気で戻ってくるように、という願いを込めた詩である。その歌が、笛で奏でられていたので、故郷を遠く離れて、洛陽の地にいる李白も、
思わず涙ぐんだという。

そんな情感に浸ることは、いまの通常の暮らしの中であるだろうか。有り難いことに、たまに何かのキッカケで、中国の古典にふれイマジネーションの世界を楽しんでいる。

 

 

 

 

リポート&写真/ 渡邉雄二 カラー/ フリー画像より転載

 

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