ライブ インテリジェンス アカデミー(LIA)

日本の伝統文化の情報を国内外に配信していくための団体です。 その活動を通じ世界の人々と繋がっていく為の広報サービスです。

美麗な法華菩薩は文字絵の仏画

2021-05-31 11:32:30 | 文化想造塾「曼荼羅」

相国寺の方丈の室中の間には本尊として「観世音菩薩(法華観音)図」の掛け軸が掛けられてある。

美麗な法華菩薩が描かれている。入り口には菩薩のアップの写本の額装が掲出されてあった。

よく見ると、仏画の枠線すべてが文字で書かれている。

近くで見ても線にしか見えないくらい小さな文字で記されている。離れると一本の線にしか見えない。

 

 

こういう仏画を文字絵と称し、江戸時代の絵師加藤信清が得意とした技法の一つである。

この掛け軸は、その加藤信清が画いたものである。

伊藤若冲らと親交が深かった大典禅師がこの文字絵を気に入り画かせたものだと言われている。

 

ちなみに、仏画曼荼羅アートの神戸教室の生徒さんが以前、この文字絵にチャレンジされた。

素晴らしい作品を仕上げているので披ろうさせていただく。

 

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あだち幸さんの気概と誇り。友禅画「不動明王」が世界遺産仁和寺に奉納される

2021-05-30 14:33:10 | 絵画

密教特有の尊格である明王の一尊である不動明王は大日如来の化身とも言われている。

一般的な仏像は慈悲に溢れ優しい顔や姿をしたものが多いが、

不動明王は、悪を絶ち仏道に導くことで救済する役目を担っていることから恐ろしい表情をしている。

怖い様相から「闘士の仏」のように見えるが、

実際は迷いの世界から煩悩を断ち切るように導く仏で慈悲深いものである。

日本では「疫病退散の守護神」としても扱われているようだ。

 

 

その不動明王に、数年前から友禅画家のあだち幸さんが取り組んできた。

横4.8m、縦2.7mの巨大な「あだち幸不動明王」が完成し、6月28日に世界遺産である仁和寺に奉納される。

その式典が午前中金堂で執り行われ、合わせ400年前に制作された5大明王(不動明王も)が公開される。

400年前に制作された不動明王と令和の不動明王を合わせて観られるのは、実に仏画ファンにはたまらない。

 

 

ちなみに友禅画というのは、上質な絹地に染料を重ね、

胡粉(貝殻からできる白い顔料)でぼかしを入れる、あだち幸さんの独特の技法である。

京友禅の手法を基本にした日本画ということになる。

20以上の複雑な工程がある友禅染は分業制で成り立っているが、

あだち幸さんは「蒸し」「水洗い」以外は図案作成から彩色、仕上げまでの作業を一人で行う。

その集大成となる不動明王に友禅画家あだち幸さんの気概と誇りが乗り移っているようだ。

 

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「玉露珠茶」の極上の一滴。 【一茶庵稽古追想】

2021-05-28 14:03:13 | 文化想造塾「煎茶」

昨夜の煎茶稽古は、玉露3煎と雁ヶ音3煎に加えて、

初物「玉露珠茶(しゅちゃ)」なる茶葉を中茶法という淹れ方で賞味した。

いままでに聞いたことのない茶葉である。しかも中茶法なる淹れ方も初めてだった。

玉露、雁ヶ音の淹れ方は、沸いた湯を急須にとり、急須から茶碗に注ぎ分ける。

その急須に玉露をたっぷり入れ、そこに湯気が立たなくなった茶碗の湯を急須に注ぐ。

そのときにできるだけ茶葉にかからないように注ぎ込む。それから待つこと数分、急須から茶碗に注ぐ。

出てくるのは数摘。それを3煎繰り返し微妙に異なる芳醇な味を楽しんだ。

 



最後に出てきたのが「玉露珠茶」という茶葉。聞いたことのある人のほうが少ないかも知れない。

珠茶というのは中国茶、台湾茶の類に属する茶葉で、

製茶の最初の行程で酸化作用を抑えた殺青から乾燥工程まで、一気に釜炒りで仕上げるのが特徴の茶葉。

色は緑から白へ、そしてやがて、褐色に変わる。

火の影響で水分が抜けていくので、どんどん小さな粒のように固く締まっていく。

最終的には小石のような色と外観の茶葉になる。


見てのとおり(写真)、茶碗の三分の二ほどこの珠茶を入れる。

別の茶碗にとっておいたぬるい湯を、茶葉が入っている茶碗に少し注ぐ。茶葉は湯を吸い込む。

その吸った後の一滴を口にする。濃厚で苦味があるが極上の一滴である。

その一滴を味わうためのお茶である。味わった後の茶葉は一煎のみで捨てる。

 

ちなみに玉露(ぎょくろ)とは日本茶の一種。

製造法上の分類としては煎茶の一種であるが、栽培方法に特徴がある。

収穫の前(最低二週間程度)日光を遮る被覆を施される。

これによりテアニンなどのアミノ酸が増加し、逆にカテキン類(いわゆるタンニン)が減少する。

また、被覆により特徴的な香り(覆い香)が生ずる。

玉露は高級茶の一つであるが、今回試飲した「玉露珠茶」は、

玉露を珠茶製法でつくった比類なきお茶で大変珍しいものであるのは間違いない。

そのお茶を、玉露や雁ヶ音と併せ楽しませていただいた。煎茶ファン冥利につきる。

 

 

※この記事は、2013年3月の「心と体のなごみブログ」に掲載したものをリライトし転載

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中国茶は淹れる人の個性が色濃くでる 【伝統料理を楽しむⅤ】

2021-05-27 15:42:04 | 中国歴史文化

昨夜は、煎茶仲間のプロデュースで「中国茶会」が行われた。

その茶会をライブインテリジェンス交流会サロンの特別講座として共催させていただいた。

午後6時に始まり、会場を出たのが10時前。講座は3時間半近くに及んだ。

先生の喋り好きに輪をかけて、私たちの質問が膨らんだ。面白いトークタイムが1時間半も。

このトークタイムが実のある濃い内容だった。

 

今回登場いただいた先生は、香港の中國茶倶樂部「龜僊人窟」主人である池谷直人氏。

池谷氏は二十数年ジャーナリストとして香港に滞在。その傍ら中国茶を研究。

中國茶倶楽部を主宰しサロンを運営されていた。

その池谷氏の交流会トークは、香港を中心とした「茶の歴史」や「茶のシンジケート」、

さらには「茶のビジネス」から「茶のある暮らし」に至るまで話が弾んだ。

香港で生活し、中国茶とともに生活してきた方だけに、その言葉には説得力があった。

 

 

以前からくすぶっていた疑問をぶつけてみた。

中国から輸入される生産物には、とにかく防腐剤がやたら混入されているというイメージがあるが、

ということに対して、お茶は基本的にオーガニックである、という一言が返ってきた。

良質な茶葉は香りや味を大切にする嗜好品であるので、無農薬で有機栽培でされている。

そして昔の農家は農薬などを買うお金もなかったから質の高いものを生産する農家は

人力で丁寧に育て生産していたようだ、と。

昔は、台湾や中国本土で生産され、それを香港から世界に広げていくという仕組みがあった。

しかし、その後中国の経済成長の波にのり、本土の人達が投機目的でお茶を買い占めお茶が高騰した。

それが"お茶バブル"という現象に繋がっていった。

 

 

こんなお茶こぼれ話を聞きながら楽しみにしていたお茶タイムへ。

今回試飲させていただいたのが、下記の4種である。珍しいもの(高価)ばかりである。
杉林渓(台湾烏龍=青茶)※09年冬茶 
鳳凰蜜蘭香単叢(=青茶)※09年秋茶
福建省武夷山(=岩茶) 
プーアル(=黒茶)※1978年

 

一つ一つにコメントはようしないが、私でもお茶も香りのよさ、味の旨さがわかる。

いまの気候にあった、その時に使用する水にあわせ淹れ方を調整する、と先生はいう。

急須にいれる茶葉の量はほぼ決まっているが、見た感覚が何よりも大切という。

右脳でその量を見極める。そのためにはできるだけ左手を使う、という一風変わった淹れ方も披ろう。

すべて決め事はあるものの、自分の感性を大切にしている。そうすることによって淹れる人の個性が

お茶に出るというわけである。それが、池谷先生のお茶に対するマナー礼儀のようである。

中国茶の深さを理解するのも、また興味をもたせてくれるのもすべて「人」である。

この出会いも生涯の人財産として大切にしていきたいものである。

 

この記事は2010年4月の「心と体のなごみブログ」に掲載したものをリライトし転載

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畳にも日本の伝統技術の神髄が見える。<温山荘園追想>

2021-05-26 15:42:26 | 日本の伝統技術

先日、煎茶会の下見で和歌山県海南市にある、国の名勝「琴ノ浦温山荘園」を訪ねた。

この建造物は元々、ゴム製品をグローバルに展開するニッタ株式会社の

創業者、新田長次郎翁の別荘だったところ。

個人所有だったとはとても思えない1万8千坪の広大な庭園の中に主屋、茶室、浜座敷など

様々な建物が点在する。現在は公益財団法人が設立され管理されている。

 

 

それらの建造物や庭園は明治の終わり頃から大正初期にかけて建造、造園されたもので、

随所に日本の伝統的な技術、知恵が生かされた建築物やモノがたくさんある。

以前に紹介した浜屋敷の襖絵も貴重な文化財である。

その中で、写真にある「畳」もその一つ。過去に見たことがない畳の形状に驚いた。

通常の畳とは少し違う。まず幅が広い。そして中央部分が微妙に盛り上がっている。

一緒に視察した茶室や和建造物の手掛ける専門家によると、

畳の中央部が、い草が織りあい重りあって継がれているので少し盛り上がっているという。

これを「中継ぎ六配表(中継表)」の畳ということである。

「中継表」というのは、い草の軸の太い部分、つまり良い部分だけを使うため短いものになってしまう。

それを畳の両サイドから織り中央部で継いだものである。

畳は一般的なものが95㎝幅、四配といわれるものが101㎝、六配が106㎝。

温山荘の主屋には中継六配表という畳が敷かれてあった。

 


こういった畳が使われているのは、ほとんどが国宝や重要文化財に指定されている建造物。

温山荘は、最高の技術を駆使して造り上げられている大正初期の建物なので、細部にわたりこだわりがみえる。

畳も去ることながら、襖、障子、硝子の形状や材料なども粋を極めている。

今回は、興味を惹いた「畳」を少し調べてみた。

い草の産地として広島県備後地方のものが昔から最高級のものとして使われていたようだ。

中継ぎ六配表の畳は、昔は手織り機械でしか織ることができなかった。

手織りだと1日2、3枚しか織れない。今では手織り職人さんもいないという。

現在は備後地方の企業が「動力中継ぎ」の機械を独自で開発し、

日本国内の文化財等で使用される畳の生産や修復に役立っているという話を聞いた。

 

 

日本の伝統文化は、中国大陸から伝承されたものが多いが、畳、襖や障子は日本古来の独特のものである。

しかし、現在の生活空間にはそういうものがほとんど使われなくなっている。

こういう機会を得て、畳や障子、襖がある空間に身を置くと、なぜか身も心も落ち着く。

 

※この記事は、2016年9月「心と体のなごみブログ」に掲載したものをリライトし転載

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