京都国立博物館の風景
今日は京都に来ている。用事は午前中で終わり、お昼には国立博物館へ。
明日で会期終了の特別展覧会「国宝」を観に行ってきた。
なによりも東寺所蔵の「両界曼荼羅」を目の前で観ることができた。
その他の国宝等も圧巻。理解には乏しいが目の保養になった。
明日で会期終了の特別展覧会「国宝」を観に行ってきた。
なによりも東寺所蔵の「両界曼荼羅」を目の前で観ることができた。
その他の国宝等も圧巻。理解には乏しいが目の保養になった。
大阪 四天王寺の日本庭園にある和松庵から極楽池を臨む風景は方丈の中でもっとも美しい。
東には西洋建築様式の「八角亭」が見え、中央には湯屋方丈の家屋があり、庭園全体を「極楽浄土の庭」と称されている。
その「極楽浄土の庭」が、「厭離穢土 (おんりえど )の庭」に見えてくる。写真中央に、ハルカス彼方にノッポビルが霞んで見えているではないか。
これを借景とするなら極楽浄土の世界と厭離穢土の世界が混在しアンバランスに見える。
しかしながら、私の勝手な理屈を捏ねさせてもらうなら、現世の苦悩や欲を経て、修行したどり着く極楽浄土の地に例えられないだろうか。
個人的な偏見思考ではあるが、そういう景色に思えてくる。
東には西洋建築様式の「八角亭」が見え、中央には湯屋方丈の家屋があり、庭園全体を「極楽浄土の庭」と称されている。
その「極楽浄土の庭」が、「厭離穢土 (おんりえど )の庭」に見えてくる。写真中央に、ハルカス彼方にノッポビルが霞んで見えているではないか。
これを借景とするなら極楽浄土の世界と厭離穢土の世界が混在しアンバランスに見える。
しかしながら、私の勝手な理屈を捏ねさせてもらうなら、現世の苦悩や欲を経て、修行したどり着く極楽浄土の地に例えられないだろうか。
個人的な偏見思考ではあるが、そういう景色に思えてくる。
先日、煎茶会で訪れた四天王寺の本坊玄関の衝立には見事な松の画が描かれていた。
そして待合いの大広間の中庭には黒松だろうか、あるいは五葉松だろうか、それはそれは見事な松があった。
煎茶席で使った茶室が「和松庵」という。松下幸之助氏が寄贈されたものと聞いた。"松"づくしである。
さらに座談会が行われた「方丈」の床の間には、歴史を想像させる中国松の壁画が描かれていた。
四天王寺はなぜこんなに松との関わりが深いのか、という疑問が湧いた。
歴史的建造物や庭園には、松は不可欠な定木である。松は天に昇る龍をイメージさせる縁起樹であるのはいうまでもない。
それにしても"松"へのこだわりが強いような気がしたので少し調べみた。
今回、見逃したのだが、極楽門と西重門の間に「鎧かけ松」という有名な松の木がある。この松は、源義経がここ四天王寺に一宿をとったときに、ちょうどよい高さの松を見つけ、自分の鎧をかけた、という伝説が伝わりこの名称になったようだ。
この伝説が、四天王寺の松づくしと深い関係があるのかも知れぬ。これは、私の勝手な想像に過ぎないが、源義経所縁の松となれば、松づくしになるのも不思議ではない。
松を見れば、天に昇る龍の如し、の気分になれるのなら嬉しい限りである。
そして待合いの大広間の中庭には黒松だろうか、あるいは五葉松だろうか、それはそれは見事な松があった。
煎茶席で使った茶室が「和松庵」という。松下幸之助氏が寄贈されたものと聞いた。"松"づくしである。
さらに座談会が行われた「方丈」の床の間には、歴史を想像させる中国松の壁画が描かれていた。
四天王寺はなぜこんなに松との関わりが深いのか、という疑問が湧いた。
歴史的建造物や庭園には、松は不可欠な定木である。松は天に昇る龍をイメージさせる縁起樹であるのはいうまでもない。
それにしても"松"へのこだわりが強いような気がしたので少し調べみた。
今回、見逃したのだが、極楽門と西重門の間に「鎧かけ松」という有名な松の木がある。この松は、源義経がここ四天王寺に一宿をとったときに、ちょうどよい高さの松を見つけ、自分の鎧をかけた、という伝説が伝わりこの名称になったようだ。
この伝説が、四天王寺の松づくしと深い関係があるのかも知れぬ。これは、私の勝手な想像に過ぎないが、源義経所縁の松となれば、松づくしになるのも不思議ではない。
松を見れば、天に昇る龍の如し、の気分になれるのなら嬉しい限りである。