数日前から松の剪定をしている。
昨年はズボラをかまし松の剪定は持ち越したため、
伸び放題で玄関の門扉の上が鬱蒼としていた。
剪定ハサミでは切れない。
今回は秘策の道具をレンタル。
それは、電動ノコギリ。
お陰で切り過ぎ、ごらんの通り枝の山積み。
後片付けを考えると頭がいたい。
明日は葉を整えて後片付け。
翌日、やっと庭に積んでいた枝の整理がついた。
思った以上に時間と手間がかかり、大きなビニール袋が十数枚になった。
これで新しい年が迎えられそう。
令和2年もあと5日になった。
今年一年は、世界を震撼させている新型コロナウィルスが猛威を振るった年となった。
日本では感染者数の第3波が12月頃から押し寄せ、年末年始にかけてさらに感染者数の増えていく予測が出されている。終息のめどが立たない状況で新しい年を迎えることになった。素人ながら、ワクチン接種を受けられるようになって平静を取り戻していくのだろう、と希望的観測をしているが、果たしていかなる状況になっていくか。
そんな一年を過ごしてきたが、第1波のときに3カ月ほどお休みしただけで続けている「仏画曼荼羅アート教室」は、来年もいつも通り開講していく予定である。こんな状況下でも各教室とも続けられるのは、一人一人の新型コロナの予防に対しての意識や行動が高さと、それぞれの熱意に支えられての結果である。心より感謝申し上げたい。
さて、来年の1月開講スケジュールは、下記のとおりであるが、どの教室の皆様さまからも「描きたい」「書きたい」「写したい」という思いが伝わってくる。
仏様を描く、般若心経を写すことで得られる、人それぞれの心の平穏を感受されている。そして、心と頭をつかう想像力を楽しまれているからだろう。
私も、皆様と一緒に続けられることが何よりもかえがたい喜びである。合掌
■各地教室の2021年1月のスケジュール
- 1月9日(土) 箕面教室 (箕面市東生涯学習センター)
午後1時~3時 (通常開講は第2土曜日)
- 1月10日(日)明石教室 (明石市生涯学習センター)
午後2時~4時 (通常開講は第2日曜日)
- 1月16日(土)泉佐野教室 (泉佐野市生涯学習センター)
午後1時~3時 (通常開講は第1土曜日)
- 1月23日(土)神戸教室 (スタジオ・アズー)
午後1時~3時 (通常開講は第4土曜日)
※体験会は随時行っています。ご希望の方は下記の☎または✉でご連絡ください。
※体験会の参加費用は、一律1,000円(材料費込)
※自分の地域でも開講をご希望される方はご連絡をください。
※お問い合わせ並びにご予約は、
☎090-3658-7804 ✉ipc@wa2.so-net.ne.jp 「仏画曼荼羅アート事務局」渡邉まで
この一年間の各教室の皆さまの作品です。
街を歩いているといろんな光景に出くわす。
昨日、神戸三宮の路上片隅に腰をかけて一心不乱に絵筆を動かす人がいた。
遠目でどんな絵を描いているのかを覗き込むと、リアリティ溢れる細密画である。
題材はその方の前に広がるサンパルというショッピングセンターのビル。
タイミングを見計らい、声を掛けてみた。
直球質問になったが、この古ぼけたなんの変哲もないこのビルを?と。
「もうすぐ取り壊しになるんで」という返事が帰ってきた。
名刺代わりに出された一枚の絵画展の案内ハガキに、
神戸在住の画家、吉岡充さんという名前が書かれていた。
話を聞くと、吉岡さんの絵の題材がわかってきた。
「移りゆく風景を絵で後世に残したい」という。
20年近く県内各地を回り残したい風景を描いている。その作品集を出版されている。
茅葺の家や酒蔵、古い商店街など歴史や人々の営みが刻まれた建造物を鉛筆で繊細に記録。
柔らかな色合いで仕上げ、温もりのある一冊に。
街の移りゆく風景をてま暇かけて絵で記録していく。
しばらく吉岡さんを眺めていると、絵筆が弾むように動いている。
描く一瞬を楽しんでいるかのように見えた。
昨日、仏画曼荼羅アートの講座でこんなこと(写真)を皆さんと一緒にチャレンジした。
見てのとおり、梵字で書かれた「光明真言」というマントラ(真実の言葉)を墨で書く練習である。
先日、教室の皆さんと京都雲龍院にお邪魔したときに、書院に掛けられていたお軸にこの真言が書かれていた。気になっていたこの梵字の意味を調べてみると「光明真言」というマントラ(真言)であった。サンスクリット語の発音で唱える語句で、真言密教では神秘性を保つために梵字を翻訳せずに、そのまま梵音で読誦する。
それぞれの語句が、金剛界五仏(五智如来)を指すと解釈されている。その五仏の如来に対して光明を放つように祈願する真言である。短い真言を繰り返し唱えることで、祈願とともに己心を整え、そして読誦によって身体を整えることもできる。
好奇心によって新たな発見がある。知らないことを学ぶことで次へのステップが生じる。般若心経や仏画を写す際に、また一つ想像力の糧になるエネルギーをもらったような気がする。
シャッターを切り、ひとたびフレームに納まった表情や景色は、
時計の針と同じ速さで遠ざかりながら過去を語り続ける。
その写真を紐解いていくと、ときに未来へつながる光りとなる。
それは、その時々の小さな決意でシャッターを切っているから。
数々撮った写真を重ねめくっていくと、「読む写真」になっていく。
ただ一枚の絵が物語の一遍になっていく。
そして、今日の一枚、明日の一枚へ。