ライブ インテリジェンス アカデミー(LIA)

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曼陀羅制作は仏画曼荼羅アートの第一歩 胎蔵曼陀羅の中心部を制作

2022-01-30 17:07:26 | 文化想造塾「曼荼羅」

この図形はなんだろう。よく見ると蓮の花が広がり、それを上からみた形のように思える。そうなると、この図形を使い、制作されるものが何かはだいたいお分かりだと思う。そう、「胎蔵曼荼羅」の中心部で曼荼羅制作の第一歩になる図形である。

 

この図形(写真/61.6㎝×57.5㎝)といくつかの仏画を仏画曼荼羅アート教室の課題として提示した。この図形の中心に描かれるのが「大日如来」、そして周りの枠に8つの如来と菩薩が配置される。胎蔵曼陀羅の中央の「中台八葉院」といわれる部分である。胎蔵曼荼羅はこの中心部から放射線状に広がり、13の院に414仏尊が描かれている。その中心に座るのが大日如来で、密教の悟りを表している。

胎蔵曼陀羅の中心部 中台八葉院

 

曼陀羅について簡単に触れてみると、曼荼羅には「胎蔵曼陀羅」と「金剛界曼荼羅」があり、この二つが一対で「両界曼荼羅」といわれている。その一つである「胎蔵曼陀羅」の中心部をなす中台八葉院を制作する。

曼荼羅は、密教の悟りの境地である宇宙の真理を、仏や菩薩を配列した絵などで視覚化したものといわれている。胎蔵界を代表する経典が大日経で、金剛界を代表する経典が金剛頂経である。大日経は大日如来の説法についてまとめたもので、その真理、つまり悟りの世界について説いてあるもの。金剛頂経は大日如来の真理を体得して、悟りを開くための方法について説いてある。両界はふたつでひとつ。そのため両界曼荼羅として必ず対で掲げられる。

 

 胎蔵曼陀羅(東寺所有/ 国宝)

 金剛界曼陀羅(東寺所有/ 国宝)

 

今回の課題であるが、先ほど言った蓮の図形の他に、大日如来と宝幢如来(ほうどうにょらい)、開敷華王如来(かいふけおうにょらい)、無量寿如来(むりょうじゅにょらい)、天鼓雷音如来(てんくらいおんにょらい)の4如来と普賢菩薩、文殊師利菩薩、観自在菩薩、弥勒菩薩の4菩薩、計9尊仏を提供。配列(写真)も決められている。

中台八葉院の決められた仏画以外に、チャレンジする方々の独創性を期待しちょっと見慣れないインドなどで飾られる華やかな仏画も用意した。

両界曼陀羅図

胎蔵曼陀羅図

 

この仏画曼荼羅アート教室では、課題見本はあっても制作見本がない。課題をどのように自分のものにするかを楽しむ教室なので、描く人たちによってすべて異なる作品が生まれる。この曼荼羅へのチャレンジにしても基本を理解しながら、独創性のある曼荼羅作品を創ることを主眼に置いている。

さて、いかなる作品が生まれてくるのかが非常に楽しみである。今回は少し時間が要する課題なので、一人ひとりの制作過程を覗きながら私自身も楽しませていただこうと思っている。仏画曼荼羅アートの第一歩となれば嬉しい。

 

リポート&写真/ 渡邉雄二 参考/ 曼荼羅図典 Reported & Photos by Yuji Watanabe

 

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尾道伝説の始まり、千光寺の巨岩「玉の岩伝説」【大宝山千光寺伝説Ⅰ】

2022-01-28 14:20:43 | 尾道・文化紀行

 

日本遺産の町や地域には多くの歴史ストーリーや伝説ストーリーがある。瀬戸内海の地形にはそれぞれのストーリーが創出されやすい要因が多い。海や山、そして島々から成り立つ地域にはとくに神仏と融合する土壌や風習が培われている。どの時代の暮らしでも神仏は大きな存在として祈りの対象になってきた。

尾道では、暮らしの中に神仏が溶け込み共存共栄しながら伝承されてきている。その伝説の多い寺院の一つである「大宝山千光寺」をシリーズで紹介してみたい。その伝説の根源になっているが「巨岩」である。巨木や巨岩には神が宿るとよくいわれているので、千光寺に巨岩伝説が生まれたのであろう。

それは想像もつかない長い時間のなかで数々の出来事に関わってきたからだろう。それぞれの時代や人がかわり、またその時代の数々の自然現象などにも見舞われ歴史の一コマとして息づいてきたから。その「巨岩」が千光寺の伝説ストーリーを生み出した。

露出する巨岩

 

前にも紹介したが、尾道は在来線駅より北側は山々が連なり、その山裾に家や生活空間がある海沿い独特の町として形成されている。中でも、駅北側の大宝山の中腹に建つ千光寺には驚くほどの巨岩が露出している。

そのなかに千光寺を創り守り続けている巨岩がいくつかある。その一つが「玉の岩」。烏帽子に似ているから烏帽子岩とも呼ばれている。一周が50m、高さが15mあり、大宝山では第三番目の巨岩として千光寺の伝説の核になっている。

 

玉の岩

 

この巨岩「玉の岩」の頂には直径14㎝、深さ17㎝の穴が開いている。この穴が光を放つ如意宝玉があった跡だといわれている。その山を「大宝山」といい、寺院を幾千もの光を放つ「千光寺」と命名し、山から臨む港が「玉の浦」と呼ばれるようになった。まさに、巨岩による “千光寺伝説” である。

玉の岩の右には朱塗りの本堂、左には龍宮造りの鐘楼を配し、尾道の風光のかなめになっている。現在は岩の頂に宝玉の代わりに石の玉が置かれ、いまもまことしやかにその伝説が言い伝えられているほどである。

 

次は「ポンポン岩」

 

尾道・大宝山千光寺HP  https://senkouji.jp を覗いてみてください。

 

リポート&写真/ 渡邉雄二・千光寺HPより転載 資料/ 大宝山千光寺HP Reported & Photos by Yuji Watanabe・Senko-ji Temple HP

 

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人生の始まりの儀式、「お食い初め」

2022-01-26 16:27:51 | 伝統文化

私事で恐縮だが、昨日は二人目の孫の「お食い初め」に娘宅へ行ってきた。

ご存じのとおり、お食い初めは、赤ちゃんの生後100日~120日目ごろに、健やかな成長を願ってお祝いの料理を与える、日本古来の伝統行事である。

100日の節目を迎えられたことを神様に感謝し、わが子の成長を祝うもので、「子どもが一生食べ物に困らないように」という願いをこめてごちそうを与える儀式である。

実際には食べることができないので、食べる真似だけをして祝う。

 

 

準備する料理は、鯛、赤飯、お吸い物、煮物、香の物の5品。箸は両端が細くなっているものを使う。そしてもう一つ欠かせないのが、「歯固めの石」。石のように硬く丈夫な歯で長生きできるように、と小石を用意し、その小石に触れた箸を赤ちゃんの口に触れさせて食べさせる儀式である。

 

親が子の健やかな成長を願いいまも行われているようだ。

椅子に座らせられた孫にとってみれば、大きくなって写真を見る機会があれば、親への感謝がさらに深まるはず。そんな人生の始まりの一コマである。

 

 

リポート&写真/ 渡邉雄二 参考資料/ お食い初め情報を参照 Reported & Photos by Yuji Watanabe

 

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お酒で茶を煎る 【一茶庵稽古追想】

2022-01-25 10:27:20 | 文化想造塾「煎茶」

前回の煎茶の稽古は、久々に「玉露」を楽しんだ。

小さな急須に、山盛りの玉露茶葉を惜しげもなく入れる。
お猪口くらいの大きさの湯のみに1/3程ぬるま湯を注ぎ、それを急須の中の山盛り入っている茶葉にできるだけかからないようにゆるりと注ぐ。

待つこと約5分。じんわりとぬるま湯が茶葉に馴染んでくる。
急須から湯のみに注ぐ。ぬるま湯は茶葉に吸い込まれ垂れるのは数滴。

玉露のなんとも言えない色が着いている。
一煎目は玉露の甘みでまろやかに。そして二煎、三煎と。通常、六煎まで回繰り返す。甘味、苦味、渋味などの微妙な味の違いを楽しむことができる。

今回の稽古では、4煎目はぬるま湯ではなく、貴重な原酒をぬるま湯の替わりに急須に注ぐ。日本酒とお茶のコラボである。見事な組み合わせ。日本酒の辛味がジューシーな味に変わっていた。

待つ時間を利用して、写真にあるお軸の詩を紐解いていく。
上田秋成、与謝蕪村の友人の、漢文学者の村瀬栲亭(こうてい)の書である。
茶の湯の世界に喧嘩を売るような漢詩である。ご想像ください。

 

リポート&写真/ 渡邉雄二 場所/ 文人会一茶庵 Reported & Photos by Yuji Watanabe

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歴史ストーリーのある日本遺産のまち「尾道」が注目され続ける理由 !?  そのⅠ「寺院の存在」

2022-01-24 11:26:45 | 尾道・文化紀行

 

尾道市は広島県の南東部に位置する、人口13万1千人(平成27年と調査)を有し、商業を中心とした町として平安時代から現代に至るまで栄え続けている町である。昭和の40年代以降の高度成長期の造船業をはじめ、漁業や海産物加工業、製造業、農業をベースに、現在(新型コロナ以前)では観光業による収益もかなり伸びている。

新型コロナウィルス騒動前までは、国内外から年間700万人近い観光客が訪れていた。それに貢献したのが、「日本遺産」への登録、そして四国までの「しまなみ海道」開通が大きく貢献し、風光明媚な町として人気を集めている。その土台を築いているのが瀬戸内を代表する歴史ストーリーである。一つは、瀬戸内海を拠点に活動した村上水軍(海賊衆)のヒストリアル。一方の山では寺院の勢力が尾道の歴史を築く大きな礎になり、尾道の発展に寄与しているのは間違いない。

平安時代に、尾道の北部に位置する世羅町のあたりに豪族が管理していた備後大田庄の荘園があり、その倉敷地(穀物類を貯蔵するところ)として荘園米の積み出し港となって以来、貿易船や北前船などの寄港地として繁栄をとげた。

それぞれの時代の中で力をつけた豪商たちが尾道の地に寺院を作り寄進したといわれている。当時、豪商は働く人たちの神仏崇拝に力を入れ、とくに漁師や浜旦那((漁師を統括、魚介類などを卸す商人))は危険と隣り合わせの海を相手にしていたことから神仏に海上安全を祈願するために尾道に多くの寺院ができた。この瀬戸内海の天然の良港として栄えた尾道は寺院と共存共栄しながら時代を経てきた。

 

             寺院が立ち並ぶ尾道市街地

 

現在、尾道の三山といわれる「大宝山 千光寺」、「転法輪山 浄土寺」、「摩尼山 西國寺」など真言宗系の大本山を中心に、それぞれの塔頭を含め25カ寺が存在する。時代をさかのぼると、寺院の数で一番多かったときで60数カ寺あっといわれている。

そして、寺院が建立された理由の一つに、千光寺の巨岩をみるように三山のどの山にも大きな岩があり、神聖な場所とされたことが建立に大きく影響したといわれている。境内のあちこちに存在する大きな岩は御神体として人々に信仰されやがて修行の場となった。それがいつしか仏教と結びつき寺院建立へつながっていった。地元の労働者の安全祈願の寺院という役割に加え、修行の場として魅せられ多くの人が集まってくるようになったのが平安時代の終わりごろからである。

 

        千光寺本堂横の巨岩のご神体(上)   斜面に建つ本堂(下)

 

              浄土寺本堂と多宝塔(共に国宝)

 

          巨大に草鞋が下げられている西國寺仁王門

 

余談ではあるが、調べていくと、聞きなれない仏教宗派「時宗(じしゅう)」の寺院が大きな役割を果たしたようだ。尾道にはその時宗の寺院が6カ寺もある。全国的にみても一つの町にこれだけの時宗寺院が集まっているのは珍しい。時宗は鎌倉時代の末期に興った浄土教の一宗派で、開祖は一遍上人といわれている。総本山は神奈川県藤沢市にある清浄光寺である。時宗寺院には当時の「浜旦那」の隆盛と深くかかわっていたというものが多く所蔵されている。その中で、とくに時宗は人々を分け隔てなく受け入れ、同時に「文化の発信元」にもなったといわれている。

平安時代の終わりごろからから寺院を支え、江戸時代でも尾道には豪商がたくさんいて寺や神社を支えてきた。尾道の魅力でもある古い寺院や神社のほとんどが貴族や武士でなく商人によって建てられ、人々を支えてきた。                    そして現在でも、尾道三山を始めとする寺院が歴史ストーリーをたずさえ数々の新しい情報を発信している。その文化に支えられてこそ、新しいものが生み出されていく。   

そしてまた次の世代へと繋がっていく。尾道の魅力を育んだのは、この瀬戸内海の地形によって創造されたものが時代を経ていまに繋がっている。そこには「寺院」の存在なくして尾道はあり得ないと言っても過言ではない。

 

リポート&写真/ 渡邉雄二・栗山主税 Reported & Photos by Yuji Watanabe・Chikara Kuriyama

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