先日、伊藤若冲の生誕306年の誕生会の法要が、若冲と伊藤家の菩提寺である宝蔵寺で執り行われた。
同寺院の「寺宝展」を観に行った日がたま法要だったので末席で参列させていただいた。
同寺院には、若冲が建てたお墓が残っている。永年風雨にさらされたため、転懐の恐れがあったため、
平成28年(2016)に若冲及び若冲派顕彰とお墓の維持を目的に「伊藤若冲親族のお墓」を保存修理し本堂前に移転(写真)。
寺宝展を鑑賞したあと、その足で宝蔵寺から歩いて5分ほどの錦市場へ。まずは前回紹介した錦神社に参拝、そして店が連なるアーケード小路をキョロキョロしながら歩いた。頭上からの垂れ幕や店舗のシャッターなどには若冲の絵や文字が躍っていた。
若冲は、錦小路の西端にあった青物問屋「枡屋」の長男として生まれ、23歳で家業を継ぐが、40歳で弟の宗巌(白歳)に譲り絵を描くことに専念。
錦市場は京都の台所として有名だが、さらに若冲の生誕地として名を馳せるようになった。コロナ騒動前までは “若冲ブーム” で全国からの観光客が押し寄せていた。
寺宝展は、若冲筆の「竹に雄鶏図」「髑髏図」をはじめ若冲の弟子たちの作品が展示されていた。
作品については、後日紹介させていただく。
リポート&写真/ 渡邉雄二 Reported & Photos by Yuji Watanabe
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