一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

646  夏服の父に駆け寄り目覚めけり  佳津

2012年07月17日 | 

 (なつふくの ちちにかけより めざめけり)

 ついこの間のことは、すっかり忘れても、子供の頃の楽しかったこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、怖かったこと・・・など印象の強かったことは、一生忘れない。

 この句は、夢であるとは一言も言っていないが、「夏服の父に駆け寄った」のは、間違いなく夢の中のこと。幼少期からせいぜい学生時代までの、楽しい思い出が根底にあるに違いない。お父さんが、作者に優しくたっぷりと愛情を注いだろうことが、想像される。

 白の背広とか浴衣とかはっきり言わず、単に夏服とぼかしているほうが、我々にとっては様々に想像できて有難い。

 しかし、楽しい夢であればあるほど、目覚めれば切なく哀しく感じるのではないだろうか。

ヒマワリ(向日葵)  キク科の一年草

コメント (2)
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