一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

828  ゐるやうにゐなくなりたる夕焚火  新五郎

2013年01月22日 | 

 空気や水は、あって当然。だから、誰も感謝しない。いつもあって当然の生活では、有難味を感じないのが普通だからだ。

 しかし、いつも傍にいて当然だった父や母、妻や夫、我が子や友が、突然いなくなってしまう。遅かれ早かれ、防ぎようもなく、いつか必ずそういう時は来る。いや、たった一つ防ぎようはあった。自分の方が早く死ねばいい。

さて、この句のゐるやうにゐなくなりたるは、微妙な表現だ。①現時点でいなくなったことは知っている。②いなくなったのに、いるように勘違いしていた時間があった。それは、数時間でも数十分でもなく、数分か数十秒、もしかすると数秒のことかもしれない。

いや、もしかすると、数年以上かもしれない。

 

 

コメント (2)
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