一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

葱坊主窯場の客を見てをりぬ

2011年04月15日 | 

217

 

葱(ねぎ)坊主窯場の客を見てをりぬ

 

10年ほど前、ホトトギス系の先輩に、句会場に作業場をお貸ししたことがある。当日は、窯焚きの最中で、吟行を兼ねての句会であった。私も忙しい中、急遽参加することになった。

掲句は、その時の提出句であるが、先輩から、「見てをりぬ」と擬人化せず、

 

葱坊主窯場に客の来てをりぬ

 

の方が良い、と指摘された。その時、私はどちらも一長一短で大して違わないのではないか、と思った。そしてあれから10年経って比べてみても、未だに優劣を付けかねている。

 

 

 ヒメツルニチニチソウ(姫蔓日々草)

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前を行く犬の身軽さ木の芽坂

2011年04月14日 | 

216

 

前を行く犬の身軽さ木の芽坂   多可

 

犬の臭覚、聴力は並外れてすごいが、脚力もすごい。我が家の犬でも、時速30キロなら平気で走る。

 

マラソン選手は、ほぼ時速20キロで走るから、人間も本来はその程度の脚力はあるのだ。マラソン選手を江戸時代の飛脚に例えて単純に計算すると、東海道500キロを25時間だから、まあ2日もあれば十分だ。

 

だが人間は、牛や馬に乗り、自転車、自動車、汽車、飛行機に乗るようになった。そして、歩かず走らなくなって、脚力を喪失した。

 

この句、作者の喘ぎが聞こえてくる。きっと、ハンカチで汗を拭い、深呼吸して、犬を見送りながら苦笑いしているのだろう。

 

 

アオキ(青木)

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大空へ吹き抜けてゆく桜かな  

2011年04月13日 | 

215 

 

大空へ吹き抜けてゆく桜かな  炎火 

 

この句の着目点は、第一に「吹き抜けて」で、桜の木が沢山あることが想起されるし、第二に「桜かな」と言い切っているが、桜といっても樹木ではなく、実は花びらのことなのである。

 

つまり、花が梢を離れ散ってゆくのだが、降るのとは逆に、強風に煽られ桜山の下から上に、木立の中から上空へ花びらが吹き上がってゆく情景を詠っているのである。花びらが一枚であるはずはなく相当数あり、つまり逆さの花吹雪なのだ。

 

私も同じ情景を見たことがあるが、実に不可思議な気分になったことを記憶している。

 

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花見酒三人娘のお父さん

2011年04月12日 | 

214

 

花見酒三人娘のお父さん

 

友人には、三人の娘がいる。三人とも成人していて、嫁入り前のなかなかの美人揃いである。つまり一家は、女4人に対したった一人、彼だけが男だ。そんな彼は、毎日どんな気分で暮らしているのだろう、と余計なことを考える。

 

逆に、息子三人ならどうだろうか?男四人に女一人。これもまた実に面白そうだ。例えば、食卓を囲んでいる女家族と男家族、それぞれの家庭を想像しただけで、面白そうなホームドラマが始まりそうだ。

 

 

ソメイヨシノ(染井吉野)

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満開の花の下にてふと不安

2011年04月11日 | 

213

 

満開の花の下(もと)にてふと不安

 

  昨日は、知人の家の庭で恒例の花見の会が催された。一昨日の雨とは打って変わって、天気もよく気温も高く、絶好の花見日和だった。満開の花の下での話題は、東日本大震災の話。

 

 日本中が自粛ムードで、祭りを止めた、試合を止めた・・・などと観光地の旅館やホテルは閑散としている。こんなに何もかも自粛では、経済が回らず、休業や倒産が出るのではないかと心配だ。

 

 そこで私達は、節電だけはしっかりしないといけないが、今まで通り分相応にお金を使って、経済に貢献しようということになった。「いや、どんどん無駄遣いをしよう」などという冗談まで出た。

 

 しかし、日本列島が活動期に入り、関東・東海・東南海・南海地震が連動して起きるのではないか、富士山が爆発するのではないか、などという専門家の予測さえあるのだから、花見を手放しで楽しむことができない、というのが実情だ。

 

さてこの句、昔作った句だが、「何事もうまくいっている時は、かえって漠然とした不安を感じるものだ」というのが本来の句意。

 

 

 オオシマザクラ(大島桜)

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あたたかや筍医者を自称して

2011年04月10日 | 

212

 

あたたかや筍(たけのこ)医者を自称して

 

20年前、椎間板ヘルニアで一ト月余り入院したことがある。腰痛は、職業病のようなもので、一病息災として仲良く付き合うしかない。

 

主治医の先生に、初めてお目にかかった時、「私は筍医者だから・・・」と申された。

私はきょとんとして、「はあ?・・・・・」

先生は「まだ藪にもなっていない・・・・」

「なーんだ、そういうことか」と笑って、一変にその先生が好きになった。20年前を思い出して、20年振りにできた、ほやほやの句である。

 

その時の医務室、看護婦さん、先生の表情などを鮮明に憶えているから不思議。

 

 

静岡・神奈川の県境の千歳川

 

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場所取りのぽつねんとして花冷えす

2011年04月09日 | 

211 

 

場所取りのぽつねんとして花冷えす 

 

一度だけ、東京上野の桜を見に行ったことがある。午後の4~5時ごろではなかったか。満開の桜の下には、誰もいないのだが、ブルーのビニールシートが各所に敷き詰められていた。シートだけではなく、紐まで張ってある。いわゆる、夜の宴会の場所取りであろうことが一目瞭然だった。

  

 その中に、準備が終わったのであろう、一人の青年がブルーシートに座っていた。先輩の社員たちが、会社を退けてから来るのを待っているのだろう。

  

 なんとも言えない悲哀を感じたものだ。  

ムラサキケマン(紫華鬘)

 

 

 

 

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花祭抜けない薬指の棘

2011年04月08日 | 

210

花祭抜けない薬指の(とげ) 

     

 花祭は、4月8日。釈迦の降誕を祝して全国の寺々で行われる。古くは神道や稲作との関わりが深く、本来の陰暦では夏の季語であり、花はツツジや卯の花を用いていたそうだ。その後、仏生会・潅仏会・降誕会・浴仏会などとして行事化し、誕生仏に甘茶を注ぐ。 

 

似非仏教徒として物申せば、仏教徒の最終目標は悟りであろう。しかし、お釈迦様でもあるまいに、悟りなど凡俗にとっては夢また夢である。指に棘が刺さろうものなら、気になって仕事も禄に手につかないていたらくである。

 

ヒメオドリコソウ(姫踊子草)

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阿弥陀像出てゆく阿弥陀花の昼

2011年04月07日 | 

209

 

阿弥陀像出てゆく阿弥陀花の昼   重治

 

「うまい、この句に座布団1枚上げましょう」

「いや、阿弥陀は無量寿仏だから、時間や空間などには左右されないはずだ」

「いや、阿弥陀は私達全てを遍く照らして、天上界にいるんだ」

「いや、阿弥陀像は、人間が想像した形に過ぎず、阿弥陀はいない」

 

まあまあ、議論はそのくらいにして、まとめてみましょう。作者の句意は、「阿弥陀像に阿弥陀様が在わすならば、きっと像を抜け出て、満開の桜を観に行かれることでしょう」という想像を「出てゆく」と断定したのです。

 

「とすると、夜になったら、戻るんですかね?」

「きっと夜桜も見るから、戻るのは深夜じゃないの?」

「花が終わるまで、私だったら戻らないよ」

「そうね、北海道まで、ずーっと花の旅をするかもね」

「いいなあ、阿弥陀様って」

「・・・・・・・・・・・」

 

クロモジ(黒文字)

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吾子のごと仔犬を連れて花の下

2011年04月05日 | 

208 

 

吾子のごと仔犬を連れて花の下

 

子供を作らないつもりの夫婦が、犬を飼った。夫婦は、次第に犬が可愛くなり、愛情を感じるようになった。「犬でもこんななんだから」と子供を作る気になったそうだ。

 

 公園などで、「・・・ちゃん」などと犬に呼びかけているのを見ると、既に我が子同然。それどころか、我が子以上かもしれない。

 

「成長してままにならない我が子より、ままになる犬の方がいい」が本音かもしれない。

 

 

ソウシチョウ(相思鳥)

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おしゃべりと聞き上手いて蓬摘む

2011年04月04日 | 

207

 

おしゃべりと聞き上手いて蓬摘む   洋子

 

人付き合いは、よく話しよく聞くのが、理想だろうが、なかなかそういう訳にはいかない。二人の場合、どちらかがお喋りで、もう片方が聞き上手ならば上手くいくだろう。

 

 男女の相性の場合、4000組に1組しかいないそうだが、二人に共通の遺伝子がないほうが、相性が良く、仲がいいそうだ。

 

 そういえば、知り合いの御夫婦も、片や刺身が好き、片や嫌い。そういうことが、まだまだ沢山あるのですが、どういう訳か仲が良いのです。

 

この句の二人もタイプが違うから、相当の仲良しだろうと想像される。

 

 

キケマン(黄華

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桜餅今日は仕事が手につかず

2011年04月03日 | 

206 

 

桜餅今日は仕事が手につかず 

 

4月に入って、ようやく桜の開花が始まった。昨年の夏の暑さ、今年の冬の寒さ。桜餅を買う気になれないのは、東日本大震災のせいかもしれない。

 

さて、ある彫刻家の大先生が言っていた。

「一日に5分でもいいから、集中して仕事のできる時間が欲しくて、そのために散歩をしたり、買い物に出かけたりするんですよ」

「先生でもそうですか」と、私はやたらと感心したものだ。

 

たった一人で仕事をしていると、どうしてもやる気にならないときがある。納期が近づいて、切羽詰まっているにもかかわらず、である。

 

 

ムラサキケマン(紫華

 

 

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少年は真面目に蜂と話しをり

2011年04月02日 | 

205

 

少年は真面目に蜂と話しをり

 

以下の詩は、26才の若さで、亡くなった「金子みすず」作。

死後ますます作品の評価が高まっている。

 

蜂はお花のなかに
お花はお庭のなかに
お庭は土塀のなかに
土塀は町の中に
町は日本の中に
日本は世界の中に
世界は神さまの中に
さうして さうして
神さまは
小ちゃな蜂の中に

フキノトウ(蕗の薹)

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犬好きの真顔が間抜け四月馬鹿

2011年04月01日 | 

204

  

犬好きの真顔が間抜け四月馬鹿

 

 「エイプリルフール」は、フランスで始まったらしい。今日だけは、嘘をついてもいい日。日本では、「万愚節」「四月馬鹿」などという。

しかし、私はこの十数年、騙されたことも騙したこともない。どうも日本では、定着していないようだ。クリスマスやバレンタインデーと比べたら一目瞭然だ。私も、俳句のお陰で辛うじて、エイプリルフールの存在を忘れないでいるにすぎない。

 こういう時代だからこそ、ユーモアにあふれた嘘をつきたいものだ。久し振りにやってみるか。

 

 バライチゴ(薔薇苺)、ミヤマイチゴ(深山苺)とも

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