(やどかせと かたななげだす ふぶきかな)
どんなに猛烈な吹雪だったからといって、武士が刀を投げ出すことはなかろう。つまり、作者はこの武士が、如何に武士らしくない武士だったかを言いたかったのだろう。私は、黒沢監督の映画に出て来る三船敏郎を想像してしまった。
そう言えば、世界の黒沢と言われ、日本映画界の英雄的存在の黒沢明監督の数々の映画。私はどうしても好きになれない。あんな泥臭い映画のどこがいいのだろう。
(やどかせと かたななげだす ふぶきかな)
どんなに猛烈な吹雪だったからといって、武士が刀を投げ出すことはなかろう。つまり、作者はこの武士が、如何に武士らしくない武士だったかを言いたかったのだろう。私は、黒沢監督の映画に出て来る三船敏郎を想像してしまった。
そう言えば、世界の黒沢と言われ、日本映画界の英雄的存在の黒沢明監督の数々の映画。私はどうしても好きになれない。あんな泥臭い映画のどこがいいのだろう。
蓋(ふた)とは、「容器の口など、何らかを覆うようにしてふさぐものの総称である」とある。その口の狭い場合,栓(キャップ)という。屋外では、マンホールは蓋だろう。洋式トイレにも蓋がある。又、芝居や宴会など行事にだって蓋がある。
さて、この句の蓋は何の蓋だろうか。宴会かもしれないが、私は、洋式トイレも含まれているのではないかと思う。私の記憶では、男女にそれほどの差はなく、たぶん7~8割の人が蓋を閉めない。
(だいかんぱ えんのぎょうじゃも どうごもり)
「役の行者(役の小角)」は、飛鳥時代(634年)~(701年)奈良時代に実在した人物。呪術を体得し、修験道の開祖とされ、日本全国に「役の行者」の修行地として、又は開祖とする伝承や社寺仏閣が残っている。
役行者ゆかりの吉野の金峯山寺を筆頭に、奈良県・大阪府・滋賀県・京都府・和歌山県・三重県に所在する36寺社を巡礼する役行者霊蹟札所がある。
役の行者は、文武天皇3年(699年)人々を惑わしていると讒言(ざんげん)され、伊豆大島に流罪となっているから、伊豆山神社にも来ただろうし、「役の行者」の木像が安置されていても不思議ではない。
役の行者
第二次世界大戦・太平洋戦争・大東亜戦争・日中戦争などとも呼ぶ先の敗戦から、今年で68年。当時「軍人勅諭」は、既に小学校で習っていたらしい。とすると78才以上の方々は、覚えているかもしれない。以下の5カ条ではなく、総字数2700文字を全て暗唱できる人は、もう少し年上の陸軍の元軍人さんのようである。
一(ひとつ)軍人は忠節を尽すを本分とすべし。
一(ひとつ)軍人は礼儀を正しくすべし。
一(ひとつ)軍人は武勇を尚(とうと)ぶべし。
一(ひとつ)軍人は信義を重んすべし。
一(ひとつ)軍人は質素を旨とすべし。
ご覧のように、この5カ条の「軍人」をただの「人」に替えても、問題なく通用する普遍的な教条である。
いづれにしても、私達団塊の世代は、どうやら戦争を経験せずに死んでいけるらしい。但し、これは「なんの努力もしないで得られた幸運」である。だから、「日本がだらしないのは、お前たちのせいだ」と言われたら、頭(こうべ)を垂れる他ない。
今年の旧暦の正月は、立春の6日後の2月10日。七草は、2月16日。俳句に関心のある皆さんは、是非旧暦(月暦)で、季節や行事を考えることも忘れないでいただきたい。
というのも、昨日の朝日俳壇では、「今日は七草・・・・」と言っていたが、本来は旧暦でするべきものであるが・・・ということにも触れて欲しかった。
又、小寒、大寒などの24節気は、新暦旧暦共に太陽の運行に基づいて、1年を24分割している。
俳人に不可欠な旧暦の暦が欲しい方には、「現代版・三嶋暦」や「月と季節の暦」などがあります。
4,50年前と比べると暖かいのではないか、と思うが今年の冬は、平年より結構寒いそうだ。そんな寒い夜に欠かせないのがおでん。私は買ったことはないが、最近のコンビニでは、通年おでんを売っている。
さて、この作者は、相当長い間このおでん屋に通っているらしい。通い始めた最初から、おでんは旨かったが、この店の主人は、イマイチだったのだろう。
それが、最近ようやく主人に「味が出てきた」、という。どんな味が出てきたのだろうか。非常に興味のあるところだ。
ということは、客である作者も、いい出汁が採れる女性になっているのかも知れない。いや、きっとそうに違いない。
早ければ、40代で孫が出来、「おばあちゃん」と呼ばれる人もいる。60代で「ひいおばあちゃん」なんて人だって、いるに違いない。
ところが、そんな「おばあちゃん」も、故郷の実家に帰れば、100才近い母親がいて、「あんた、ちゃんとやってるかい」などと言われて、久々の娘に戻る。
こんな幸せな、故郷に帰った“元”娘に、Sun sunと日を浴びている福寿草がぴったり。
3が日だけでも数千万人が同一行動する日本人の初詣。一体皆さん、何しに行くんだろう。祈ったり、願ったり、つまり神様におねだりする御祈願だろうか。世界平和や国家安泰、家族の健康、金儲け・・・いくらだってあるだろうが、それは千差万別のそれぞれの勝手な祈願。神様も、そんな人々に嫌気がさして、天の岩戸に御隠れになってしまったのかもしれない。
しかし、この句では「誓う」という。それも「プラス思考を」だ。自分自身に叱咤激励する初詣。祈願より誓う方が、神様も喜ぶだろうし、たぶん余程上等だろう。
こういう人が増えれば、神様も御出ましなさるかもしれない。
「あけおめことよろ」を、生まれて初めて聞いたので、俳句に使ってみた。しかし、調べてみると、この言葉、既に江戸時代からあったというではないか。この方が、余程驚きである。
江戸のはっつぁんやくまさんが「あけおめことよろ」と、賀詞を交わしているのを想像しただけで、大笑い。
ネットでも、1980年代後半には、若者たちの間で流通していたとか。昔からそうだったとは、アッハー、全く知らず井の中の蛙だった。
(はいくちょう こちゅうのてんち はつあかり)
市中に薬を売る老人が、売り終わると壺の中に入るのを、後漢の費長房が見て、一緒に入れてもらったところ、りっぱな建物があり、美酒・佳肴が並んでいたので、ともに飲んで出てきたという。(「後漢書」方術伝)
この故事から、「壷中の天地」とは、俗世間を離れた別世界。また、酒を飲んで俗世間を忘れる楽しみ。壷のような小さな中にも、仙境や大きな世界、天がある、ということらしい。確かに、575、17文字の中にも、壷中と同様「天や地」を入れて表現することはできるだろう。
「てふ」は、「ちょう」と読み、「という」という意味。「初明り」は、元旦に白々となる明かり。
昔から、知る人ぞ知る青汁だが、現在では30社近くが青汁を売り出し、700億円の市場規模があるそうだ。
家庭で作る場合、キャベツ、ホウレンソウなどの青野菜に、ヨモギ、アシタバなどの野草をミキサーやジューサーで混ぜて絞ればいい。美味しく飲みたければ、トマトや蜂蜜などをお好みで入れればいい。
材料さえあれば、誰でも簡単に青汁を作れるのだが、そうは簡単にはいかないようである。人々は、更に簡単な市販品を求めるのだ。
さて、元朝に青汁を飲んでの願い事と言えば、健康であろう。つまり、現代の日本人は、「健康病」又は「健康食品病」というインフルエンザに罹っているのである。
(はつがらす あまのいわとの おんまえに かしこみかしこみも まおす)
皆さま、明けましておめでとうございます。
今年も下らない俳句と文ではありますが、懲りずにお付き合いくださいませ。
よろしくお願い申し上げます。