この句の「根」は、勿論土の中に埋もれている「竹の根」であろう。その根が軋んで音を発し、その音を「聴いた」という。耳をそばだて、聞こうとして聴いたのである。しかし、そんなもの本当に聴こえたのであろうか。
確かに、竹の地下茎には、筍(たけのこ)が芽生え、地面を押し上げ始めているのだから、音があって当然であろう。耳の悪い私でも、聴診器でも使えば聴こえるかもしれないが、風の音や竹の触れ合う音との区別が果たしてできるだろうか。
この句の「根」は、勿論土の中に埋もれている「竹の根」であろう。その根が軋んで音を発し、その音を「聴いた」という。耳をそばだて、聞こうとして聴いたのである。しかし、そんなもの本当に聴こえたのであろうか。
確かに、竹の地下茎には、筍(たけのこ)が芽生え、地面を押し上げ始めているのだから、音があって当然であろう。耳の悪い私でも、聴診器でも使えば聴こえるかもしれないが、風の音や竹の触れ合う音との区別が果たしてできるだろうか。