6時半起床。二日酔いとまではいかないが、若干体がだるい。
今日は、大学1年生の頃に免許を取って以来ずっと乗ってきた愛車を、解体屋さんへ廃車に出す日。自分で決めたことではあるが、ついにこの日が来てしまったか、という感じである。
引き取りは11時なので、その前にラストドライブ。父とサンを乗せて動物病院へ行き、八種混合の注射をしてもらってから、1人でドライブへ。近所の花屋さんへ母の日のプレゼント(今年はラベンダーとカーネーションのセットにした)を買ってから、近所の思い出深い場所や道を走る。(本当に数人だけだが)一部の方は、景色を見ればその場所がどこかわかるだろう。特に思い入れのある場所では車を止め、しばし思い出に浸ってみたりもした。
予定どおり、引き取り業者さんに車を引き渡す。業者さんにわがままを言ってトラックの荷台に積む直前まで私に運転をさせて頂き、荷台に積んで走り去るまでその場で作業を見ていた。トラックが走り去る瞬間は、とても大切な人と別れるような感覚だった。頭の中では、ゆずの「さよならバス」が流れていた。
私の愛車には、「千鶴子」という名前が付いていた。大学の友人の誰だったかは忘れたが、私の大好きな上野千鶴子先生にちなんで誰かが呼び始めたのがきっかけだった。尊敬する学者さんの名前を車につけるのは失礼なような気もしたが、いつの間にか当然のようにそう呼ぶようになっていた。
千鶴子との思い出は語りつくせないほど多い。その多くは、千鶴子だけではなく、一緒に乗っていた人々との思い出でもある。家族や、友人、そして恋人。一緒に笑ったり、真剣な話をしたり、時には喧嘩をしたり。そう考えると、私の人間関係の、しかも奥深い一面を、千鶴子は本当に良く知っている。一方で、1人でドライブをすることも多かった。音楽を聴きながら大声で歌ったり、考え事をしながらただただ走ったり、恥ずかしい話、運転しながら1人で泣いたこともよくある。いずれも、私にとっては本当に貴重な時間だった。
千鶴子はよく怪我をした。正確にいえば、私がよく怪我をさせた。大抵はそのまま放っておいても問題のないかすり傷程度だったが、4年ほど前に一度大きな事故を起こし、車体を真っ二つにして修理する必要があるほどで、修理するより新しい車を買ったほうが安いと言われたこともあった。しかし、その時も周囲の反対には一切耳を貸さず、親に借金をして修理をした。その借金を返すのに2年掛かったが、あの時の選択は正解だったと今でも思っている。
そんな千鶴子を廃車にするという選択は、かなり難しいものだった。実は、2年前の車検時にも一度検討したことがあったが、その時にもう2年間は乗ろうと決めた。そして、その2年間はあっという間に過ぎた。私の元にやってきた時には既に中古車で、初年度登録から今年で15年が経ち、所々に不具合が出ていることと、我が家で免許を持っている私も弟も実家におらず、もうほとんど乗る機会がないことから考えて、今回の決断に至った。どんなに先延ばしにしても、いずれは来ることだから。そう自分に言い聞かせて廃車の申し込みをしたのが、つい1ヶ月ほど前のことである。
そして今日、最後の別れは、思っていた以上につらいものだった。たかが車、と思うかもしれない。確かにその通りだ。たかが車、鉄の塊である。しかし、この喪失感は、ほとんど恋人を失ったときのそれに等しい。ただ、そうは言いつつも、私は決して良いオーナーではなかった。運転は荒く、そもそも車をぶつけたりこすることを厭わないし、メンテナンスも行き当たりばったりだった。それにも関わらず、よくぞ最後まで元気に走り続けてくれたと、本当に感謝している。そして、私はきっと、千鶴子のことも、千鶴子と一緒に走った数多くの思い出も、決して忘れないだろう。いわば、初恋の相手のようなものだ。千鶴子、これまで本当にお疲れ様でした。ありがとうございました。
先週、山梨旅行へ行く前に撮ってもらった。足元にはなぜかサンもいる。
山梨旅行中、道の駅で撮ってもらった。
午後から、とりあえず外出する。近くのバス停から川口駅行きのバスに乗ろうと待っていると、向かいの道路を歩いている綺麗なお姉さんがやけにこっちを見ている…と思いきや、中学時代の同級生だった。駅までのバスの中で、互いの近況について話す。彼女は今、日本橋高島屋のアパレルショップで働いているそうだ。中学生の頃から美形だったが、更に美しさが増している。しかし、私が印象的に感じたのは(珍しく)そんなことではなくて、そもそも私に声を掛けるという判断をした彼女の思考回路である。それほど親密だったわけでもない旧友が大通りの反対側にいて、しかも自分は歩いて反対方向に向かおうとしている時に、わざわざ通りを渡って駆け寄り声を掛けるというその判断と行動。私だったら、絶対に気付かない振りをする。喋りたくないわけではない。実際、今日も会えてすごく嬉しかったし、楽しかった。しかし、そのきっかけとなる行動を、私だったらついつい面倒臭がって取らない(取れない)と思うのだ。そこに、彼女と私の間の、他者とのコミュニケーションに対する価値付けの違いを見たような気がした。簡単にいえば、彼女は社交的で、私は俗に言うコミュ障なのだ。しかし、そんな私も、別れ際に彼女をいつかの食事に誘うことぐらいは出来た。実現するかどうかは別として(実現したら嬉しいが、おそらくしないだろう)、それが自分自身の持つ社交性の最大の提示だった。
タンポポにはいつでもすぐに駆け寄れるのだが…。
川口駅近くにある銀座通り商店街を歩く。以前に比べてかなりお店が入れ替わってしまい、チェーン店が増えたように感じるが、古き良きお店もぽつぽつと残っている。そういうお店を見ると、頑張れーと応援したくなる。
そんなお店の中からひとつを選び、昼食を取る。「くまい」という名前で、中華料理が中心の食事処のようだったので、レバニラ定食を注文。いつも食べている職場近くのお店よりもレバーが厚く、とても食べ応えがあった。しかも、安い。なんて良心的なお店なんだろう。
川口駅前から草加駅行きのバスに乗り、終点まで行く。特に行き先を決めていたわけではなく、たまたま来たバスに乗っただけだ。そのため、草加駅に着いたはいいが、その先どうするかを考えていなかったので、しばらく駅前をうろちょろしてしまった。
思った以上に何もないので、結局西新井大師に向かうことにする。草加駅から西新井駅へ移動し、大師線に乗り換える。草加駅からの所要時間は約20分。あっという間に、見慣れた景色の元へとやってきてしまった。
いつもどおり、「かどや」へ。クリームあんみつと今川焼を頂く。何だかんだで私が西新井大師に吸い寄せられるのは、このお店のレトロな雰囲気と美味しい食べ物に因るところが大きい。特に、お店のお姉さま方が、ぺちゃくちゃと楽しくお喋りをしながら仕事をしているのが良い。チェーンの喫茶店でこれをやられたら不愉快だし教育がなっていないと思うだろうが、このお店ではそれが許されるし、それどころかそれがひとつの魅力になっている。少なくとも、私はそう思っている。
こんなポスターが貼ってあった。この街の女性と知り合えるなら、参加してみようか。
バスに乗って王子駅へ出て、京浜東北線で川口まで戻ってくる。
駅に飾ってある貼り絵。なんだこのクオリティの高さは。
1人カラオケへ行き、総会の懇親会用の歌の練習。前回決めた曲に加えて、新たに3曲レパートリーを増やした。これだけあれば、もう困らないだろう。
18時半過ぎに帰宅。母が思ったよりも早く帰ってきていて、手渡す前に母の日のプレゼントが見つけられていた。台所に置いてあったのだから当然か。まあ、どちらにしても、恥ずかしくて面と向かって「ありがとう」とは言えないのだが…。
夕食は、すき焼き。この前大阪で食べたすき焼きも美味しかったが、やはり家のすき焼きが一番美味しいと思う。
デザートの苺も美味しかった。
今日は銭湯はなし。明日デートがあるので、あまり夜更かしをしたくなかったのだ。しかし、ブログの更新をしていたら、結局こんな時間になってしまった。意味ないじゃん。