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12月16日(月) 成瀬とまひろ。【前編】

2024年12月19日 17時08分02秒 | 2024年

 この日記には、宮島未奈さんの小説『成瀬は天下を取りにいく』及び『成瀬は信じた道をいく』のネタバレが盛大に盛り込まれています。これから読まれる予定の方はご注意ください。個人的には、この日記のような事前情報は全く入れずに作品を読まれることをおすすめします。

 


 

 5時起床。成瀬と同じ時間に起きる。厳密には成瀬は5時のアラームが鳴る2秒前、4時59分58秒に自力で目を覚ます。

 スマホだけ持ってホテルの部屋を出る。

 成瀬の朝のランニングコースに従い、琵琶湖沿いを歩く。作中では夏の一場面として描かれているので既に日差しが強く暑い様子だったが、当然ながらこの時期ではまだ真っ暗である。ちなみに、2024年12月現在の成瀬は高校3年生の受験追い込み期に入っているので、怪我防止のために早朝ランニング(走り込み)は室内トレーニングに切り替えられている。

 めちゃくちゃ寒い。本当に寒い。しかし、真っ暗な琵琶湖には神秘的な美しさがある。

 ちなみに、一連の写真はiPhoneで自動設定になっていたナイトモード(暗いところでも精細な写真が撮れる)で撮ってしまったのでかなり明るく見えるが、実際にはほぼ真っ暗である。

 日中の琵琶湖文化会館は趣きがあって素敵だったが、この暗さで見ると不気味さが勝る。

 桟橋風の遊歩道で湖の中に入っていく。先ほど歩いて来た湖畔でもそうだったが、所々で釣りをしている人がいる。

 先ほど歩いてきたにおの浜方面を眺める。

 大津港方面は少しだけ明るい。

 琵琶湖は静寂に包まれている。時々、魚が跳ねるのと鴨の羽ばたく音だけが聞こえてくる。

 大津港までやってきた。成瀬の走り込みの折り返し地点である。

 ミシガンが幽霊船のように見えてちょっと怖い。

 私も大津港で折り返す。ちょうど東の空が明るくなってきた。

 朝日に向かって歩く。ライニングや犬の散歩をする人も増えてきた。日常的にこの景色が見られるのは羨ましい。

 ホテルを通り過ぎ、成瀬と島崎の住んでいるあたりまで歩いてみることにする。

 さすがに疲れてきた。におの浜から大津港まで往復すると約4キロ歩くことになるので、おじさんが朝の5時からやることではなかったかもしれない。

 成瀬と島崎が住んでいるのは、におの浜3丁目(の4丁目寄り)か4丁目(の3丁目寄り)だと思われる。架空の人物とはいえ、早朝から女子高生の住むマンションを探し歩いている自分がちょっと怖い。

 3丁目から4丁目にかけてはたくさんのマンションが建っている。膳所駅までは徒歩10分強の場所で、商業施設も琵琶湖も近い。買ったらいくらくらいなのだろう。

 湖畔へ戻る頃にはかなり明るくなっていた。もうカメラもナイトモードにならない。

 「びわ湖大津プリンスホテル」は、におの浜地区の北東の端に建っている。ときめき坂に事務所を構える弁護士の吉嶺マサルと大阪のWeb会社に勤める稲枝敬太はときめき小学校の同級生で、このプリンスホテルで卒業後30年の同窓会を企画していたが、新型コロナウイルスの影響で中止となってしまう。しかし、稲枝が作成した同窓会HPをきっかけに、かつてケンカ別れしたまま急に転校してしまったタクロー(笹塚拓郎)と連絡が取れ、2020年8月31日の夜、営業最終日となった西武大津店で再会する。(「階段は走らない」『成瀬は天下を取りにいく』第3章)

 湖畔のベンチで少し休憩してから、7時前にホテルへ戻る。

 小一時間ほど二度寝をしたら、外はすっかり明るくなっていた。急いで身支度を整え、8時半前にホテルをチェックアウトする。

 朝のときめき坂を上る。ときめき小学校(平野小学校)の児童たちが元気に校門へ吸い込まれていく。

 京都や大阪へ通勤する人たちは既に電車に乗っているのだろう、人通りはそれほど多くない。

 と思ったら、膳所駅からたくさんの学生が下りてきた。島崎の通う大津高校の生徒だろう。

 駅前にある喫茶店「ベルエキップ」(Belle Equipe)に入る。

 店内の窓からは膳所駅前の様子がよく見える。

 朝の通学ラッシュ時間帯だからだろう、京阪電車の運行本数も多い。

 ハムエッグのモーニングセットを頂く。成瀬は早朝のランニングを終えて帰宅すると、自分でハムエッグを焼いてご飯にのせて食べる。ハムエッグ丼を真似するのは難しいので、私はトーストと食べる。

 卵2個とハム3枚の豪華なハムエッグである。サラダも焼きたてのトーストも美味しいし、珈琲もとても香り高い。幸せな気持ちになる朝食である。

 朝食を終え、京阪膳所駅から浜大津・坂本方面の電車に乗る。

 びわ湖浜大津駅から三井寺駅までの区間は路面電車になる。電車はともかく、車を運転する側は難易度が高そうだ。

 南滋賀駅で下りる。

 すぐに滋賀市民センターが見えてくる。全国高等学校小倉百人一首かるた選手権の予選会場のひとつで、西浦が成瀬に一目惚れ(?)した場所である。

 建物の端に大津市民憲章の石碑が設置されている。「あたたかい気持ちで旅の人をむかえましょう」。成瀬はこの教えにのっとって西浦たちをミシガン観光へ案内した。

 滋賀市民センターはいわゆる市役所の出張所と公民館を兼ねた施設だが、地域の歴史紹介や観光案内コーナーもある。地元の小学生たちが作ったオリジナルかるた「しがやふる」も展示されていた。

 1駅隣の近江神宮まで歩く。

 近江神宮は、大津京を開いた天智天皇を祀る神社である。

 百人一首の一首目は天智天皇の句である。だから大津は「かるたの聖地」なのか。

秋の田の かりほの庵の 苫を荒み わが衣手は 露にぬれつつ(天智天皇)

 成瀬と島崎はここで大学受験の合格祈願をした。

 いや、彼女たちの受験は来年だから、「これからする」というほうが正しいか。

 私は旅の無事と家族の健康をお願いした。

 まだ綺麗な紅葉が残っている。

 近江神宮の敷地内にある近江勧学館へ。全国高等学校小倉百人一首かるた選手権のメイン会場である。

 私は「勧学」の【勧】を【歓】だと見間違えて「歓んで学ぶ」ことだと思っていたが、「学ぶことを勧める」という意味だった。

 受付の近くに宮島未奈さんのサインが飾られている。

 私は成瀬の聖地巡礼で来たが、『ちはやふる』の聖地としても有名(というかそちらがメイン)なようだ。

 かるた対戦を再現できる撮影スポットもある。

 巨大な読み札(絵札)も置かれている。

 大津市のご当地キャラ「おおつ光ルくん」。石山寺に住んでおり、かるたや和歌を詠むのが得意。

 全国大会の会場は2階にある。毎年7月に開催されているそうなのだが、一般客も見られるのだろうか。

 受付の近くに「広報おおつ」が置かれていた。

 令和7年度のびわ湖大津観光大使の募集情報が掲載されている。成瀬と篠原の選ばれる年である。

 帰りがけにお土産として「近江百人一首さぶれ」を購入。1年間限定で『光る君へ』とのコラボパッケージになっている。

 近江神宮駅を越えて湖畔近くまで歩き、「ブランチ大津京」へ。中学3年の時、成瀬はここで開催されたけん玉大会に参加して「もしかめ」を4時間やり続け、最後は主催者に止められる形でチャンピオンになっている。

 作中に記載はないが、敷地内にある「三角広場」が大会会場だったのではないだろうか。

 近江神宮駅へ戻り、石山寺行きに乗る。座ってすぐにうとうとし始め、気付いたら終点の石山寺駅に到着するところだった。

 成瀬巡礼を一時中断し、石山寺を参拝する。

 まひろ(『光る君へ』)の聖地巡礼である。

 この大きな硅灰石を見て気付いたのだが、以前に西国三十三観音巡礼で訪れたことがある。

 本堂の内陣まで参拝し、観音様にゆっくり手を合わせる。ご無沙汰しております。

 紫式部が『源氏物語』を起筆したとされている「源氏の間」に人が集まっている。

 紫式部は、石山寺から見た琵琶湖に映る中秋の名月の美しさに心を打たれて『源氏物語』を書き始めたと言われている。本来ここは天皇や皇族、貴族、高僧など身分の高い人が使用する部屋だったそうで、物語の制作がいかに重要な任務だったかが伺える(と説明書きに書いてあった)。

 今はもう境内から琵琶湖はほとんど見えない。

 紫式部像に挨拶してから下山する。何となく、まひろ(吉高由里子さん)に似ているような気もする。

 大河ドラマ館へも立ち寄る。

 彼女が「IXY」(キャノンが当時販売していたデジカメ)のCMで「イクシー持って行くしー!」と言っていた頃からの大ファン(当然「IXY」は買った)としては、今回の『光る君へ』は必見だった(最終回はまだ見ていないが)。

 最終回放送翌日ということもあり、多くの人で賑わっていた。贔屓目抜きにしても『光る君へ』はとても面白かった。『篤姫』、『西郷どん』、『鎌倉殿の13人』と並ぶ傑作だと思う。

 時刻は12時過ぎ。後編へ続く(後編はこちらから)。