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去る7日(土)わが里行田市に住む、同級生同士で結婚をしている友達の家に集まった。というのは、利根川大堰沿いの田舎の中学を卒業して61年、平成27年4月以降は77歳の喜寿を迎えることになる。<毎年さくらの花の咲く時期に(利根大堰端の老人福祉センターで)懇親会を行っている。>そこで今年は記念すべき年「喜寿」である。
この日は男女合わせて10人ばかり、同級生夫婦は話が合う、ご馳走作りにも精を出していてくれる。定刻に伺うも準備が出来ている。さっそくにはじめる。
わたしも幹事の一人なので、原案を報告、日時の設定は花見の時期、ことしは概ね標準とかで、4月4日(大安・土)、日曜日の5日、それに次の大安10日かでみんなの意見で4月4日8(安・土)決める。
即刻了解を得る。<地元卒業生、しかも喜寿の祝いと大フレしたせもありましょうか、>
会費は〇〇〇円<記念品を含む>でまとまった。
いまでは東京近郊から愛知県へと広がる、同窓・同級生への案内状の作成を任されたのである。
ーー喜寿を迎えてーー”花も嵐も踏み越えて・・幾星霜”と題して、生まれた昭和13年4月には、日中戦争が激化する、国家総動員法公布され、国家総力戦に入った時代。昭和14年7月には国民徴用令施行、徴兵制がはじまった時代、まさに戦争の時代にはいる。そして昭和16年12月8日には、ハワイ真珠湾攻撃、太平洋戦突入するのである。
昭和20年8月15日終戦をむかえる、その年4月には国民小学校に入学、<終戦になるまで警戒警報発令になると1年生は上級生に連れられて走って下校したのを覚えています。>したのであります。<満6歳>
中学を卒業したものが総勢56名であちこっち散らばっていったのです。
喜寿までいろいろ考えると感慨一入のものがあります。物故された方が9名おります。
連絡が付かない方たちもおりまして37名のかたに案内状差し上げました。
よいご返事があればと期待しております。<いわどの山荘主人>
<喜寿の集い案内状>
<古代蓮マンモスの藁アート下で遊ぶこどもたち>
<馬形埴輪>