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平成14年4月に東松山市に開設されたシニア大学での第一期生でした。<以来17期生を迎えています、>
その開校時<定員100名、内訳健康・福祉部40名、環境学部20名、国際・文化部20名、郷土学部20名>であり、5倍強の競争率だったそうです。
人生80年時代を背景に生涯学習をを支援するために市が開設したものです。
われわれの学ぶ郷土学部20名、あいうえお名簿順5名編成の2組に、11月30日に亡くなられ本日12月2日通夜のSさんがおられたのです。
Sさんとはそれ以来の付き合いを持ってきました・・、
それまでサラリーマン生活で東京通勤<新潟・仙台転勤もありました、>を長くしておりましたものですから地元の人とのふれあいは少なかったのです。
男女年齢に関係なく、週一回木曜日に講義・発表等があり、2年間は郷土に関する基礎研究でのレポート提出で卒業です。その後の二年間は大学院と称し専門分野での研究をさせていただきました。
基礎研究でのレポートは「武蔵の武士(もののふ)たち」私らの住む地域に関する武士たち、畠山重忠、比企氏一族、正代氏などを取り上げたものです、10人のメンバーでリーダーを決めて全員で仕上げました、この中でSさんは中心になってやってくれました。
それより卒業してから付き合いが長いのです、校友会組織の中でパソコンくらぶやカラオケくらぶそれにピアノくらぶなど交流がつづきました。
最近では仲間たち5・6人での湯屋へ集まり<風呂へ入って食事をする、>ではほろ酔いでの昔話に話が弾みます、山形庄内での交番勤務(Sさんは警官でした、)のころ、まだ赤線の廃止前のこと、新人が入ると一番試してくださいとの話があったそうな・・、うらやましい限りです。
カラオケも声に張りがありお上手でした。なかでも18番は三波春夫の”大利根無情”とねーーのとねのかわかぜよしきりので始まるセリフ入りの唄う姿に惚れ惚れしました。
それにも増して年の差もあるのに下の私たちを立ててくれました。わたしの写真をメールで送ると大変なお褒めの言葉で返って来るのです。
気持ちの大きい方でした。
享年89歳で逝った御大、長寿”10月には家族で米寿の祝い”も済まされたとか、大成仏ですね、
ご冥福をお祈りします。
*通夜には遺影とともに長年の警察業務に従事されての旨勲章が贈られた表彰状が光ってました。
最初に住職の念仏でのご詠歌”追弔御和讃”<仏教の教えを五・七・五・七・七の和歌となし、旋律=曲に乗せて唱えるもの、>を合唱しました・・、
”その名を呼べばこたえてし 笑顔の声はありありと 今なお耳にあるものを
おもいは胸にせき上げて とどむるすべをいかんせん 溢るるものは涙のみ”
<いわどの山荘主人>通夜
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*仏さまに野菊を手向けます。