Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

花見、5

2016-11-24 16:26:45 | 日記

 花を見る花見も好きでしたが、新芽、柔らかな緑、黄緑の萌黄を見る事も私は好きでした。

だから、そこに何かしらの欺瞞があったとしても、私は無下に新芽を突っぱねたり、折り曲げたり、傷つける事が出来ないのでした。

この芽吹いた芽に何かしら意味があるのなら、大切にして、それなりの答えを返さなくてはいけないと思うのでした。

言葉ではない問いかけに、「考えてみます。」

と、保留の言葉を言う訳にもいかず、幼い私には返す言葉が無いのでした。

 窓辺で私は引き続き考えてみます。

『中学最上級生か

この言葉を思い浮かべると、小学校最上級生の時の事が思い浮んできます。

 「忠告しておくよ、君と同じように人が考えていると思わない事だね。」

ふいにあの時のきー君の言葉が胸に浮かんで来ました。

そうか!

物事よく取り過ぎてもいけないし、また悪く取り過ぎてもいけない。

父が普段そんな事を言っていた事にも思い当たって、私は軽はずみな答えは返せないと判断するのでした。

 明るい外を眺めていた視線を校舎内に戻してみます。

窓辺に寄りかかって室内に目を移します。

目の前にJさんが座っているのが見えます。

Jさんの斜め前にはせー君が座っています。

教室の前の方にはたー君が、やはり座って本を読んでいるらしい姿が見えます。

 私は誰に言うとも無く独り言のように言います。

「今は無理。」

自分の心の内を覗き込んでみます。やはり今は無理です。お付き合いしようという気持ちになりません。

「もう少し待ってもらいたい。」

嫌いではないから、将来的には考えてもよいと思います。

将来か、と、将来2人が並んでいる姿を想像しようとして…想像できない。

想像できないという事は、

「将来も無理。」

そんな事をぽそッと呟くのでした。将来の事は考えられない。

 自分でもよくわかりません。兎に角、今は無理なのだという事だけは自分にもよく分かったのでした。

 月日は流れて、私は下宿の友達と、大学のある場所の、桜の名所にやって来ました。

この土地で見る桜もこれが最後、皆で見る桜もこれが最後だねとしみじみとしながら、和気あいあいとお弁当を広げます。

皆がお気に入りのフランチャイズのお店で一緒に買って来ました。

それぞれに手にした好みの商品を開いて、青空に咲き揃った桜の花を眺めます。

 ピンク色に染まる木々、その下で人々が集い、点在し、思い思いに花見の宴を楽しんでいます。

地面の上には緑の芝が広がっています。

もう一度目を空に転じると、青空に映える白い雲がなんとも心地よいのでした。

 風も歌っているようで、うきうきとした気分になるのですが、

時折吹いてくる突風がひんやりと冷気を感じさせるので、

短い青春を謳歌した時期が終わるような、

学生時代が後半に入ったという寂しさを、涼し過ぎる風に感じるのでした。

 それでも、と、私は思い直します。

今年のこの春は私にとって格別なとても気持ちの良い春だと。

社会人になる前の学生時代の自由で気ままな最後の春。

家族で来た花見とは違う、気の合う友人同士で連れだって来た花見。

空は晴れ皐月のよう、桜は満開に花開いて、目に新緑の芝生が美しい…

 時に冷たい風が髪やうなじをなじって行っても、

私は今日のこの花見の日を青春時代の最良の日としたいと思うのでした。

何があっても、私は暖かく眩しい春本番の日差しだけを感じていたいと思うのでした。

 髪を風に吹き流し、満足感溢れる笑顔で美しい青い空を見上げるのでした。

感ここに極まれり、という感じでした。

  

 

 


花見、4

2016-11-24 15:21:23 | 日記

 近くの公園は桜の名所なので、春になるとよく家族で出掛けたものです。

花より団子というように、宴を設けて酒気を帯び騒々しい人々もいましたが、

何処の家族も夜桜を見に漫ろ歩きしていました。

城跡の公園なので朱塗りの太鼓橋がありました。当時もう古くなって色は剥げ落ちていましたが、

欄干や橋の形が独特なので、未だ風情を感じる歳ではありませんでしたが、

興味を持って手摺に寄って行くと、その上に上ったりして遊ぶので、濠に落ちないよう注意されるのが常でした。

手摺に上り、濠に向かっておーい等と叫ぶのでした。

 その頃の濠は綺麗だったのかもしれませんが、

歳が上がるにつれて段々と汚れてどろどろの淵溜まりとなって行きました。

めっきり魚が減って、水生生物もいなくなり、自然破壊が問題になっていた頃、

全国的に公害等も問題になって行きました。

 自然保護が言われるようになるとこの公園の濠も手入れされ復活して来ました。

一時は濠の水が無くなるくらいに水が引いた時もありました。

用水路の調査で入水の止水ヶ所が分かり、程無く濠に水が戻り事なきを得たようです。

 用水路の調査から城下町の治水計画など再認識されて、私達の街は歴史ある都市と郷土愛が芽生え、

公園は大切な市民の憩いの場となったのでした。太鼓橋の朱色も塗り替えられて復活しました。

桜以外にも梅など、季節の花を楽しむことが出来、噴水なども設置され、

地方の名所としてその後も整備されて来たのでした。

 そんな風に手を入れて整備される前の公園で、春爛漫の満開の桜の花の下を通ることが、

子供心にも楽しい年中行事だと分かりました。

濠の周りの桜もまだ元気な頃で、濠の縁も土豪の泥むき出しのお堀端でした。

今は桜の木も老化して撤去され、桜は柳の木に変わり、濠端も石積みやコンクリート固め、

手摺の囲いで整然と繋がる形が形成され身綺麗な公園となっています。

 樹木の変遷を見ていると、公園内部の樹木は昔からの物も多く鬱蒼として、

歴史ある貴重な木々が濠に陰影の形を映しています。

花の時期の桜吹雪の舞い散る花びらが濠を埋める姿も麗しいのですが、

薫風の季節の濠に映える緑陰や緑も、これからの夏の季節への期待感、華やぎ

静かな佇まい、落ち着きとして、鮮やかで目に心に滴り入る良さがあるのでした。

 花もそうですが、樹木や木々の新緑も見るものがあって麗しいのです。

 

 

 

 


花見、3

2016-11-24 10:47:50 | 日記

 秋の花見サイクリングは高校2年ぐらいまで続きました。

後半の2年ぐらいは2ヶ所となり、自然恥ずかしいのでちー君宅は外していました。

ちー君宅については、他にもお花が減って来た事も理由にありますが、Jさんとの兼ね合いもありました。

お友達の好きな人、万人にカッコいいと評される人です。

私だってその内に心動かされない訳がありません。

クラスが同じに為らなかった事で、顔もよく分からない、よく知らない人として過ぎて良かったかもしれません。

 但し、噂ではよく聞いたものです。特にJさんから高校入試の頃。

他にも、大学入試の頃に、他校だというのに私達の高校でも話題になっていて聞いたのですから、

相当優秀だった人です。本当に、私にすれば襷に長い人でしたね。

また、就職の頃にも聞きました。これは誰から聞いたか覚えがありません。

もうその頃はJさんとの交友関係も無くなっていました。

 彼女と懐かしく再開したのは結婚後、というより離婚後でした。

お互いの子供が同じ少年クラブに入り、付き添いの親の顔を見てそうと知り、

名札で彼女の婚家の姓を知ったくらいですから、お互いに長く疎遠になっていた物です。成人式以来でした。

ほぼ20年ぶりです。彼女は全然変わらないので直ぐに分かりました。

 いえ、1度ファーストフード店で会いましたね。ご主人の出店だという事でした。

私はその頃未だ主婦でしたから、共に主婦同士、私の方は丁度車に子供達が居ましたから彼女に紹介しました。

10年ぶりくらいだった頃ですね。

 同じ地域、同級生と言っても、偶然に出会うという事はなかなか無いものです。

私の目が悪いせいかもしれません。人が多いせいかもしれません。

話をすると、どこそこの誰と話が通じたりする事が多いので、世間は狭いと思うのですが、

会うとなると本当に知った人を見かけない物です。

 さて、本題の花見に戻ります。

秋の花見は草木の違いでしょう、短命に終わりました。

やはり木は強いです、幼い頃から今まで続いているのですから。

 私はその内家にも買って、庭にも植えてしまうという事になりました。

2本セットだったので1本は妹にやり、1本だけ庭に残して植えてありましたが、

翌年私は移転し、家も改築され、庭の樹木は一掃されて無くなってしまいました。

 ここで普通懲りるのでしょうが、私は5年ほどしてまた同じ桜の苗を買って来ました。

名前から調べると八重桜でした。今回は鉢植えにしました。

家に居ながらに花見が出来るので、夜桜も便利に鑑賞できました。

春の朧月夜に風流だなと眺めたり写真に撮ったり、しかし、夜の花はなかなか撮り辛いものです。

何とか朧月夜との風流さを伝えたいと思っても、私の未熟な腕では無理というものでした。

 家の桜は、籠っていた最晩年の父にも窓辺から花見が出来て、植えてよかったかなと思ったものです。