神が宿るところ

古社寺、磐座、不思議・パワースポット、古代史など極私的な興味の対象を見に行く

しばらく お休みします

2020-04-11 23:39:11 | その他
もともと、このブログは日記のようなものではないのですが、

新型コロナウイルス感染症による緊急事態宣言によりまして。。。不要不急の外出を避ける。。。

ということで、このブログの訪問先は、だいたい、殆ど人のいないところなんですが、しばらく外出をやめます。

それと、図書館が休館になったので、調べ物もできません。

なので、1ヵ月くらい、ブログの更新をお休みしようと思います。再開したら、またよろしくお願いします。

早く 新型コロナウイルス感染症が終息しますように。 また、感染した方々の1日も早い回復をお祈りいたします。

                                          ブログ管理人 敬白
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富士山(秋田県秋田市)

2017-03-11 23:16:51 | その他
富士山(ふじやま)。通称:日本一低い富士山、明田富士(みょうでんふじ)。
場所:秋田県秋田市東通明田。JR「秋田」駅の南、約500mの「明田地下道」(アンダーパス)から東に約380m、「北都銀行明田支店」の角を南に約370m進むと道路が急に狭くなるが、そこから正面の丘が通称「明田富士(山)」。登り口は南側にあるので、更に約420m進んで回り込む。駐車場なし。山頂へは徒歩約5分。周囲の道路は狭く、近くに駐車場もないので、徒歩か自転車利用が便利(JR「秋田」駅から約1.7km)。
静岡県と山梨県に跨る日本最高峰(標高3,776m)である「富士山」は、「不二山」(二つとない山)とも書かれるが、全国各地に「〇〇富士」と呼ばれる山は多い。山形県と秋田県に跨る「鳥海山」も一名「出羽富士」ともいうが、「富士(山)」という名の付く山のうち、標高が最も低いのが秋田県秋田市にある「明田富士」とされている。その標高、35m。山頂には、日本山岳会秋田支部の「日本一低い富士山という標柱が立っている。これは、昭和63年に静岡県富士市の富士商工会議所がその認定を行い、以来、同支部が植林やベンチ設置などの整備をしてきたというものらしい。
さて、「富士山」という名の由来であるが、伝承によれば、鎌倉時代頃、当地には「冨士太郎」という豪族の居館があったという。「秋田市史」では、「富士太郎」の名前は資料にないが、江戸時代以前には「香哥某」の居館があったとしている。香哥氏は、源頼朝に倣って「富士権現」を祀ったため「富士太郎」と呼ばれたのではないかと推測されるが、元亀元年(1570年)頃の合戦で滅んでしまったらしい。因みに、現在のJR「秋田」駅周辺は、近世以前は殆ど湿地帯であり住みよい場所ではなかったが、「富士山」の直ぐ下には太平川が流れており、近くで石器も見つかったとされているので、この辺りは太古から人が住み着いた土地だったと思われる。なお、江戸時代に佐竹氏が久保田城を築く際、「富士山」からも土地取りをしたらしく、元々の大きさの四分の一くらいになってしまったとのこと。
ところで、最近の調査では、愛知県の「佐久島」という離島にも「富士山」があり、こちらの標高は31mで、自然の山としては最も低い「富士山」ということになっている。人工の山で良ければ、秋田県大潟村に「大潟富士」があり、こちらは標高0m。どういうことかと言うと、元々、大潟村は浅い湖だった「八郎潟」を干拓してできた村で、海水面より低い土地も多い。そこに、高さ3.776m(「富士山」の千分の一)で、かつ標高(海抜)0mになるように築山を造ったということらしい。これより低い山はまず無いと思われるのだが、人工の山ということで、国土地理院の地形図には掲載されていないという。


写真1:「(明田)富士山」全景


写真2:同上、登り口


写真3:中腹にある「明田稲荷大明神」祠


写真4:山頂に祀られている「富士大権現」(祭神:木花咲耶姫)


写真5:「日本一低い富士山」標柱。山頂からは秋田市の市街地が見下ろせる。
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足柄万葉公園

2011-12-02 23:59:25 | その他
足柄万葉公園(あしがらまんようこうえん)。
場所:神奈川県南足柄市矢倉沢。静岡県道・神奈川県道78号線(御殿場大井線)沿い、足柄峠から神奈川県側に約400m下ったところ。駐車場あり。
万葉集に「足柄」を詠った歌が17首あるという。そのうちの7首を石碑にして、それらを巡る散策路を整備した公園が「足柄万葉公園」で、足柄平野や相模湾を見下ろす景色がよく、隠れた夜景スポットともなっている。
万葉歌碑は、例えば、写真2:「安思我良乃 美佐可加思古美 久毛利欲能 阿我志多婆倍乎 許知弖都流可毛」。「足柄の 御坂畏み 曇り夜の 我が下延(したばえ)を 言出(こちで)つるかも」、意味は「足柄峠の神が恐ろしく、(峠を越えるときに)心の奥に秘めていた恋人の名を告げてしまった。(言ってはいけなかったのに。)」。作者不詳。
写真3は、「足柄の 御坂に立して 袖振らば 家なる妹は さやに見もかも」、意味は「足柄峠に立って袖を振ったら、家に残してきた妻ははっきりと見るだろうか。」。こちらは作者名が判っていて、埼玉郡の防人、藤原部等母麿(ふじわらのともまろ)。埼玉郡は現在の埼玉県東部とされており、そこから防人として都方面に向う途中の足柄峠で詠んだものとされる。
歌のことは全くの門外漢なので、これ以上のことは書かないが、写真2の歌では、当時「恋人の名を口に出す」ことはタブーだったとか、写真3の「袖を振る」というのは「魂を招く」ことを意味した(足柄峠から袖を振っても見えるはずはないので、テレパシーの類いだろう。)とか、研究すれば面白いことがいろいろあるようだ。
ここで、この2首について注意すべきことは2つ。1つは、どちらも足柄峠を「足柄の御坂」と敬称をつけていることで、元々、坂は「境」で、境界には神が宿っていた。まして、足柄峠は国境の坂である。敬意をもって当然だっただろう。2つ目は、そういう神が宿る場所だからこそ、タブーを破ったり、遠く離れた妻に念を送ったりという神秘的なことを行ったということである。


南足柄市のHPから(足柄万葉公園)

「南足柄の散歩道」のHPから(足柄峠と万葉公園)


写真1:「足柄万葉公園」入口付近の「かながわの景勝50選 足柄峠」の碑


写真2:万葉歌碑の1つ。この碑だけが万葉仮名による。


写真3:同上
コメント (3)
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中清水水神公園

2011-11-15 23:41:43 | その他
中清水水神公園(なかしみずすいじんこうえん)。
場所:御殿場市中清水641-1地先。国道246号線「矢場居」交差点から東に約200m入ると、道路の中央に木が生えているところがあるので、そこを右折(南へ)。「中清水報徳会館」という公民館?の先。駐車スペースあり。
富士山麓には多くの水源があるが、「中清水水神公園」もその一つで、小祠ながら鳥居を備えた「水神社」があり、清らかな水が湧き出している。この辺りは「駒門風穴」の真北、約1.5kmの場所にあり、「横走関」や古代東海道の「横走」駅の想定地内にあるといってよい場所である(2011年11月8日記事参照)。富士山の度重なる噴火によって、地形その他風景全体が古代とは全く違ったものになっているはずなので、当時と比べることはできないが、菅原孝標女が「更級日記」に記した「えもいはず大きなる石の四方なる中に、穴のあきたる中より出づる水の、清く冷たきことかぎりなし。」という情景は、例えば下の写真2のような姿だったとは考えられられないだろうか。清水が湧く場所も長い年月には変わってしまっただろうが、古くから、このような場所が多く見られたのではないだろうか。長い旅路には、泉はまさにオアシスであり、こうしたところにこそ駅家が置かれたのだろうと思う。


「名水アルバム」さんのHPから(中清水水神公園)


写真1:「水神公園」の看板


写真2:池の北側の水源。石の祠がある。


写真3:池の中の石像。不動明王だろうか?


写真4:池の南側の「水神社」。裏手に水源がある。





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オシャモッツアン

2011-04-20 22:54:36 | その他
焼津市「花沢の里」の道を日本坂峠に向かって上っていく途中に、「オシャモッツアン」と呼ばれる、岩が露出した場所がある。単なるゴツゴツした岩なのだが、祈ると歯痛に霊験あらたか、という。花沢の里(2011年4月19日記事)
「オシャモッツアン」とは不思議な名であるが、「焼津市史 民俗編」(平成19年7月)によれば、「花沢の里」にあるもののほかにも、同名のものについて記載されているが、全く別のものである。
それは「左口神社」で、左口公会堂(焼津市小川新町4丁目3-18)の敷地の奥に鎮座している。元々、この辺りには「左口森」という森があって、通称「オシャモッツァン」といわれる「左口神社」が祀られていた。旧・小川村の時代(明治2~昭和27年)には近くに避病院が設けられ、赤痢患者などが隔離されたが、全員が退院すると村役場から吏員がきて、この社の前で祭事を営んだ。元の避病院の跡は現在、隣接する「左口森公園」となっている。当神社の祭神は猿田彦命だが、御神体は男根状の石神とされており、男のシモの神さん、悪病避けの神さん、子宝の神さんなどと呼ばれていた、という。一般に、神社は社殿を南向き、又は東向きに建てるが、当神社は西向きになっている。南向き・東向きというのは日の出の方向で、当神社が西向きなのは、日の入り、すなわち陰の方向であり、陰=シモに関することに御利益があるのだという。
隣の藤枝市では「オシャモッサマ」というものがあり、村の隣接点に神仏を祀る例がある、という。藤枝市平島の「オシャモッサマ」は、平島・水守・市部の三ヵ村が接する水田の中にあり、こんもり土が盛られた上に榎、杉、漆、槇などの木が生い立ち、一種の塚となっている。地元の人々は「神様を祀る場所なら勝手に動かすこともできないので、揉め事にならなくてよい」と考えている、という(「藤枝市史 別編民俗」(平成14年3月)による。)。
以上、3つの「オシャモッツアン」は、名前は同じでも、「モノ」は異なる。共通するのは、①隆起したもの、あるいは凸形であること、②信仰の対象であること、があげられる。実は、「左口神社」は東日本で広く信仰される神社で、「諏訪神社」と関連が深いとされる。現在の「諏訪神社」の祭神は建御名方神であるが、一説では、元々「ミシャグヂ」という神が信仰されていたとされる。「ミシャグヂ」神がどんな神だったか不明だが、元は巨岩や巨木などに対する自然信仰だったともいわれている。この「ミシャグヂ」神に、「御左口」神という字が当てられたとされる。
「ミシャグヂ」と「オシャモッツアン」、似ているような、似てないような、という感じだが、どうだろうか。


写真1:焼津市小川新町鎮座の「左口神社」。祭神:猿田彦命


写真2:社殿脇にある御神体のレプリカ?
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