神が宿るところ

古社寺、磐座、不思議・パワースポット、古代史など極私的な興味の対象を見に行く

白籏石尊古墳

2018-04-28 23:22:36 | 古墳
白籏石尊古墳(しらはたせきそんこふん)。木原白籏古墳群第2号墳。
場所:茨城県稲敷郡美浦村木原2207ほか。国道125号線沿い、JRバス関東の「如来寺前」バス停付近から北東方面へ道なりに約550m、「日本テキサスインスツルメンツ 美浦工場」正門の向かい側。駐車場なし。
「白籏石尊古墳」は、霞ヶ浦南岸の台地上にある木原白籏古墳群の1つで、前方後円墳。大きさは、全長約55m、後円部径約30m、前方部幅約25mで、同じ木原白籏古墳群の第1号墳「(木原)愛宕山古墳」(前項)に比べれば小さいものの、その分、観察し易いように思われる。発掘調査は行われていないが、「(木原)愛宕山古墳」に比べて前方部が発達していること、後円部墳頂にある「石尊大権現」石碑が箱式石棺の一部を転用した可能性があること等から、古墳時代後期(6世紀代)の築造と推定されている。なお、この古墳からは、村内で唯一、円筒埴輪が発見されているとのこと。
因みに、「石尊大権現」とは、相模国式内社「阿夫利神社」(現・神奈川県伊勢原市大山)の祭神とされてきた御神体(現在の祭神は大山祇大神であるが、かつては霊石が祀られていた。)である。「阿夫利神社」は、江戸時代までは神仏混淆、修験の山岳信仰の聖地であり、「雨降り」の神様として、五穀豊穣の神として崇敬された。かつては関東地方を中心に「大山講」という庶民参詣の講が盛んに組織されていたことから、当地にも勧請されたものであろう。


写真1:「白籏石尊古墳」上り口。説明板がある。後円部の丸い形がわかる。


写真2:同上


写真3:後円部から前方部を見る。なお、木原白籏古墳群の前方後円墳は、いずれも前方部が北西方向、即ち「筑波山」の方向を向いているとされる。


写真4:前方部から後円部を見る。


写真5:後円部墳頂にある「石尊大権現」の石碑。箱式石棺の一部?


写真6:括れ部分もよくわかる。
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愛宕山古墳(茨城県美浦村)

2018-04-21 23:13:32 | 古墳
愛宕山古墳(あたごやまこふん)。木原白幡古墳群第1号墳。同名の古墳が各地にあるため、木原愛宕山古墳とも。
場所:稲敷郡美浦村木原1512他。国道125号線から「木原小学校」の東側のところ、「木原保育所」の北側の道路に入り、東へ約80mで右折(南へ)、約150m。駐車場なし。ただし、「愛宕山古墳」入口前に「美浦村農林漁業者トレーニングセンター」があり、広い駐車場になっているので、これを利用できるものと思われる。
「(木原)愛宕山古墳」は、霞ヶ浦南岸の台地上にある木原白幡古墳群11基(うち湮滅3基)の第1号墳で、同古墳群に3基ある前方後円墳の1つで、村内最大規模。全長約81m、前方部幅約38m、後円部径約67mという大きさであるが、前方部は道路のためにかなり削平されているとのことで、本来の全長は100m余ともいう。後円部墳頂に「愛宕神社」(祭神:軻遇突智神(カグツチ))が鎮座しているが、その社殿の下に石棺が埋められていたという。鳥居下の参道の石段の一部に、その石棺の板石が使われているらしい。二段築成された後円部には円筒埴輪が巡らせてあり、前方部が後円部に比べて狭いなどの形態から、築造時期は5世紀頃とされている。なお、式内社「楯縫神社」(2018年3月24日記事)の北西、約950m(直線距離)のところにあり、何らかの関係があるのだろうと思われる。


写真1:「愛宕山古墳」入口。古墳前方部側に「愛宕神社」の鳥居がある。写真を撮り損ねたが、石段の一部(一番手前で、粗目に削られた石材)は、石棺の一部を流用しているらしい。


写真2:前方部を通って、後円部へ向かう。


写真3:後円部墳頂にある「愛宕神社」社殿


写真4:古墳の北側の道路。奥が少しカーヴしているが、古墳の括れ部分。





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黒坂命古墳(弁天塚古墳)

2018-04-14 23:42:50 | 古墳
黒坂命古墳(くろさかのみことこふん)。大塚古墳群第1号墳。弁天塚古墳。
場所:茨城県稲敷郡美浦村大塚90ほか。茨城県道120号線(上新田木原線)終点(国道125号線交点)から東に約2.4km。県道のバイパス側に案内板があるが、入口は旧道側にある。駐車場なし。
「黒坂命古墳(弁天塚古墳)」は、霞ヶ浦南岸にある10基(うち6基は湮滅)からなる大塚古墳群の1つ(1号墳)で、径53.4m、高さ11.8mという大型の円墳。弘化4年(1847年)、塚の中腹にあった稲荷社を塚上に遷社祭祀しようと整地した際に、箱式石棺が出土し、石棺の中には剣や甲冑、鏡等が見つかったという。江戸時代の国学者・色川三中(現・土浦市出身)は、「黒坂命墳墓考」にその様子を記すとともに、「常陸国風土記」に登場する「黒坂命」(クロサカ)の墳墓であろうとしている。「常陸国風土記」(「萬葉集注釈」逸文)によれば、「黒坂命が奥州の蝦夷を討伐に行って凱旋する途中、多珂郡の角枯山(現・日立市の黒前山)で病死した。黒坂命の棺を載せた葬礼の車が日高見国に至るまで、赤幡(旗)・青幡が翻り、葬礼の道を輝かせた。このことから、当時の人々が「幡垂る(しだる)国」と言ったのを、今は「信太(しだ)」の国と言っている。」(大意)とある。「黒坂命」は多氏系の武人で、「常陸国風土記」茨城郡の条では、「国巣」(くにす、くず。ヤマト政権に恭順しない先住民)を茨棘を使った計略で討ち滅ぼした人物とされている(「多氏」については「大生神社」(2017年12月9日記事)参照)。
平成17年に筑波大学考古学研究室が測量調査を行い、墳丘の北側に幅4mの溝があったことを確認したという。築造時期は、形態等から古墳時代中期前半頃(5世紀前半頃?)とされる。残念ながら、出土物は行方不明になっていて、色川三中の考証にも関わらず、「黒坂命」の墳墓との断定はできないということらしい。


写真1:「黒坂命古墳」。県道120号線(バイパス)にある案内板の方から見る。


写真2:旧道側にある上り口(「厳島神社」参道)


写真3:墳丘上にある石祠。向かって左が「稲荷神社」、右が「厳島神社」


写真4:「古墳記」石碑


写真5:墳丘上から北を見る。直ぐ下に霞ヶ浦。古代にはもっと水位が高かったと思われるので、殆ど水際にあったのかもしれない。


写真6:北西側から見る。
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陸平貝塚

2018-04-07 23:10:25 | 史跡・文化財
陸平貝塚(おかだいらかいづか)。
場所:茨城県稲敷郡美浦村馬見山字貝売391-2他。茨城県道122号線(大山江戸崎線)沿い、「安中郵便局」の東側の道路を北へ(案内標識がある。)、約170mで広大な駐車場。駐車場から北へ少し上ると「美浦村文化財センター」があるが、その先、「陸平貝塚」前まで自動車で行ける。
「陸平貝塚」は、霞ヶ浦南岸の舌状台地にある縄文時代前期~後期の貝塚で、東西約250m、南北約150mの範囲に環状に大小8つの貝塚が発見されている。このうち「陸平貝塚A貝塚」は、当時東京大学の学生であった佐々木忠次郎、飯島魁によって発掘調査が行われたもので、日本人の手で初めて発掘調査が行われたということで我が国の考古学史上でも大きな意義を有する遺跡となっている。かつて、住宅団地やリゾート地として開発しようとする計画があったが、いずれも頓挫し、現在は「陸平貝塚公園」として整備されている。なお、公園内に数ヵ所「ぶくぶく水」という湧き水がある。「常陸国風土記」信太郡の条に、「郡家の北10里(約5km)のところに「碓井」がある。古老の話では、景行天皇が「浮島」(現・稲敷市浮島)に行幸になったときに、差し上げる飲料水がなかった。そこで、占いによって吉となる場所を何ヵ所か掘らせた。それが、今も「雄栗」の村にある。」という記事がある。「信太郡家(郡衙)」は現・美浦村信太付近(前項「楯縫神社(美浦村信太)」参照)とされているので、方位は北東になるが、「碓井」・「雄栗」が「陸平貝塚」付近にあったものと考えられ、「ぶくぶく水」がその井戸だったのではないか、ともいう。
因みに、「陸平貝塚公園」の北側(台地の北端、霞ヶ浦を見下ろす位置)に「大宮大神(大宮神社)」が鎮座している。社伝によれば、白雉元年(650年)に生田長者満盛が氏神として創立、白鳳元年(673年)に伊勢大神(天照大神)を奉斎、奈良時代に阿部仲成(安部仲成。「安中郷」の名の起こりという。)が朝廷の許しを得て正式に勧請し、安中郷24ヵ村の総鎮守となったという。社伝が真実なら相当な古社だが(「常陸国風土記」(「釈日本紀逸文」)によれば、信太郡の建郡が白雉4年(653年)である。)、縄文時代から集落があり、その絶好の場所に鎮座していることを考えれば、古くから祭祀が行われていた可能性はあると思われる。


美浦村のHPから(陸平貝塚公園のご紹介)

茨城県のHPから(ぶくぶく水)

茨城県神社庁のHPから(大宮大神)


写真1:「国指定史跡 陸平貝塚」の石碑


写真2:同上、説明板


写真3:「陸平貝塚A貝塚」


写真4:「陸平貝塚公園」


写真5:同上、復元竪穴式住居


写真6:「大宮大神」(大宮神社)正面


写真7:同上、社殿
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