雲富山 池光院 大慈恩寺(くもとみさん ちこういん だいじおんじ)。
場所:千葉県成田市吉岡183-1。国道51号線「大栄工業団地入口」交差点から北東へ約500mのところで左折(北へ)、道なりに約300m。駐車場有り。
寺伝によれば、天平宝字5年(761年)、鑑真和上によって創建された。鑑真が当地を訪れたとき、紫雲に富み、池が異光を放つという瑞祥があったので、慈悲恩賜のため「雲富山 池光院 慈恩寺」を建立したという。鎌倉時代後期、千葉氏の一族である大須賀氏の厚い保護を受け、奈良「西大寺」の真源上人により中興された。室町時代になると、光明天皇の時に勅願寺となり、暦応4年(1341年)には足利直義(足利尊氏の弟。副将軍)が境内に下総国利生塔を建立したほか、明徳2年(1391年)には後小松天皇から「大」の一字を賜って「大慈恩寺」と改称された。利生塔は後醍醐天皇を始めとする戦没者の菩提を弔うために一国一塔の仏塔として建立したもので、当寺の利生塔は明治35年に暴風により倒壊し、現在は1辺45~50cmの礎石14個が残るだけとなっている。なお、江戸時代までは真言律宗であったが、現在は真言宗智山派に属する。本尊は清涼寺様式の釈迦如来立像で、平成4年の修復の際、胎内に明応4年(1495年)作という墨書が見つかったという。
「ちばの観光まるごと紹介」のHPから(大慈恩寺)
写真1:「大慈恩寺」勅使門
写真2:境内参道
写真3:利生塔礎石群(成田市指定文化財)。雑草に覆われて見えない・・・
写真4:板碑群(成田市指定文化財)
写真5:梵鐘(千葉県指定有形文化財)。延慶3年(1310年)銘があり、中興の真源上人の名が記されている。
写真6:本堂
場所:千葉県成田市吉岡183-1。国道51号線「大栄工業団地入口」交差点から北東へ約500mのところで左折(北へ)、道なりに約300m。駐車場有り。
寺伝によれば、天平宝字5年(761年)、鑑真和上によって創建された。鑑真が当地を訪れたとき、紫雲に富み、池が異光を放つという瑞祥があったので、慈悲恩賜のため「雲富山 池光院 慈恩寺」を建立したという。鎌倉時代後期、千葉氏の一族である大須賀氏の厚い保護を受け、奈良「西大寺」の真源上人により中興された。室町時代になると、光明天皇の時に勅願寺となり、暦応4年(1341年)には足利直義(足利尊氏の弟。副将軍)が境内に下総国利生塔を建立したほか、明徳2年(1391年)には後小松天皇から「大」の一字を賜って「大慈恩寺」と改称された。利生塔は後醍醐天皇を始めとする戦没者の菩提を弔うために一国一塔の仏塔として建立したもので、当寺の利生塔は明治35年に暴風により倒壊し、現在は1辺45~50cmの礎石14個が残るだけとなっている。なお、江戸時代までは真言律宗であったが、現在は真言宗智山派に属する。本尊は清涼寺様式の釈迦如来立像で、平成4年の修復の際、胎内に明応4年(1495年)作という墨書が見つかったという。
「ちばの観光まるごと紹介」のHPから(大慈恩寺)
写真1:「大慈恩寺」勅使門
写真2:境内参道
写真3:利生塔礎石群(成田市指定文化財)。雑草に覆われて見えない・・・
写真4:板碑群(成田市指定文化財)
写真5:梵鐘(千葉県指定有形文化財)。延慶3年(1310年)銘があり、中興の真源上人の名が記されている。
写真6:本堂