熊野大社(くまのたいしゃ)。通称:宮内熊野大社。
場所:山形県南陽市宮内3476-1。山形鉄道フラワー長井線「宮内」駅の北、約1km。宮内小学校の北側。駐車場有り。なお、山形県神社庁HPでは、「熊野神社」:南陽市宮内字坂町3707-1 となっている。
社伝によれば、国分寺建立の頃(聖武天皇の詔は天平13年:741年)に創祀し、大同元年(806年)に平城天皇の勅命により紀伊国(現・和歌山県)「熊野権現」を勧請して再興されたとする。貞観6年(864年)には、慈覚大師(円仁。第3代天台座主)が当地を訪れ、本尊として阿弥陀如来・薬師如来・観音菩薩の三尊と大黒天の像を納めた。また、久寿2年(1155年)、後白河天皇即位の際に天下泰平の祈祷を命じられ、それ以来、勅願所になったという。その後は、歴代の領主である長井氏、伊達氏、上杉氏らの崇敬が篤く、社領の寄進や社殿の造営・修復などが行われた。なお、紀伊国「熊野権現」(「熊野三山」)と同様、近世以前には神仏混淆色が強く、「熊野三山」と同じ「證誠寺」の寺号を称することを許され、最盛時には33の宿坊があったという。明治時代に入ると神仏分離により仏教色は廃され、大正6年に県社に列した。現在の祭神は、熊野夫須美大神(伊弉冉尊)・熊野速玉大神(伊弉諾尊)・熊野家津御子大神(素盞鳴尊)。
「大同」という年号は、出羽国の古社寺の創建伝承によく出てくるもので、信憑性は低い。源義家(1039~1106年)が「前九年の役」戦勝に感謝し、康平6年(1063年)に紀伊国「熊野権現」を再勧請して「日本第一大霊験権現」と尊称したともいい、また、平維盛(1158~1184年)により創建されたとする説もあるようなので、実際には平安時代末期頃の創建ではないだろうか。ともあれ、中世以降、東北地方での熊野信仰の中心地となり、紀伊国「熊野三山」、現・長野県軽井沢町の「熊野皇大神社」とともに、「日本三熊野」の1つと称されるようになっている。
「東北の伊勢 熊野大社」のHP
玄松子さんのHPから(熊野大社(山形))
「南陽市文化財検索」のHPから(熊野神社の大イチョウ)
写真1:「熊野大社」参道入口の巨大な石鳥居。「日本三熊野」の1つというだけあって、参道も広くて長い。
写真2:境内入口前の会館「證誠殿」。学頭寺だった「證誠寺跡」の石碑がある。
写真3:境内入口。右手の「熊野神社の大イチョウ」は山形県指定天然記念物で、根回り7.7m。突き当たり左の石段を上って行く。
写真4:社殿。巨大な萱葺屋根。
写真5:同上
写真6:本殿裏手
写真7:本宮裏の彫刻に3羽のウサギが隠れており、それを全て見つけると「願いが叶う」とされる。これは、一番わかりやすいウサギで、2羽までは何とか見つかるが、3羽目が難しい。
場所:山形県南陽市宮内3476-1。山形鉄道フラワー長井線「宮内」駅の北、約1km。宮内小学校の北側。駐車場有り。なお、山形県神社庁HPでは、「熊野神社」:南陽市宮内字坂町3707-1 となっている。
社伝によれば、国分寺建立の頃(聖武天皇の詔は天平13年:741年)に創祀し、大同元年(806年)に平城天皇の勅命により紀伊国(現・和歌山県)「熊野権現」を勧請して再興されたとする。貞観6年(864年)には、慈覚大師(円仁。第3代天台座主)が当地を訪れ、本尊として阿弥陀如来・薬師如来・観音菩薩の三尊と大黒天の像を納めた。また、久寿2年(1155年)、後白河天皇即位の際に天下泰平の祈祷を命じられ、それ以来、勅願所になったという。その後は、歴代の領主である長井氏、伊達氏、上杉氏らの崇敬が篤く、社領の寄進や社殿の造営・修復などが行われた。なお、紀伊国「熊野権現」(「熊野三山」)と同様、近世以前には神仏混淆色が強く、「熊野三山」と同じ「證誠寺」の寺号を称することを許され、最盛時には33の宿坊があったという。明治時代に入ると神仏分離により仏教色は廃され、大正6年に県社に列した。現在の祭神は、熊野夫須美大神(伊弉冉尊)・熊野速玉大神(伊弉諾尊)・熊野家津御子大神(素盞鳴尊)。
「大同」という年号は、出羽国の古社寺の創建伝承によく出てくるもので、信憑性は低い。源義家(1039~1106年)が「前九年の役」戦勝に感謝し、康平6年(1063年)に紀伊国「熊野権現」を再勧請して「日本第一大霊験権現」と尊称したともいい、また、平維盛(1158~1184年)により創建されたとする説もあるようなので、実際には平安時代末期頃の創建ではないだろうか。ともあれ、中世以降、東北地方での熊野信仰の中心地となり、紀伊国「熊野三山」、現・長野県軽井沢町の「熊野皇大神社」とともに、「日本三熊野」の1つと称されるようになっている。
「東北の伊勢 熊野大社」のHP
玄松子さんのHPから(熊野大社(山形))
「南陽市文化財検索」のHPから(熊野神社の大イチョウ)
写真1:「熊野大社」参道入口の巨大な石鳥居。「日本三熊野」の1つというだけあって、参道も広くて長い。
写真2:境内入口前の会館「證誠殿」。学頭寺だった「證誠寺跡」の石碑がある。
写真3:境内入口。右手の「熊野神社の大イチョウ」は山形県指定天然記念物で、根回り7.7m。突き当たり左の石段を上って行く。
写真4:社殿。巨大な萱葺屋根。
写真5:同上
写真6:本殿裏手
写真7:本宮裏の彫刻に3羽のウサギが隠れており、それを全て見つけると「願いが叶う」とされる。これは、一番わかりやすいウサギで、2羽までは何とか見つかるが、3羽目が難しい。