八幡神社(はちまんじんじゃ)。通称:神宮寺八幡神社(じんぐうじはちまんじんじゃ)。
場所:秋田県大仙市神宮寺字神宮寺33。国道13号線「神宮寺小学校」交差点から南東に約300m。ただし、現在の国道13号線側は当神社の裏手になる。駐車スペース有り。
社伝によれば、大同2年(806年)、征夷大将軍・坂上田村麻呂が現・秋田県の男鹿半島「寒風山」に住む賊・大猛丸を退治するのに向う際、当地で兵を募り、「八幡大神」に戦勝を祈願した。首尾よく目的を果たした帰路、社殿を建立したと言う。その後、一時衰微したが、寛治3年(1089年)に源義家(八幡太郎)が再建(建久3年(1192年)に源頼朝が再建、と言う説もある。)し、「八幡大菩薩」大旗1流などを奉納した(現存、大仙市指定有形文化財。ただし、製作年代不明)という。佐竹氏入封後は篤く崇敬され(佐竹氏は清和源氏の家系)、藩主が江戸との往復時の途中に必ず参拝したという。なお、現在の社殿は宝永3年(1706年)の再建であるが、安永年間(1772~1780年)の大洪水により川欠けが生じたため現在地に遷座したとされる。なお、当地の地名である「神宮寺」は、当神社の別当・真言宗「去河山 神宮寺 華蔵院」に由来している。
当神社は、「神宮寺岳」山頂に鎮座する「嶽六所神社」(次項)の里宮とされており、同神社の社伝では、まず同神社の前身である式内社「副川神社」が創建された後、山麓に当神社が里宮として創建されたことになっているが、元々「神宮寺岳」自体を神体山とする神社であり、寧ろ麓から山を拝するのが本来の姿と考えられるので、当神社こそが式内社「副川神社」の後身ではないかと思われる。
秋田県神社庁のHPから(八幡神社)
玄松子さんのHPから(八幡神社(大仙市))
写真1:「八幡神社」境内(参道)入口
写真2:社殿正面
写真3:拝殿
写真4:同上
写真5:本殿
場所:秋田県大仙市神宮寺字神宮寺33。国道13号線「神宮寺小学校」交差点から南東に約300m。ただし、現在の国道13号線側は当神社の裏手になる。駐車スペース有り。
社伝によれば、大同2年(806年)、征夷大将軍・坂上田村麻呂が現・秋田県の男鹿半島「寒風山」に住む賊・大猛丸を退治するのに向う際、当地で兵を募り、「八幡大神」に戦勝を祈願した。首尾よく目的を果たした帰路、社殿を建立したと言う。その後、一時衰微したが、寛治3年(1089年)に源義家(八幡太郎)が再建(建久3年(1192年)に源頼朝が再建、と言う説もある。)し、「八幡大菩薩」大旗1流などを奉納した(現存、大仙市指定有形文化財。ただし、製作年代不明)という。佐竹氏入封後は篤く崇敬され(佐竹氏は清和源氏の家系)、藩主が江戸との往復時の途中に必ず参拝したという。なお、現在の社殿は宝永3年(1706年)の再建であるが、安永年間(1772~1780年)の大洪水により川欠けが生じたため現在地に遷座したとされる。なお、当地の地名である「神宮寺」は、当神社の別当・真言宗「去河山 神宮寺 華蔵院」に由来している。
当神社は、「神宮寺岳」山頂に鎮座する「嶽六所神社」(次項)の里宮とされており、同神社の社伝では、まず同神社の前身である式内社「副川神社」が創建された後、山麓に当神社が里宮として創建されたことになっているが、元々「神宮寺岳」自体を神体山とする神社であり、寧ろ麓から山を拝するのが本来の姿と考えられるので、当神社こそが式内社「副川神社」の後身ではないかと思われる。
秋田県神社庁のHPから(八幡神社)
玄松子さんのHPから(八幡神社(大仙市))
写真1:「八幡神社」境内(参道)入口
写真2:社殿正面
写真3:拝殿
写真4:同上
写真5:本殿