足柄明神跡(あしがらみょうじんあと)。
場所:静岡県駿東郡小山町竹之下と神奈川県南足柄市矢倉沢の境界付近。静岡県道・神奈川県道78号線(御殿場大井線)沿いで、足柄峠から神奈川県側に少し下がったところ。駐車場なし(「足柄峠広場公園」に駐車場あり)。
現在、神奈川県南足柄市苅野274に鎮座する「足柄神社」は、社伝によれば、天慶3年(940年)に明神ヶ岳に祀られたのが創始で、足柄峠、矢倉岳に遷座した後、鎌倉時代末期に現在地に遷座したとされる。このため、明治時代には「矢倉神社」と称したが、昭和14年に「足柄神社」に改称したという。主祭神は天照皇大御神であるが、伝承によれば、日本武尊東征のとき、明神ヶ岳から足柄峠を越えようとして道に迷い、白鹿に導かれて無事に峠を越えたといい、これを神霊の導きであるとして祀ったものという。
足柄峠の「足柄明神跡」は、その足柄峠の神社跡とされ、いわば足柄峠越えの守り神である。創建伝説に日本武尊が関わるということは、古代東海道沿いの神社には、よくある。矢倉岳山頂(870m)には、今も石祠があり、いわば「足柄神社」の奥宮とされているようだが、「足柄神社」は中世には神仏混淆しており(苅野には本地仏として聖観音像を祀る観音堂が残っている。)、山頂に祠を置くというのも中世的というか、密教・修験の影響と思う。古代には、単に旅の安全を守る山の神、または道の神だったのだろうと思われる。
なお、足柄峠は、中世後期に足柄城が築かれ、「足柄明神跡」も足柄城の出丸として利用されたところという。
景図工房さんのHPから(足柄神社)
神奈川県神社庁のHPから(足柄神社)
写真1:「足柄明神跡」入口の鳥居。扁額は「足柄明神」
写真2:今は玉垣に囲まれた石祠がある。
写真3:同上
場所:静岡県駿東郡小山町竹之下と神奈川県南足柄市矢倉沢の境界付近。静岡県道・神奈川県道78号線(御殿場大井線)沿いで、足柄峠から神奈川県側に少し下がったところ。駐車場なし(「足柄峠広場公園」に駐車場あり)。
現在、神奈川県南足柄市苅野274に鎮座する「足柄神社」は、社伝によれば、天慶3年(940年)に明神ヶ岳に祀られたのが創始で、足柄峠、矢倉岳に遷座した後、鎌倉時代末期に現在地に遷座したとされる。このため、明治時代には「矢倉神社」と称したが、昭和14年に「足柄神社」に改称したという。主祭神は天照皇大御神であるが、伝承によれば、日本武尊東征のとき、明神ヶ岳から足柄峠を越えようとして道に迷い、白鹿に導かれて無事に峠を越えたといい、これを神霊の導きであるとして祀ったものという。
足柄峠の「足柄明神跡」は、その足柄峠の神社跡とされ、いわば足柄峠越えの守り神である。創建伝説に日本武尊が関わるということは、古代東海道沿いの神社には、よくある。矢倉岳山頂(870m)には、今も石祠があり、いわば「足柄神社」の奥宮とされているようだが、「足柄神社」は中世には神仏混淆しており(苅野には本地仏として聖観音像を祀る観音堂が残っている。)、山頂に祠を置くというのも中世的というか、密教・修験の影響と思う。古代には、単に旅の安全を守る山の神、または道の神だったのだろうと思われる。
なお、足柄峠は、中世後期に足柄城が築かれ、「足柄明神跡」も足柄城の出丸として利用されたところという。
景図工房さんのHPから(足柄神社)
神奈川県神社庁のHPから(足柄神社)
写真1:「足柄明神跡」入口の鳥居。扁額は「足柄明神」
写真2:今は玉垣に囲まれた石祠がある。
写真3:同上