神が宿るところ

古社寺、磐座、不思議・パワースポット、古代史など極私的な興味の対象を見に行く

遠賀神社(山形県鶴岡市外内島)

2015-03-21 23:43:07 | 神社
遠賀神社(おがじんじゃ)。
場所:山形県鶴岡市外内島字明神川原1。国道345号線(鶴岡南バイパス)と山形県道350号線(たらのき代鶴岡線)の交差点から北へ、約160m。駐車場なし(北側道路から境内に入って1~2台駐車できそう)。
当神社の創建時期は不明。社号標は単に「遠賀神社」だが、拝殿の扁額には「遠賀神社 戸隠神社」とあり、祭神も大山祇尊と手力雄命などとなっている。出羽国式内社「遠賀神社」の論社の1つだが、どの程度有力なのかがよくわからない。なお、鶴岡市遠賀原鎮座の「遠賀神社」(前項)とは、直線距離で600m足らずしか離れていない。
中古、当神社の社司と領主の武藤氏の間で争いがあり、社司は追放され、社殿は廃棄されて荒廃したが、神の崇りと思われる出来事が続いたため小祠を建てて祀ったという伝承があるという。


玄松子さんのHPから(遠賀神社(鶴岡市外内島))


写真1:「遠賀神社」正面鳥居。社号標は「遠賀神社」


写真2:社殿


写真3:同上、屋根が特徴的

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遠賀神社(山形県鶴岡市遠賀原)

2015-03-14 23:42:08 | 神社
遠賀神社(おがじんじゃ)。
場所:山形県鶴岡市遠賀原字高間々8。「斎小学校」前から北西に向かい、国道112号線との交差点を過ぎて、約400m。駐車場なし。
当神社の創建時期は不明。現在の祭神は倉稲魂命。出羽国式内社「遠賀神社」には3つの論社が存在し、前項の鶴岡市井岡鎮座の「遠賀神社」が最有力と思われるが、「式内社調査報告」(皇學館大学出版部)では、どの神社にも特に肩入れすることなく、当神社を含め並列的に取り扱っている。この3社は近いところにあり、由緒ある式内社ということで、耕地開拓などによって各地に勧請されたのだと思う。今となっては、いずれが本家かわからなくなっているのだろう。当神社が式内社「遠賀神社」論社である根拠としては、鎮座地が旧・斎村(いつきむら)の「遠賀原」という地名であること等だろう。ただ、こうした地名が古代から存在したか、ということを確認する必要がある。
なお、当神社には、日本で3番目に古い(元禄8年(1695年)銘)という「和算額」が所蔵されており、山形県指定有形文化財となっている。


玄松子さんのHPから(遠賀神社(鶴岡市遠賀原))


写真1:「遠賀神社」正面。社号標は「村社 遠賀神社」


写真2:社殿


写真3:境内社(手前が神明宮、奥が稲荷社と思われる。)


写真4:神社前のバス停「稲荷前」。元は「稲荷神社」?
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遠賀神社(山形県鶴岡市井岡)(出羽国式内社・その6)

2015-03-07 23:34:46 | 神社
遠賀神社(おがじんじゃ)。
場所:山形県鶴岡市井岡字和田181-1。「鶴岡工業高等専門学校」の北西、約500m。「鶴岡高専」校門前から国道345号線を東に約90m進んだところに「←井岡」という標識があり、左折(西へ)すると、約650mの真っ直ぐな参道。駐車場なし。
当神社の創建時期は不明。現在は「遠賀」を「おが」と読むが、本来は濁らずに「おか」であろう。元々は旧・岡山村(現・鶴岡市岡山)の伊波乎井(いわおい)、あるいは岩台というところに鎮座していたのを、天長2年(825年)に現在地に移転したという。旧鎮座地には神社の遺地と見られる跡があり、また、縄文時代中期から古代までの複合遺跡にもなっていて、石器・土器が出土している。江戸時代には土偶も出土していたといわれ、あるいは、古墳があったのかもしれない。したがって、聖地として「丘」を祀っていたのではないだろうか。
現在地への遷座については、一説に、天長2年(825年)に源楽上人が当地に勅願寺として「井岡寺(せいこうじ)」または「阿伽井坊 遠賀井寺(あかいぼう おかいじ)」を開山し、その鎮守として大山祇神(オオヤマツミ)を勧請したという。これにより、次第に神仏混淆して「岡大権現」と呼ばれたとされる。中世には、広大な境内地を有して「出羽高野」と称されたが、天正年間(1573~1593年)に兵火にかかり全山焼失、慶長17年(1612年)に最上義光によって再建されたという。江戸時代には仏式の伽藍が9院、末寺が6寺あったが、明治の神仏分離により神社と寺院の境界が分けられ、神社の方は式内社「遠賀神社」と認められたとのこと。なお、現在の主祭神は豊岡比賣神(トヨオカヒメ)であるが、この神は「伊勢神宮外宮」に祀られる豊受大神の別名であるとされる。

(注:「井岡寺」様からのご指摘により一部修正しました。2018.8.25)


「井岡寺の歴史散歩」のHP:参考になります。

玄松子さんのHPから(遠賀神社(鶴岡市井岡))


写真1:「遠賀神社」一の鳥居。社号標は「延喜式内 郷社遠賀神社」。社殿は丘の上。


写真2:同上、杉木立の中の参道


写真3:同上、社殿


写真4:隣接する旧・別当寺、真言宗智山派「大日山 井岡寺」入口。仁王門がある。


写真5:同上、護摩堂(学頭「不動院」)。「井岡寺」さんによれば、「本堂であった観音堂が神社に取られてしまった為現在の護摩堂を転用して」いるとのこと。本尊は十一面観音で、平安中期頃のものという。
コメント (2)
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