肥付石(こえつきいし)。
場所:老人ホーム「社会福祉法人東桜会 麻機園」(静岡市葵区東527-1)とその駐車場の間の路傍。県道74号線(山脇大谷線)から「県立こども病院」前の道路を更に北上、「麻機園」の案内板が出ているところで東に入る。
「肥付石」は、上部が丸くなった、特に変哲もないような石だが、説明板によれば、「罪深い人が触ると、足や身体が腫れる」というもの。「肥付」という名前からすると、単なる「腫れ」ではなく、かなり膨らんでしまうというイメージだろう。それで連想されるのが象皮病。象皮病は、フィラリアという寄生虫によってリンパ管に炎症が起きて浮腫(むくみ)ができ、皮膚が象のようになってしまう病気で、特に陰嚢に発症すると、陰嚢が腫れて人頭大まで巨大化することもある。この例で有名なのが西郷隆盛で、西郷が西南戦争で敗れて自害した際、首のない死体(首は政府軍に取られるのを恐れて隠された。)を識別したのは、巨大な陰嚢であったという。それはさておき、フィラリアは蚊によって媒介されるので、かつては広大な麻機沼を含む湿地帯だった、この地区に象皮病が蔓延していてもおかしくはない(わが国では、現在では根絶されている。)。
なお、この石は、かつては山の中腹にあったものが、下ろされて現在の場所に置かれたともいい、また、一説には、舟の舫い綱を結びつける石だったともいわれている。「罪深い・・・」はともかく、触ると病気になる、祟られる、というのは、その石が神聖なものだったのかもしれない(因みに、病を治すには、針金で造った鳥居を供えて祈るしかないとされる。)。ひょっとすると、行政的な権威の象徴として尊重されるべきもの、例えば、古代官道には標識として「立石」が建てられたケースが多い。この場合、石自体は特に変哲もないが、政権の権威を示すものとしてアンタッチャブルだったかもしれない。この辺りも、安倍郡家の何らかの施設があった可能性がある場所である。
ところで、老人ホーム「麻機園」の裏山には、もう1つ奇石があるそうだ。「鈴石天神」といい、大きな石の横腹に丸い穴があいていて、小石を投げ込むと鈴のような音がいつまでも続く、といわれた石である。かつては、この石自体を御神体として祀り、「鈴石天神」と称したという(現在、「天神社」は「日賀美神社」(静岡市葵区東123)に合祀されている。)。実は、むしろ、この石が見たくて何回か探したのだが、よくわからず断念してしまった。とても残念に思っている。
「鈴石天神」のカラー写真は、「静岡ミステリーツアー情報局」さんのブログから(麻機の石信仰)
写真1:「肥付石」
写真2:隣の「延命地蔵堂」。明和5年(1768年)に疫病が流行ったとき、峠の切り通しに建てられたもの。その後、改修工事により道路との高低差ができてしまったため、現在地に下ろしたという。
場所:老人ホーム「社会福祉法人東桜会 麻機園」(静岡市葵区東527-1)とその駐車場の間の路傍。県道74号線(山脇大谷線)から「県立こども病院」前の道路を更に北上、「麻機園」の案内板が出ているところで東に入る。
「肥付石」は、上部が丸くなった、特に変哲もないような石だが、説明板によれば、「罪深い人が触ると、足や身体が腫れる」というもの。「肥付」という名前からすると、単なる「腫れ」ではなく、かなり膨らんでしまうというイメージだろう。それで連想されるのが象皮病。象皮病は、フィラリアという寄生虫によってリンパ管に炎症が起きて浮腫(むくみ)ができ、皮膚が象のようになってしまう病気で、特に陰嚢に発症すると、陰嚢が腫れて人頭大まで巨大化することもある。この例で有名なのが西郷隆盛で、西郷が西南戦争で敗れて自害した際、首のない死体(首は政府軍に取られるのを恐れて隠された。)を識別したのは、巨大な陰嚢であったという。それはさておき、フィラリアは蚊によって媒介されるので、かつては広大な麻機沼を含む湿地帯だった、この地区に象皮病が蔓延していてもおかしくはない(わが国では、現在では根絶されている。)。
なお、この石は、かつては山の中腹にあったものが、下ろされて現在の場所に置かれたともいい、また、一説には、舟の舫い綱を結びつける石だったともいわれている。「罪深い・・・」はともかく、触ると病気になる、祟られる、というのは、その石が神聖なものだったのかもしれない(因みに、病を治すには、針金で造った鳥居を供えて祈るしかないとされる。)。ひょっとすると、行政的な権威の象徴として尊重されるべきもの、例えば、古代官道には標識として「立石」が建てられたケースが多い。この場合、石自体は特に変哲もないが、政権の権威を示すものとしてアンタッチャブルだったかもしれない。この辺りも、安倍郡家の何らかの施設があった可能性がある場所である。
ところで、老人ホーム「麻機園」の裏山には、もう1つ奇石があるそうだ。「鈴石天神」といい、大きな石の横腹に丸い穴があいていて、小石を投げ込むと鈴のような音がいつまでも続く、といわれた石である。かつては、この石自体を御神体として祀り、「鈴石天神」と称したという(現在、「天神社」は「日賀美神社」(静岡市葵区東123)に合祀されている。)。実は、むしろ、この石が見たくて何回か探したのだが、よくわからず断念してしまった。とても残念に思っている。
「鈴石天神」のカラー写真は、「静岡ミステリーツアー情報局」さんのブログから(麻機の石信仰)
写真1:「肥付石」
写真2:隣の「延命地蔵堂」。明和5年(1768年)に疫病が流行ったとき、峠の切り通しに建てられたもの。その後、改修工事により道路との高低差ができてしまったため、現在地に下ろしたという。