熊野神社(くまのじんじゃ)。
場所:山形県鶴岡市湯温海字湯温海67(里宮)。国道7号線から、JR羽越本線「あつみ温泉」駅付近で山形県道44号線(余目温海線)を西へ、約2.6km。駐車場は、当神社の約250m西にある「温海温泉旅館協同組合」裏の立体駐車場2階を利用。
当神社の創建については、「あつみ温泉」の開湯と絡んで諸説あるが、最も古いものは、白鳳元年(672年)に役行者が当地で温泉を発見し、霊夢により温海嶽(温海岳:標高736m)山頂に由豆佐賣神を祀ったのが最初であるという。あるいは、養老5年(721年)に行基が温海嶽山頂に紀伊国(現・和歌山県)「熊野権現」を勧請したという。また、「あつみ温泉」の開湯については、大同2年(807年)に手負いの鶴が傷を治すのを見て発見したとか、嘉祥2年(849年)の大地震によって温泉が湧き出したとかいう説もある。いずれにせよ、古い歴史を有する温泉地で、最初はその温泉自体を祀ったものと思われる。
中世には尾浦城主・武藤氏が崇敬し、江戸時代に入ると庄内藩主・酒井氏から庇護され、明治9年に郷社、昭和11年に県社に指定されている。大正7年に「薬師神社」を合祀して現在地に遷座したが、昭和25年の「あつみ温泉」の大火に類焼したため、昭和33年に鉄筋コンクリート造で再建された。
「熊野神社」なので、熊野三山の神である櫛御気野命(クシミケヌ)なども祀ってはいるが、現在の主祭神は由豆佐賣神。「延喜式神名帳」所載の出羽国式内社「由豆佐賣神社」は当神社のことであるとして、主祭神を櫛御気野命から由豆佐賣神に変更することを内務省に申請し、昭和20年に認められたという。したがって、あまり知られていないが、式内社「由豆佐賣神社」の論社ということになる。
やまがた観光情報センター「やまがたへの旅」HPから(熊野神社)
あつみ観光協会のHP
写真1:「熊野神社」参道入口。県道から石段を上る。
写真2:石段脇に「あつみ温泉ばら園」
写真3:「熊野神社」鳥居
写真4:同上、社殿(里宮)。白塗りの鉄筋コンクリート製。なお、本宮は温海岳山頂にある(登山道を約2時間登る。)。
写真5:「あつみ温泉」中心部にある朝市広場の「温泉神社」拝所。こちらが旧鎮座地で、現在は裏手の奥の山腹に「温泉神社」が鎮座。
写真6:「温泉神社」入口鳥居。「あつみ温泉」の源泉地らしい。
写真7:「温泉神社」。祭神:大己貴命
場所:山形県鶴岡市湯温海字湯温海67(里宮)。国道7号線から、JR羽越本線「あつみ温泉」駅付近で山形県道44号線(余目温海線)を西へ、約2.6km。駐車場は、当神社の約250m西にある「温海温泉旅館協同組合」裏の立体駐車場2階を利用。
当神社の創建については、「あつみ温泉」の開湯と絡んで諸説あるが、最も古いものは、白鳳元年(672年)に役行者が当地で温泉を発見し、霊夢により温海嶽(温海岳:標高736m)山頂に由豆佐賣神を祀ったのが最初であるという。あるいは、養老5年(721年)に行基が温海嶽山頂に紀伊国(現・和歌山県)「熊野権現」を勧請したという。また、「あつみ温泉」の開湯については、大同2年(807年)に手負いの鶴が傷を治すのを見て発見したとか、嘉祥2年(849年)の大地震によって温泉が湧き出したとかいう説もある。いずれにせよ、古い歴史を有する温泉地で、最初はその温泉自体を祀ったものと思われる。
中世には尾浦城主・武藤氏が崇敬し、江戸時代に入ると庄内藩主・酒井氏から庇護され、明治9年に郷社、昭和11年に県社に指定されている。大正7年に「薬師神社」を合祀して現在地に遷座したが、昭和25年の「あつみ温泉」の大火に類焼したため、昭和33年に鉄筋コンクリート造で再建された。
「熊野神社」なので、熊野三山の神である櫛御気野命(クシミケヌ)なども祀ってはいるが、現在の主祭神は由豆佐賣神。「延喜式神名帳」所載の出羽国式内社「由豆佐賣神社」は当神社のことであるとして、主祭神を櫛御気野命から由豆佐賣神に変更することを内務省に申請し、昭和20年に認められたという。したがって、あまり知られていないが、式内社「由豆佐賣神社」の論社ということになる。
やまがた観光情報センター「やまがたへの旅」HPから(熊野神社)
あつみ観光協会のHP
写真1:「熊野神社」参道入口。県道から石段を上る。
写真2:石段脇に「あつみ温泉ばら園」
写真3:「熊野神社」鳥居
写真4:同上、社殿(里宮)。白塗りの鉄筋コンクリート製。なお、本宮は温海岳山頂にある(登山道を約2時間登る。)。
写真5:「あつみ温泉」中心部にある朝市広場の「温泉神社」拝所。こちらが旧鎮座地で、現在は裏手の奥の山腹に「温泉神社」が鎮座。
写真6:「温泉神社」入口鳥居。「あつみ温泉」の源泉地らしい。
写真7:「温泉神社」。祭神:大己貴命