神が宿るところ

古社寺、磐座、不思議・パワースポット、古代史など極私的な興味の対象を見に行く

仲山観音堂(茨城県古河市)

2024-11-16 23:30:05 | 寺院
仲山観音堂(なかやまかんのんどう)。
場所:茨城県古河市仁連557。茨城県道17号線(結城野田線)と筑西幹線道路の「宿」交差点から北へ約170m、県道が北東へカーヴしているところで右折(西へ)、約100mで右折(北へ)、約300m。駐車スペースあり。
真言宗「青谷山 東漸寺」の寺伝によれば、聖武天皇の皇后・光明皇后が懐妊のとき、行基に安産を祈らせた。行基は、摂津国仲山に夜々光明を放ち、異香が薫じた霊木があったのを取って、自ら数体の十一面観音像を刻して祈願したところ、無事に皇太子が誕生した。このため、摂津の仲山、宇田の仲山、佐代の仲山など、各地の仲山にこの観音像を勧請して、女人の安産の悩みを救うこととした。天平11年(739年)、鑑真が「下野薬師寺」(現・栃木県下野市)から遊行の折、当地で休憩したところ、笈に入れて背負ってきた行基作の観音像が急に重くなって動けなくなったので、当地に小庵を結んで観音像を安置した。これが「仲山観音堂」の創祀であり、当地の地名も「仲山」となったとされる。この観音の安産・子育ての御利益により、母親の死後、祖母が引き取った孫のために祈願すると、祖母から乳が出て孫を育てることができたという伝説がある。また、旱魃の折には、境内の「観音池」に請雨を祈念すると、雨が降ったという。現在は「東漸寺」の境外仏堂で、堂本尊の十一面観世音菩薩像は猿島坂東三十三観音霊場の第8番札所となっている。この観音像は、光明皇后の姿を写したとの伝承がある日本の総国分尼寺「法華寺」(現・奈良県奈良市)の十一面観世音菩薩像を摸刻したものらしく、中世後期頃の造立と推定されているとのこと。
さて、「東漸寺」の開基は文治5年(1189年)とされているので、(伝承では)「仲山観音堂」のほうが古い。元は「東漸寺」は「仲山観音堂」の西側の台地上にあったが、周辺には湿地帯が広がり、参拝には船が利用されていたという。その後、洪水被害などのため、「東漸寺」は現在地に移転したが、観音堂・石造物のみが残されたらしい。因みに、観音堂の裏に「仲山観世音古墳」と呼ばれる直径約20m・高さ約3mの円墳があり、古くからの霊地であったとも考えられるという。
蛇足:野暮なことだが、伝承に対する史実について補足。聖武天皇と光明皇后の第1皇子・基王は、神亀4年(727年)に誕生し、生後わずか33日目で皇太子に立てられたが、翌年には夭折している。その後も、男子は育たず、皇太子になったのは阿倍内親王(後の孝謙天皇)だった(立太子は天平10年(738年)、当時20歳。)。なお、行基は元々、国の許可を得ず布教活動を行うことを禁じた僧尼令に違反しているとして弾圧されており、民衆からの人気をみて朝廷側が行基を利用し始めたのは天平3年(731年)頃からである。また、「下野薬師寺」が創建されたのは7世紀末頃だが、鑑真が来日したのは天平勝宝5年(753年)で、鑑真により「下野薬師寺」に戒壇が設置されたのは天平宝字5年(761年)である。


写真1:「仲山観音堂」境内入口


写真2:「仲山観音堂」


写真3:観音霊場の奉納額


写真4:境内の供養塔


写真5:同上、右奥に「倶利伽羅龍神(倶利伽羅不動)」石塔


写真6:宝篋印塔など


写真7:観音堂の右手奥(境内の北東側)にある「仲山観世音古墳」


写真8:古墳から観音堂背後を見下ろす。円墳ということだが、西側の土塁とつながっていて、古墳の範囲がどこまでか、よくわからない。


写真9:「観音池」。現在は境内の東南角にある。
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清瀧山 薬王院 昌福寺

2024-11-02 23:33:37 | 寺院
清瀧山 薬王院 昌福寺(せいりゅうさん やくおういん しょうふくじ)。
場所:千葉県野田市関宿台町257。千葉県道26号線(境杉戸線)と同17号線(結城野田線)「野田市関宿台町」交差点から、南東へ約35m。駐車場あり。
寺伝によれば、天長5年(828年)、空海(弘法大師)が下総国水海村(現・茨城県古河市水海)に創建したという。長禄年間(1457~1459年)に、水海城主であった簗田持助(古河公方足利成氏の重臣)が関宿城に本拠地を移したことによって現在地に移築された。当寺院の住職は「下河邉」姓で、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて下総国葛飾郡下河辺荘と呼ばれていた地域(現・茨城県古河市から埼玉県春日部市、千葉県野田市などを含む)を開発した豪族・下河辺氏の子孫と考えられているという。江戸時代には、境内地1016坪、寺領15石、末寺17ヵ寺を有する大寺院だった。明治時代には、「台町小学校」として、また「関宿町役場」として使われていたが、明治26年、火災に遭い焼失。その後、無住の時代が長く続いたが、昭和34年、廃寺となった関宿江戸町「不動院」との合併により、不動堂や石造物などが移築された。現在は真言宗豊山派に属し、本尊は大日如来。
なお、境内の不動堂は、元は関宿藩主・久世氏の祈祷所だった「不動院」にあったものだが、文化15年(1818年)頃の建立で、羽目板や欄間などに見事な彫刻がある(後藤安五郎常善の作)。


清瀧山昌福寺のHP


写真1:「昌福寺」境内入口、寺号標


写真2:山門(仁王門)


写真3:山門を入ると、桜の木。正面奥に本堂。


写真4:「不動堂」(堂本尊:不動明王)。説明板も立派な屋根付き。


写真5:同上


写真6:同上、正面右


写真7:同上、正面左


写真8:同上、向かって左側(南西側)


写真9:同上、右側(北東側)


写真10:境内の石造物
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寳篋山 実相院 大上寺

2024-10-19 23:32:33 | 寺院
寳篋山 実相院 大上寺(ほうきょうさん じっそういん だいじょうじ)。通称:五霞観音。
場所:茨城県猿島郡五霞町元栗橋1125。茨城県道268号線(西関宿栗橋線)の「五霞町役場」北西の交差点(角にコンビニ「ファミリーマート五霞新幸谷店」がある。)から南西へ(案内標識の「元栗橋」方面)、道なりに約1.1kmで参道入口。参道を北西へ約70m進むと境内入口、その右手へ進むと駐車場あり。
社伝によれば、神亀3年(727年)、行基菩薩が当地に等身大の千手観世音像を祀る小庵を結んだのに始まるという。元は法相宗であったが、安永3年(1774年)に真言宗に改宗。明治2年に観音堂が焼失し、明治11年、現・茨城県古河市の「長谷寺」(「明観山 観音院 長谷寺」、通称:長谷観音。明治初年に廃寺になっていた。)から観音堂を移築した。明治22年、五霞村で初の村長・助役・村会議員の選挙は当寺院で行われた。現在は真言宗豊山派に属し、本尊は千手観世音菩薩。葛飾板東観音観音霊場の第1番札所(発願寺)で、御利益は安産育児。
流石に行基は当地には来ていないだろうし、開基伝承から近世までの資料がないのが残念だが、当寺院は現・五霞町では最も古く、檀家も多いとされている。五霞町は四方を全て川に囲まれた地形にあって、長く水害に悩まされてきたことから、民衆の救済事業として各種の土木工事を行ったとされる行基の名が開基として挙げられたのかもしれない。また、中世、「鎌倉幕府」(現・神奈川県鎌倉市)と関東各地を結ぶ「鎌倉街道」という道路網があった。このうち、「下野国府」(現・栃木県栃木市)を通って、「白河関」(現・福島県白河市)に向かう「中道(なかつみち)」という主要道路の支線が当寺院付近を通っていた。この道路は、現・埼玉県幸手市から権現堂川(旧・渡良瀬川)を渡って現・五霞町に入り、当寺院の背後(西側~北西側)を通って、五霞町小手指~現・古河市前林(近世の利根川東遷以前には陸続きだった。)を北上したとされていて、「鎌倉街道」の中でも古くから存在したものらしい。つまり、当寺院の創建が、鎌倉時代前期、あるいは平安時代に遡る可能性もあるということのようである。


写真1:「実相院」参道入口、寺号標(「真言宗 実相院」)


写真2:境内入口


写真3:本堂(観音堂、大悲閣)


写真4:同上、屋根


写真5:鐘楼堂(「龍華の鐘楼」)
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前林山 東光寺

2024-09-28 23:34:37 | 寺院
前林山 東光寺(まえばやしさん とうこうじ)。
場所:茨城県古河市前林1765。茨城県道56号線(つくば古河線)「上砂井」交差点から南東へ約850m、「前林」交差点を右折(南へ)、約350m進んで(案内板がある。)右折(北西へ)、狭い道路を約100mで参道前、駐車場あり。
寺伝によれば、第61代・朱雀天皇の連枝・伝真院二品親王により承平元年(931年)に開基された。当初の本尊は不動明王であったという。「平将門の乱」の兵火に遭い、堂宇が焼失。天承元年(1131年)に再興されたが、原野のままのようで、「原の坊」と呼ばれた。その後、中世での状況は不明となるが、江戸時代には、真言宗の教法道場として有力寺院となっており、慶安元年(1648年)には徳川幕府第3代将軍・徳川家光から朱印地10石を許され、最盛時には末寺30ヵ寺を数えた。寛保3年(1743年)に焼失、宝暦5年(1755年)に堂宇を再建し、供養塔(宝篋印塔)を建立した。現在は、真言宗豊山派に属し、本尊は胎蔵界大日如来。本堂のほか観音堂があり、堂本尊の千手観世音菩薩は、正徳4年(1714年)に開創された「葛飾坂東観音霊場」第8番札所となっている。また、境内に「東光寺の椎」というスダジイの巨木がある。樹高約15m・周囲約6mで、天承元年に堂宇が再興された際に植樹されたと伝えられていることから、推定樹齢約1000年とされる。
因みに、「前林」という地名(大字)は「ウマヤ林」が転訛したもので、古代官道の「駅家(うまや)」があったのではないかという説もある。これは、東側に隣接する現・古河市水海に「猿島郡家」があったとする説にも関連している(前々項「三島神社」(2024年9月14日記事)及び前項「水海城跡」(2024年9月21日記事)参照。)。また、中世には、現・古河市市街地に向かう「鎌倉街道」が前林を通っており、当寺院はその「鎌倉街道」に面していたとされている。
蛇足:当寺院の中世の状況は不明だが、一説に、現・神奈川県横浜市の真言律宗別格本山「金沢山 称名寺」の末寺として前林に「戒光寺」があり、当寺院がその後身ではないか、とするものがある。この説の真偽を判断する材料に乏しいが、「そうわの寺院Ⅰ」(総和町教育委員会・社会教育課編集)によれば、「東光寺」という寺号は薬師如来を本尊とする寺院に多く(薬師如来が「東方瑠璃光浄土」の教主とされることに因む。)、当寺院は元々民間の薬師如来信仰による仏堂だったのが、真言僧の流入によって寺院に発展したものとみており、所在地などからして「戒光寺」とは別だろうとしている。


古河市のHPから(東光寺の椎)


写真1:「東光寺」寺号標


写真2:山門


写真3:入るとすぐに「東光寺の椎」(古河市指定文化財(天然記念物))


写真4:同上。見えているのは、大きくコンクリート?で固められた幹


写真5:東側に回り込むと、生きている幹が見える。大手術の後、無事に枝葉を伸ばしているようである。


写真6:同上


写真7:鐘楼と宝篋印塔


写真8:本堂


写真9:観音堂


写真10:大師堂
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寶林山 地蔵院 円満寺

2024-08-31 23:35:22 | 寺院
寶林山 地蔵院 円満寺(ほうりんさん じぞういん えんまんじ)。
場所:茨城県古河市小堤1405。国道125号線「小堤」交差点から東に約150m。駐車場あり。
寺伝によれば、大同4年(809年)、弘法大師(空海)が陸奥国「湯殿山」(現・山形市鶴岡市。「湯殿山神社本宮」(2016年4月6日記事))への参詣の帰りに当地に滞在し、「寺家山」(現在地から南に約300mのところ)に一宇を建立したことが始まりという。寺宝の金銅三鈷杵・五鈷鈴(密教の法具、茨城県指定文化財)は、その際に弘法大師が納めたものとされる。弘法大師自身が当地に来たというのは伝説に過ぎないだろうが、この金銅三鈷杵・五鈷鈴は中国・唐(618~907年)からの渡来物と考えられており、また、これを模して造られたとみられる平安時代作とされる金銅独鈷杵・五鈷杵もあって、創建当時のものであれば、平安時代末期に現・古河市周辺を支配した下河辺氏の関与があった可能性がある。一方、当寺院の創建の地は中世城館「小堤城」の内堀と中堀の間に当たり、元は城内にあった城主の持仏堂であったものが、後に城域全体を寺院の境内とするようになったのかもしれないという。小堤城主については、室町時代、古河公方の家臣・諏訪三河守頼方であるとの伝承がある。その後、江戸時代に堂宇は数度に亘って焼失したが、天保11年(1840年)、行盛法印によって再建された。⼤正15年に本堂の⼤規模な改修、昭和52年に現在の観⾳堂建⽴、同53年に鐘楼堂が再建されたという。現在は真言宗豊山派に属し、本尊は延命地蔵菩薩。また、正徳4年(1714年)に開創された葛飾坂東観音霊場の第33番札所となっている(観音堂本尊は十一面観世音菩薩)。観世音菩薩は33の姿に変身して衆生を救うとされるので、本来、観音霊場の札所は33ヵ所とされることが多く、本来は当寺院が結願の寺だった(現在は番外を含め41ヵ寺が参加。)。このためか、12年に一度(午年)に行われる観音御開帳の運営事務局も当寺院に置かれているという。


真言宗豊山派 円満寺のHP


写真1:「円満寺」入口、寺号標


写真2:寶聖大観音菩薩像(手前)、聖観音菩薩像(奥)


写真3:山門、鐘楼、イチョウ


写真4:山門


写真5:山門裏のイチョウ。太さからすれば、古木というほどではないと思われるが、乳垂根が多く、長く伸びている。


写真6:本堂


写真7:観音堂
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