唐櫃塚古墳(かろうどづかこふん)。牛伏(うしぶし)古墳群第4号墳。
場所:茨城県水戸市牛伏町201-2(「くれふしの里古墳公園」)。国道50号線と茨城県道52号線(石岡城里線)の「内原跨線橋北」交差点から県道を北へ約1.9km進み、「くれふしの里古墳公園」の案内標識のところで左折(西へ)、約200mで公園駐車場。「唐櫃塚古墳」は駐車場の真ん前にある。
「唐櫃塚古墳」は、前方後円墳6基、帆立貝形前方後円墳1基、円墳9基で構成される「牛伏古墳群」の第4号墳で、全長52m、後円部径30.5m、前方部幅35.4mという規模の前方後円墳である。「牛伏古墳群」の中では唯一、発掘調査が行われ、主体部は花崗岩を用いた横穴式石室であったことが判明したものの、石室の石材も抜き取られるなど盗掘が酷く、現在の姿は復元されたものである。なお、盾形周濠があったとされ、それを含めると全長は約72mに及ぶという。築造時期は、古墳時代後期後半(6世紀後半頃)と推定されている。被葬者は不明であるが、多氏一族に関連するものとする説が有力。なお、この古墳群は、ごく狭い範囲内に前方後円墳が集中して築造されているというユニークさが注目され、「くれふしの里古墳公園」として整備された。「くれふしの里」というのは、当地の北にある「朝房山」(前々項)が「常陸国風土記」の「晡時臥山(くれふしやま)」に比定されることに因む。
水戸観光コンベンション協会のHPから(くれふしの里古墳公園)
写真1:「唐櫃塚古墳」後円部。駐車場に車を止めると、いきなり目の前に見える。墳丘は二段式。
写真2:同上、前方部から後円部をみる。
写真3:同上、後円部から前方部を見る。主軸は南西向き。
写真4:牛伏古墳群第5号墳。円墳で、径28m。
写真5:「お富士様古墳」(牛伏古墳群第17号墳)。前方後円墳で、全長60m、後円部径35~38m、前方部幅24m。なので、「唐櫃塚古墳」よりも大きい。牛伏古墳群の西端にあり、どうやら最初に造られたらしい。通称は、後円部に「富士権現社」があったためらしい(今も石祠がある。)。
写真5:公園内の「はに丸タワー」。高さ17.3m。
写真6:「はに丸タワー」の真下に「お富士様古墳」が見える。
場所:茨城県水戸市牛伏町201-2(「くれふしの里古墳公園」)。国道50号線と茨城県道52号線(石岡城里線)の「内原跨線橋北」交差点から県道を北へ約1.9km進み、「くれふしの里古墳公園」の案内標識のところで左折(西へ)、約200mで公園駐車場。「唐櫃塚古墳」は駐車場の真ん前にある。
「唐櫃塚古墳」は、前方後円墳6基、帆立貝形前方後円墳1基、円墳9基で構成される「牛伏古墳群」の第4号墳で、全長52m、後円部径30.5m、前方部幅35.4mという規模の前方後円墳である。「牛伏古墳群」の中では唯一、発掘調査が行われ、主体部は花崗岩を用いた横穴式石室であったことが判明したものの、石室の石材も抜き取られるなど盗掘が酷く、現在の姿は復元されたものである。なお、盾形周濠があったとされ、それを含めると全長は約72mに及ぶという。築造時期は、古墳時代後期後半(6世紀後半頃)と推定されている。被葬者は不明であるが、多氏一族に関連するものとする説が有力。なお、この古墳群は、ごく狭い範囲内に前方後円墳が集中して築造されているというユニークさが注目され、「くれふしの里古墳公園」として整備された。「くれふしの里」というのは、当地の北にある「朝房山」(前々項)が「常陸国風土記」の「晡時臥山(くれふしやま)」に比定されることに因む。
水戸観光コンベンション協会のHPから(くれふしの里古墳公園)
写真1:「唐櫃塚古墳」後円部。駐車場に車を止めると、いきなり目の前に見える。墳丘は二段式。
写真2:同上、前方部から後円部をみる。
写真3:同上、後円部から前方部を見る。主軸は南西向き。
写真4:牛伏古墳群第5号墳。円墳で、径28m。
写真5:「お富士様古墳」(牛伏古墳群第17号墳)。前方後円墳で、全長60m、後円部径35~38m、前方部幅24m。なので、「唐櫃塚古墳」よりも大きい。牛伏古墳群の西端にあり、どうやら最初に造られたらしい。通称は、後円部に「富士権現社」があったためらしい(今も石祠がある。)。
写真5:公園内の「はに丸タワー」。高さ17.3m。
写真6:「はに丸タワー」の真下に「お富士様古墳」が見える。