勝間田の池跡(かつまたのいけあと)。現在は、「勝間田公園」になっている。
場所:千葉県船橋市西船5-2。JR総武本線「西船橋」駅北口前の国道14号線を北西に約300m。駐車場なし。
現・船橋市西船の国道14号線沿いに「勝間田公園」という、妙に不整形な公園があるが、かつては「勝間田の池」という有名な池だった。この辺りは、北側の台地の下で湧水が多く、農業用の溜池として「本郷溜」と呼ばれていたらしい(「本郷」というのは、旧・葛飾郡栗原郷の中心地の「本郷村」に因む。)。それが「勝間田の池」と呼ばれるようになったのは、江戸時代後半、江戸の文人たちが成田詣の際に通りかかり、風光明媚な池の様子を見て、万葉集に載る「勝間田の池」になぞらえたことによるという。その万葉集の歌とは、「勝間田の 池は我知る 蓮(はちす)なし 然(しか)言ふ君が 髭なきごとし」(作者は新田部親王の恋人(氏名不詳))。この歌の意味については面白い話もあるのだが、長くなるので省略。万葉歌の「勝間田の池」の所在地も明確ではないが、現・奈良県奈良市七条にある「西ノ京大池」であろうというのが通説で、この「大池」越しに見る「薬師寺」三重塔の眺望が有名。
なお、風光明媚なだけではなく、現・船橋市の「勝間田の池」では昭和30年頃に行われた池の浚渫の際、池の中心部で2個の壷が発見された。5世紀前葉の五領式土器で、祭祀用に置かれたものとみられているという。ひょっとすると、道路(古代東海道というには古すぎるが)沿いの湧水と交通安全の祈願のためだったのかもしれない。「勝間田の池」のすぐ西側の丘の上には、葛飾郡の総社であるという「葛飾神社」が鎮座している。江戸時代には当地に「熊野神社」があったが、大正5年に「一郡惣社葛飾大明神」(主祭神:瓊瓊杵尊)を合祀して現在の「葛飾神社」と称するようになった。元の「葛飾大明神」は、当神社の北、約500mのところにある「葛羅の井」の西の台地上に鎮座していたという。「葛羅(かづら)の井」は「葛飾大明神」の御手洗の水であるとされ、伝説では、水脈が竜宮、あるいは富士山までつながっていて、どんな日照りにも水が涸れず、この水を飲めば瘧(マラリア?)が治るといわれていた。また、千葉氏の祖とされる平(村岡)忠常の父、忠頼の産湯を汲んだという伝承もある。傍らに「葛羅之井」という石碑が建てられているが、これは文化9年(1812年)に蜀山人こと大田南畝が揮毫したもの。永く忘れ去られていたが、永井荷風が随筆「葛飾土産」で紹介したことで再び知られるようになった(昭和40年船橋市の指定文化財に指定)。
写真1:「勝間田の池跡」(現・「勝間田公園」)。以前には「勝間田池」という石碑があったようだが、今は見当たらない。
写真2:「葛飾神社」鳥居。社殿は一段高い場所にある。(場所:船橋市西船5-3-8。勝間田公園の西側)
写真3:同上、社殿。境内に立派なクロマツがある。
写真4:「葛羅の井」入口。大きなケヤキの木が目印(場所:船橋市西船6-174-1)。
写真5:同上、「葛羅之井」石碑
写真6:同上。今は丸い池のようになっており、平成15年に船橋市によって整備された。葛飾神社が管理しているとのこと。
場所:千葉県船橋市西船5-2。JR総武本線「西船橋」駅北口前の国道14号線を北西に約300m。駐車場なし。
現・船橋市西船の国道14号線沿いに「勝間田公園」という、妙に不整形な公園があるが、かつては「勝間田の池」という有名な池だった。この辺りは、北側の台地の下で湧水が多く、農業用の溜池として「本郷溜」と呼ばれていたらしい(「本郷」というのは、旧・葛飾郡栗原郷の中心地の「本郷村」に因む。)。それが「勝間田の池」と呼ばれるようになったのは、江戸時代後半、江戸の文人たちが成田詣の際に通りかかり、風光明媚な池の様子を見て、万葉集に載る「勝間田の池」になぞらえたことによるという。その万葉集の歌とは、「勝間田の 池は我知る 蓮(はちす)なし 然(しか)言ふ君が 髭なきごとし」(作者は新田部親王の恋人(氏名不詳))。この歌の意味については面白い話もあるのだが、長くなるので省略。万葉歌の「勝間田の池」の所在地も明確ではないが、現・奈良県奈良市七条にある「西ノ京大池」であろうというのが通説で、この「大池」越しに見る「薬師寺」三重塔の眺望が有名。
なお、風光明媚なだけではなく、現・船橋市の「勝間田の池」では昭和30年頃に行われた池の浚渫の際、池の中心部で2個の壷が発見された。5世紀前葉の五領式土器で、祭祀用に置かれたものとみられているという。ひょっとすると、道路(古代東海道というには古すぎるが)沿いの湧水と交通安全の祈願のためだったのかもしれない。「勝間田の池」のすぐ西側の丘の上には、葛飾郡の総社であるという「葛飾神社」が鎮座している。江戸時代には当地に「熊野神社」があったが、大正5年に「一郡惣社葛飾大明神」(主祭神:瓊瓊杵尊)を合祀して現在の「葛飾神社」と称するようになった。元の「葛飾大明神」は、当神社の北、約500mのところにある「葛羅の井」の西の台地上に鎮座していたという。「葛羅(かづら)の井」は「葛飾大明神」の御手洗の水であるとされ、伝説では、水脈が竜宮、あるいは富士山までつながっていて、どんな日照りにも水が涸れず、この水を飲めば瘧(マラリア?)が治るといわれていた。また、千葉氏の祖とされる平(村岡)忠常の父、忠頼の産湯を汲んだという伝承もある。傍らに「葛羅之井」という石碑が建てられているが、これは文化9年(1812年)に蜀山人こと大田南畝が揮毫したもの。永く忘れ去られていたが、永井荷風が随筆「葛飾土産」で紹介したことで再び知られるようになった(昭和40年船橋市の指定文化財に指定)。
写真1:「勝間田の池跡」(現・「勝間田公園」)。以前には「勝間田池」という石碑があったようだが、今は見当たらない。
写真2:「葛飾神社」鳥居。社殿は一段高い場所にある。(場所:船橋市西船5-3-8。勝間田公園の西側)
写真3:同上、社殿。境内に立派なクロマツがある。
写真4:「葛羅の井」入口。大きなケヤキの木が目印(場所:船橋市西船6-174-1)。
写真5:同上、「葛羅之井」石碑
写真6:同上。今は丸い池のようになっており、平成15年に船橋市によって整備された。葛飾神社が管理しているとのこと。