石船神社(いしふねじんじゃ)。
場所:茨城県東茨城郡城里町岩船606。国道123号線と茨城県道112号線(阿波山徳蔵線)の「大桂大橋入口」交差点から県道を南西~西へ約1.9km、「ここは孫根・岩船」という緑色の案内看板の少し先を右折(北西へ。案内看板で「岩船 住谷」となっている方向)、約1km。駐車場有り。
創立年代は不明。「日本三代実録」の貞観元年(859年)条に「常陸国正六位上石船神に従五位下を授ける」という記事があり、「延喜式神名帳」に登載された「石船神社」に比定される式内社。祭神は鳥之石楠船神(トリノイワクスフネ)、別名・天鳥船神(アメノトリフネ)で、「古事記」によれば、建御雷神(カケミカヅチ、常陸国一宮「鹿島神宮」の祭神)の副使として葦原中国に派遣され、事代主神(コトシロヌシ)の意見を聞くために使者として遣わされた神とされる。また、神々が乗る船の名でもあるという。当神社の御神体は「兜石」と呼ばれる周囲約15mの巨石で、本殿はなく、この巨石を玉垣で囲ってある。社名については、祭神や鎮座地(「岩船(いわふね)」)からすれば、「いわふね」と読むのが普通だと思うのだが、茨城県神社庁のHPによれば「いしふね」となっている。
社殿前に「岩船川」という清流が流れ、その脇にも舟型をした大きな石がある。旱の時には、この巨石の上の窪みに溜まった水を汲んで祈願すると、雨が降るという。
写真1:道路沿いにある「石船神社」の社号標(「延喜式内 常陸二十八社 石船神社」)
写真2:鳥居
写真3:石灯篭も大きな石の上。
写真4:石灯篭の少し下にある「矢の根石」。八幡太郎・源義家が当地に現れる怪物を矢で射て退治し、確認したところ怪物の正体は大きな石であり、「矢の根」(鏃、やじり)が喰い込んでいたという伝説がある。矢の疵跡があるらしいが、確認できず。
写真5:岩船川を渡って社殿へ。
写真6:社殿(拝殿)
写真7:本殿のように見えるが、これは中門。
写真8:藤(フジ)の巨木(目通り周囲1.3m)。「藤の群生」は城里町指定文化財。
写真9:背後から見る。玉垣と草に遮られて、巨石は見えない。
写真10:玉垣の中の巨石。わかるだろうか。
写真11:拝殿脇にある舟型の大石(「船形石」)
場所:茨城県東茨城郡城里町岩船606。国道123号線と茨城県道112号線(阿波山徳蔵線)の「大桂大橋入口」交差点から県道を南西~西へ約1.9km、「ここは孫根・岩船」という緑色の案内看板の少し先を右折(北西へ。案内看板で「岩船 住谷」となっている方向)、約1km。駐車場有り。
創立年代は不明。「日本三代実録」の貞観元年(859年)条に「常陸国正六位上石船神に従五位下を授ける」という記事があり、「延喜式神名帳」に登載された「石船神社」に比定される式内社。祭神は鳥之石楠船神(トリノイワクスフネ)、別名・天鳥船神(アメノトリフネ)で、「古事記」によれば、建御雷神(カケミカヅチ、常陸国一宮「鹿島神宮」の祭神)の副使として葦原中国に派遣され、事代主神(コトシロヌシ)の意見を聞くために使者として遣わされた神とされる。また、神々が乗る船の名でもあるという。当神社の御神体は「兜石」と呼ばれる周囲約15mの巨石で、本殿はなく、この巨石を玉垣で囲ってある。社名については、祭神や鎮座地(「岩船(いわふね)」)からすれば、「いわふね」と読むのが普通だと思うのだが、茨城県神社庁のHPによれば「いしふね」となっている。
社殿前に「岩船川」という清流が流れ、その脇にも舟型をした大きな石がある。旱の時には、この巨石の上の窪みに溜まった水を汲んで祈願すると、雨が降るという。
写真1:道路沿いにある「石船神社」の社号標(「延喜式内 常陸二十八社 石船神社」)
写真2:鳥居
写真3:石灯篭も大きな石の上。
写真4:石灯篭の少し下にある「矢の根石」。八幡太郎・源義家が当地に現れる怪物を矢で射て退治し、確認したところ怪物の正体は大きな石であり、「矢の根」(鏃、やじり)が喰い込んでいたという伝説がある。矢の疵跡があるらしいが、確認できず。
写真5:岩船川を渡って社殿へ。
写真6:社殿(拝殿)
写真7:本殿のように見えるが、これは中門。
写真8:藤(フジ)の巨木(目通り周囲1.3m)。「藤の群生」は城里町指定文化財。
写真9:背後から見る。玉垣と草に遮られて、巨石は見えない。
写真10:玉垣の中の巨石。わかるだろうか。
写真11:拝殿脇にある舟型の大石(「船形石」)