賤機山古墳(しずはたやまこふん)。
場所:静岡市葵区宮ケ崎町102-1(「静岡浅間神社」の住所)。「静岡浅間神社」境内にあって、式内社「大歳御祖神社」裏から緩やかな石段を登っていくか、「八千矛神社」脇の急な石段(通称:百段)を登ったところにある。「静岡浅間神社」の駐車場を利用。
直径約32m、高さ約7mの円墳(方墳という説もある。)で、築造時期は6世紀後半とみられている。かなり大きな石を使った、静岡県内最大の横穴式石室があり、中に縄掛け用の突起が付けられた大型の家型石棺が置かれていた。石室に使われた石は近くの安倍川からも採取される玄武岩だが、石棺は伊豆産の凝灰岩を刳り貫いたものとされる。
江戸時代以前からも有名な古墳だったらしく、石棺内部も盗掘にあっていたが、その周囲から金銅製の装身具や武具・馬具、須恵器などが出土した。被葬者は不明だが、大型石棺や豪華な出土品からして、この地の首長クラスの墳墓とみられている。昭和28年(1953年)に国の史跡に指定された。
式内社「大歳御祖神社」本殿(樹木に囲まれ、殆ど見えない。)のすぐ後ろ(北側)に位置している。賤機山古墳群の3号墳とも呼ばれており、更に北側に「麓山神社(はやまじんじゃ)」があるが、その後方に2号墳(麓山神社後古墳:石碑があるが、古墳としては残骸のみ)、3号墳(一本松古墳:小さな円墳?)もある。ちなみに、「麓山神社」は大山祇命を祀り、現在は境内社の扱いであるが、かつては「山宮」と呼ばれ、「惣社」(神部神社)・「浅間社」(浅間神社)・奈吾屋社(大歳御祖神社)・山宮(麓山神社)は四社同格とされていた、という。
静岡市のHPから(国指定史跡賤機山古墳):http://www.city.shizuoka.jp/deps/bunkazai/bunkazai_tyousa_shizuhatakohun_index.htm
写真1:「史跡 賤機山古墳」の石碑。背後が古墳。
写真2:横穴式石室の入口
写真3:石室内部。珍しい家型石棺が置かれている。
写真4:「賤機山古墳」の北側にある「麓山神社」。祭神の大山祇命は、「浅間神社」の祭神・木之花咲耶姫命
と「大歳御祖神社」の祭神・神大市比売命の父神にあたる。
場所:静岡市葵区宮ケ崎町102-1(「静岡浅間神社」の住所)。「静岡浅間神社」境内にあって、式内社「大歳御祖神社」裏から緩やかな石段を登っていくか、「八千矛神社」脇の急な石段(通称:百段)を登ったところにある。「静岡浅間神社」の駐車場を利用。
直径約32m、高さ約7mの円墳(方墳という説もある。)で、築造時期は6世紀後半とみられている。かなり大きな石を使った、静岡県内最大の横穴式石室があり、中に縄掛け用の突起が付けられた大型の家型石棺が置かれていた。石室に使われた石は近くの安倍川からも採取される玄武岩だが、石棺は伊豆産の凝灰岩を刳り貫いたものとされる。
江戸時代以前からも有名な古墳だったらしく、石棺内部も盗掘にあっていたが、その周囲から金銅製の装身具や武具・馬具、須恵器などが出土した。被葬者は不明だが、大型石棺や豪華な出土品からして、この地の首長クラスの墳墓とみられている。昭和28年(1953年)に国の史跡に指定された。
式内社「大歳御祖神社」本殿(樹木に囲まれ、殆ど見えない。)のすぐ後ろ(北側)に位置している。賤機山古墳群の3号墳とも呼ばれており、更に北側に「麓山神社(はやまじんじゃ)」があるが、その後方に2号墳(麓山神社後古墳:石碑があるが、古墳としては残骸のみ)、3号墳(一本松古墳:小さな円墳?)もある。ちなみに、「麓山神社」は大山祇命を祀り、現在は境内社の扱いであるが、かつては「山宮」と呼ばれ、「惣社」(神部神社)・「浅間社」(浅間神社)・奈吾屋社(大歳御祖神社)・山宮(麓山神社)は四社同格とされていた、という。
静岡市のHPから(国指定史跡賤機山古墳):http://www.city.shizuoka.jp/deps/bunkazai/bunkazai_tyousa_shizuhatakohun_index.htm
写真1:「史跡 賤機山古墳」の石碑。背後が古墳。
写真2:横穴式石室の入口
写真3:石室内部。珍しい家型石棺が置かれている。
写真4:「賤機山古墳」の北側にある「麓山神社」。祭神の大山祇命は、「浅間神社」の祭神・木之花咲耶姫命
と「大歳御祖神社」の祭神・神大市比売命の父神にあたる。