車塚古墳(くるまつかこふん)。
場所:茨城県東茨城郡大洗町磯浜町2883-1。茨城県道2号線(水戸鉾田佐原線)「大洗駅前」交差点から東に約300mのところで右折(南へ)、狭い道路を道なりに約200m。駐車場なし。古墳の前の道路も狭く、できれば徒歩で。臨海大洗鹿島線「大洗」駅から約1km。
「車塚古墳」は、大洗港(太平洋)の北西側の台地にある「磯浜古墳群」の1つで、平成23年の範囲確認調査によれば、径約88m、高さ約13mの円墳であり、幅約18.5mの周溝を含めると径約120mに及ぶという大型のものである(茨城県内では最大の円墳)。墳丘は中段・下段に平坦面がある3段築成で、全斜面が拳大の葺石で葺かれ、墳頂の縁や中・下段の平坦部に壺型埴輪が置かれていた、という。埴輪の形式などから、築造時期は古墳時代中期初頭(5世紀前後?)とされる。
因みに、「車塚」という名の古墳は各地にあり、形状が貴人の乗る車に似ていることから来ているようだ。また、かつては「大宮司山」、「お富士山」とも呼ばれていたという。「大宮司山」というのは、この古墳の麓に「大洗磯前神社」(2018年5月19日記事)の宮司(大塚氏)の屋敷があったことによる。また、「お富士山」というのは、元は墳頂に「諏訪神社」が祀られていたが、その後は「富士権現社」(浅間神社)が祀られるようになったことによるものらしい。
大洗町のHPから(車塚古墳)
写真1:「車塚古墳」。「史蹟 車塚」の石碑と鳥居(北東側から)。茨城県指定史跡。なお、道路を隔てた反対側(東側)に前方後円墳「姫塚古墳」がある。
写真2:北西側から見る。段になっているのがわかる。
写真3:墳頂の石祠。「富士権現社」(浅間神社)と思われる。
写真4:墳頂からの景色。大きな木で視界が悪いが、東~南には太平洋。
写真5:西を見ると、多分「筑波山」だろう。
写真6:南東側から。
写真7:南側から。
写真8;南西側から。このように、周囲は民家に囲まれている。
場所:茨城県東茨城郡大洗町磯浜町2883-1。茨城県道2号線(水戸鉾田佐原線)「大洗駅前」交差点から東に約300mのところで右折(南へ)、狭い道路を道なりに約200m。駐車場なし。古墳の前の道路も狭く、できれば徒歩で。臨海大洗鹿島線「大洗」駅から約1km。
「車塚古墳」は、大洗港(太平洋)の北西側の台地にある「磯浜古墳群」の1つで、平成23年の範囲確認調査によれば、径約88m、高さ約13mの円墳であり、幅約18.5mの周溝を含めると径約120mに及ぶという大型のものである(茨城県内では最大の円墳)。墳丘は中段・下段に平坦面がある3段築成で、全斜面が拳大の葺石で葺かれ、墳頂の縁や中・下段の平坦部に壺型埴輪が置かれていた、という。埴輪の形式などから、築造時期は古墳時代中期初頭(5世紀前後?)とされる。
因みに、「車塚」という名の古墳は各地にあり、形状が貴人の乗る車に似ていることから来ているようだ。また、かつては「大宮司山」、「お富士山」とも呼ばれていたという。「大宮司山」というのは、この古墳の麓に「大洗磯前神社」(2018年5月19日記事)の宮司(大塚氏)の屋敷があったことによる。また、「お富士山」というのは、元は墳頂に「諏訪神社」が祀られていたが、その後は「富士権現社」(浅間神社)が祀られるようになったことによるものらしい。
大洗町のHPから(車塚古墳)
写真1:「車塚古墳」。「史蹟 車塚」の石碑と鳥居(北東側から)。茨城県指定史跡。なお、道路を隔てた反対側(東側)に前方後円墳「姫塚古墳」がある。
写真2:北西側から見る。段になっているのがわかる。
写真3:墳頂の石祠。「富士権現社」(浅間神社)と思われる。
写真4:墳頂からの景色。大きな木で視界が悪いが、東~南には太平洋。
写真5:西を見ると、多分「筑波山」だろう。
写真6:南東側から。
写真7:南側から。
写真8;南西側から。このように、周囲は民家に囲まれている。