神が宿るところ

古社寺、磐座、不思議・パワースポット、古代史など極私的な興味の対象を見に行く

熊野神社(秋田県横手市睦成)

2015-04-25 23:47:47 | 神社
熊野神社(くまのじんじゃ)。通称:明永山熊野神社(みょうえいざんくまのじんじゃ)。
場所:秋田県横手市睦成字明永町10。国道13号線「石町」交差点から東へ(横手市街方面へ)道なりに進み、突き当りを左折(北へ)、住宅地の中のやや狭い道路を約650m直進。駐車場なし(神社裏手に1台程度の駐車スペースあり。)。
社伝によれば、白鳳元年(672年)、役小角(役行者)が、赤子の泣き声を聞いて泣子沢(現・鳴見沢)と名づけた地に「熊野神社」を開創した。弘安9年(1286年)には、役行者の仙跡を尋ねてきた一遍上人(時宗の開祖)が再建したという。中世には別当寺として「明江山 神宮寺 遍照院」があって修験の修行地として栄え、36坊を擁したとされる。天文21年(1552年)の「小野寺合戦」のときに兵火にかかり神社・僧坊が全て焼失し、現在地に移転。その後も、元宮の地と現在地への移転を繰り返したが、現在の社殿は昭和56年改築のものとのこと(元宮については、次項で)。現在の祭神は、伊邪那岐・伊邪那美の大神ほか4柱。
さて、現在、出羽国式内社「塩湯彦神社」は、横手市山内大松川の「御嶽山」山頂に鎮座している神社に比定されている。ただ、その地は人里離れた山中にあり、冬は豪雪に閉ざされる。したがって、当神社が古くから「塩湯彦神社」祭礼のための里宮と考えられていたらしく、中世・近世を通じて時の領主にも庇護され、相応の格式と伝統をもって現在まで伝えられることになったものと思われる。


秋田県神社庁のHPから(熊野神社)


写真1:「熊野神社」正面、一の鳥居。社殿は小丘のうえにある。鳥居の扁額には「明永山熊野神社」とある。


写真2:一の鳥居脇にある「明江山神宮寺遍照院跡」の石碑。


写真3:ずらりと並ぶ鳥居。回りは杉の木立になっているが、願明けに杉の木を植える慣わしがあるらしい。鳥居や杉の木が多いのは、それだけ寄進する人が多かった証しだろう。


写真4:社殿。少しモダンな感じ。


写真5:社殿の裏は「明永沼」の堤になっており、そこから社殿が向いている方向(南西)に「鳥海山」が見える。


写真6:その逆側(北東)を見ると、「明永沼」を越えて「御嶽山」(横手市山内)が見える。
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塩湯彦神社 鶴ヶ池里宮

2015-04-18 23:33:53 | 神社
塩湯彦神社 鶴ヶ池里宮(しおゆひこじんじゃ つるがいけさとみや)。または、塩湯彦鶴ヶ池神社(しおゆひこつるがいけじんじゃ)。
場所:秋田県横手市山内土渕字鶴ヶ池(「鶴ヶ池公園」に隣接)。JR北上線「相野々」駅の北、約700m(徒歩約10分)。自動車では、国道107号線「相野々」交差点の東、約450mのところで南に入り、約200m。駐車場は「鶴ヶ池公園」駐車場を利用。
出羽国式内社「塩湯彦神社」は、伝承によれば白鳳元年(672年)に役行者が創建、弘安年間(1278~1287年)に一遍上人が再興、とするが、その後は荒廃し、所在すら不明の状態となっていた。それを常陸国から移封されてきた佐竹氏が正徳5年(1715年)、現・横手市の「御嶽山」山頂(標高744m)に社殿を再建した。しかし、今でこそ参道下まで自動車でも行けるが、かつては修験者の山岳修行の地という山奥であり、冬には豪雪になることから、昭和12年に里宮(遥拝場)として「塩湯彦鶴ヶ池神社」が建立されたものである。なお、「鶴ヶ池」畔に立つ宿泊施設「あいのの温泉 鶴ヶ池荘」の温泉の泉質は「硫酸塩泉(旧名:ナトリウム・カルシウム・硫酸塩・塩化物泉)」で、源泉100%、露天風呂は掛け流しだそうである(日帰り入浴あり。)。


玄松子さんのHPから(塩湯彦鶴ヶ池神社)

「あいのの温泉 鶴ヶ池荘」のHP


写真1:「塩湯彦神社 鶴ヶ池里宮」遠景。「鶴ヶ池」に隣接した小高い場所にある。


写真2:鳥居


写真3:社殿


写真4:「遥拝場」の石碑


写真5:境内入口前付近から。「鶴ヶ池」の向こう側に見えるのが「あいのの温泉 鶴ヶ池荘」
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白滝観音(秋田県横手市)

2015-04-11 23:58:10 | 史跡・文化財
白滝観音(しらたきかんのん)。湯ノ峰白滝観音。
場所:秋田県横手市山内大松川字観音沢1。前項「塩湯彦神社」に向う未舗装林道の途中から徒歩、約10分。
横手市にある「御嶽山(みたけさん)」(標高744m)は、伝承では白鳳年間に役行者が開山したとされ、平安時代後期には修験者が山岳修行を行う霊地であり、「御嶽山」山頂に鎮座する式内社「塩湯彦神社」の名に相応する、塩分を含んだ温泉が湧いていた場所があったという。それは、この「湯ノ峰白滝」の滝壺ともいわれ、滝を熊野三山の「那智の大滝」になぞらえて、その本地仏の観世音菩薩を祀ったものと思われる。
これも伝承であるが、平安時代後期に栄えた豪族・出羽清原氏の一族で、祭祀を司る「地福長者」とその婿「満徳長者」と呼ばれる有力者がいた。「満徳長者」は後に出家して「保昌房」(「保昌坊」)と名乗り、秋田六郡三十三観音霊場を開いて仏師・定朝の作になる観音像を祀ったとされ、その第1番札所が「白滝観音」であったという。なお、清原氏は「塩湯彦命」を祖神としており、「白滝観音」は「御嶽山」=「塩湯彦神社」の奥ノ院とされていたらしい。
さて、現在も滝の中に石造の如意輪観音像が嵌め込まれているというが、滝の上部からロープで下りないと見ることができないらしい。また、温泉も涸れてしまっているようだ。


「国境の村と人」ブログから(清原氏ゆかりの白滝観音)

横手市のHPから(白滝観音(三内))


写真1:式内社「塩湯彦神社」(「御嶽山」山頂)へ向う林道の途中にある「白滝観音」への分岐。「白滝観音」へは、案内板の右手へ入る。「塩湯彦神社」へは直進(写真左手奥)


写真2:滝の上の流れ。滝の下へは下りられないようだ。


写真3:石仏


写真4:「史跡(平安時代後期における観音信仰の霊場)湯ノ峰白滝」
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塩湯彦神社(出羽国式内社・その7)

2015-04-04 23:51:37 | 神社
塩湯彦神社(しおゆひこじんじゃ)。
場所:秋田県横手市山内大松川字御嶽山3(「御嶽山」(標高744m)山頂)。秋田県道272号線(御所野安田線、旧・羽州街道)沿い「横手高校」前から、東に約6.8kmのところにある「追分の一本杉」付近から登山道(途中から未舗装林道)で30~40分。または、更に約600m進むと未舗装林道の入口があり(ここに駐車場あり。)、お勧めはしないが当神社の石段下まで自動車で行ける。あるいは、北側の秋田県道12号線の「黒森峠」付近から、登山道で「黒森山」~「御嶽山」というルートもある(約1時間)。
社伝によれば、白鳳元年(672年)に役小角(役行者)が鳴見沢に「熊野神社」(現・横手市明永町)を開創した際、「湯ノ峯」(「御嶽山」)の白滝を熊野の那智山になぞらえ祀ったという。後に、一遍上人が再興したとされるが、再び荒廃し、中世には祭祀が途絶え、所在すら不明となっていた。江戸時代に佐竹氏が秋田に入部し、式内社の再興を行わせた結果、正徳5年(1715年)、「御嶽山」山頂に社殿が建立され、秋田の「三国社」の1つとして崇敬された。明治に入ると社領を返上して郷社となったが、昭和38年には風雪により社殿が倒壊し、石祠を祀るのみとなった。昭和57年、有志の努力により、ようやく現在の社殿が再建されたという。
開創伝承にあるように、熊野修験の影響が強く、現在の祭神は速玉尊と大山祇命となっている。本来は塩分を含んだ温泉を祀った自然神であったと思われるが、社名が「塩湯彦神社」となっているので、祭神も「塩湯彦命」あるいは「塩湯彦大神」とするのが自然のように思われる。因みに、秋田県内には「御嶽神社」または「三嶽神社」(いずれも「みたけじんじゃ」)が多数あるが、大仙市南外の「御嶽神社」の祭神は塩湯彦命、大仙市豊岡の「三嶽神社」の祭神は塩冶彦命(エンヤヒコ)、仙北市西木町の「三嶽神社」の祭神は塩土老翁命(シオツチオヂ)とされている。


玄松子さんのHPから(塩湯彦神社 奥宮)


写真1:「塩湯彦神社」参道の石段。美しいブナ林の中を上る。


写真2:石段前にある手水舎。湧水が引かれている。


写真3:社殿


写真4:「黒森山」側から見た「御嶽山」。この写真では小さいので確認できないが、当神社の屋根が見えていた。


写真5:6月に訪れたときには、まだ雪囲いがされていた。
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