神が宿るところ

古社寺、磐座、不思議・パワースポット、古代史など極私的な興味の対象を見に行く

天竺山 寂光院 龍角寺

2012-06-30 23:07:31 | 寺院
天竺山 寂光院 龍角寺(てんじくさん じゃっこういん りゅうかくじ)。
場所:千葉県印旛郡栄町龍角寺239。栄東中学校の北西、約600m。駐車スペースあり。
現在は天台宗の寺院で、本尊は薬師如来。寺伝等によれば、和銅2年(709年)、竜女が現れて、金造の薬師如来像を祀ったのが創建とされる。天平2年(730年)に釈命上人が寺として整備し、「龍閣寺」と号したという。
伝説によれば、天平3年(731年)、旱魃のとき、釈命上人が降雨の祈祷を行ったところ、寺の南にある池の主という小龍が現れた。小龍は、「この旱魃は龍王が降雨を止めているのである。私は釈命上人に法恩を感じているので雨を降らせるが、龍王に逆らうことになるから、私は殺されてしまうだろう。」と言って消えた。すると、忽ち雨が七日七晩降り続いたが、雲のなかから大きな音がして、龍が首、身体、尾の3つに引き裂かれて地上に落ちてきた。首は当地(旧・下総国埴生庄)に、身体は印西庄(現・印西市)、尾は北條庄(現・匝瑳市)に落ちたので、それぞれの寺に埋葬し、当寺は「龍角寺」、印西庄の寺は「龍腹寺」、北條庄の寺は「龍尾寺」と改称したという。
伝説はともかく、発掘調査により、いわゆる「法起寺式伽藍」の遺構が発見されたほか、出土した古瓦は「山田寺」(奈良県)の様式に似たものであったことなどから、遅くとも7世紀後半(一説に7世紀第2/四半期)にまで遡る古代寺院があったことが判明した。何と、伝承よりも古くから寺院があったことになり、関東地区でも最古クラスとなる。当寺の南にある「龍角寺古墳群」との位置関係からすれば、この地の有力豪族の氏寺だったのだろうと思われる。注目すべきは、「龍角寺古墳群」で最も新しい「岩屋古墳」が7世紀中頃のものとすると、殆ど間を置かずに(あるいは並行して)信仰・祭祀の対象が古墳から寺院に移行したことを示す例となることである。その意味で大変重要な史跡であるといえる。
さて、当寺に関する国指定文化財は2つ。1つは銅製薬師如来坐像で、胴体は後世の補作であるが、頭部は奈良時代のものとされる。もう1つは塔址で、寺伝等によれば三重塔(一説には七重塔)が立っていたといい、塔の高さは推定約33m。塔心礎は花崗岩製で、長径2.49m、短径2.03m。中央に直径81.8cmの丸い穴が開けられている。この塔心礎の穴に溜まった水は、どれほど日照りが続いても枯れず、大雨が降っても増えないとされ、「不増不滅の石」と呼ばれたという。


「ちばの観光まるごと紹介」のHPから(龍角寺)

栄町のHPから(国指定文化財)


写真1:「龍角寺」境内入口。参道両脇の平たい丸い石は、旧・仁王門の礎石らしい。


写真2:金堂址。奥に見える建物は「校倉作り史料庫」(成田市三里塚にあった下総御料牧場から空港建設に伴って移築された明治時代初期の建物)


写真3:古瓦保存塚(出土した古瓦は県指定有形文化財)


写真4:塔址(国指定史跡)


写真5:塔心礎
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龍角寺古墳群

2012-06-23 22:05:27 | 古墳
龍角寺古墳群(りゅうかくじこふんぐん)。
場所:「体験博物館 千葉県立房総のむら」(千葉県印旛郡栄町龍角寺1028)の「房総風土記の丘」エリア(約32ha)を中心とした地区。「房総のむら」に駐車場あり。

岩屋古墳(いわやこふん)。
「房総のむら」の東端、龍角寺台という住宅団地との境付近にある。一辺が約78mという大型の方墳で、方墳としては日本で第2位の大きさであるとされる。最新の調査では、周溝を含めると一辺が約108mあり、国内最大の方墳であることがわかったという(2012年6月19日、栄町教育委員会発表)。築造時期は7世紀前半~中頃とされ、南面に2つの石室があるが、1つは崩落している上、16世紀末には既に開口していたらしく、副葬品等は見つかっていない。なお、早くから石室が開口していたため、「岩屋」という名がつき、昔話によくある、「貸椀伝説」(洞窟の入口で祈ると、洞窟の主が椀や膳を貸してくれるが、借りた者が返さなかったり、汚れたまま返したりすると、もう貸してもらえなくなる、という話)があるという。

浅間山古墳(せんげんやまこふん)。
龍角寺古墳群の中で最大の前方後円墳(墳丘長約78m)で、築造時期は6世紀末~7世紀前半とされている。横穴式の石室があり、石材は筑波山周辺の片岩であるといわれ、鉄製の武具・馬具などが出土した。葺石や埴輪が発見されないことから、古墳時代終末期の古墳であることは確実らしい。時期的には、岩屋古墳に先立って築造されたもので、前方後円墳としては全国的にも最も新しいものの1つとされる。

印旛沼付近の地は、6世紀半ば頃までは「公津ヶ原古墳群」を造営した首長が統治していたが、その後、「龍角寺古墳群」を造営した首長に統治権が移ったらしい。どういうことがあったのかはわからないが、印旛沼(古代には「香取海」という内海だった。)の水上交通を押さえた勢力が強大化して首長権を握るようになったものと思われている。そして、「龍角寺古墳群」の西側にある「大畑遺跡」(7世紀後半~8世紀)は埴生郡衙跡とされることから、「龍角寺古墳群」を造営した首長が律令制成立後も郡司として勢力を保ったのではないかといわれている。


写真1:「岩屋古墳」(龍角寺古墳群105号墳)。南面に2つの石室があるが、東側(向って右)は崩落し、ブルーシートが掛けられている。


写真2:「風土記の丘資料館」前に置かれた石室。向って右は龍角寺古墳群108号墳、左は公津ヶ原古墳群の瓢塚41号墳のもの。


写真3:「白鳳道」。ここから北へ進むと、小さな谷を越えて、「浅間山古墳」の横を通って「龍角寺」に到る。真っ直ぐな道は自然にできたものではなく、意図的に造られたもの。


写真4:「浅間山古墳」。後円部の墳頂には浅間神社の石祠がある。「房総のむら」の敷地外にあるせいか、やや荒れているように思われる。
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公津ヶ原古墳群

2012-06-16 23:49:42 | 古墳
公津ヶ原古墳群(こうづがはらこふんぐん)。

船塚古墳(ふなづかこふん)。
場所:千葉県成田市赤坂1-2。成田ニュータウンのほぼ中央にある「赤塚公園」内の北東部。駐車場有り。
全長85mという印旛地域最大の古墳で、千葉県内では珍しい前方後方墳。鼓形といわれるが、殆ど括れがなく、長方形に近い形をしているので、長方墳とされることもある。後方部に石棺らしきものがあったという記録があるが、正式な発掘調査は行われていない。墳丘の表面から埴輪の破片が採集されており、築造年代は7世紀頃と考えられている。なお、かつては、南西側に直径50mの大円墳があったという。

天王塚古墳(てんのうづかこふん)。
場所:吾妻小学校の北、約400m。市道交差点の南西角に「吾妻神社」(千葉県成田市吾妻3-41)があり、その西側にある。駐車場なし。
全長63m、公津ヶ原古墳群の中では最大の前方後円墳。こちらも発掘調査が行われておらず、詳細は不明。森のようになっているが、括れが明瞭で、前方部に「八坂神社」、後円部に「浅間神社」の小祠がある。「天王塚古墳」という名は、「八坂神社」の牛頭天王によるものだろう。
なお、「天王塚古墳」の東にある「吾妻神社」の本殿は、「吾妻塚」または「ドウロクジン」(道陸神=道祖神か?)と呼ばれる直径約7mの円墳?上に建てられているらしい。この神社の祭神は日本武尊の后である弟橘比売命で、日本武尊が東征の折に印波の海(印旛沼)を渡る際、かつて東京湾で入水した弟橘姫を偲んで所縁の品をここに埋めたという伝承がある。

印旛沼の東の台地上に建設された成田ニュータウンは、古くから公津ヶ原と呼ばれたところで、「公津八十塚」と言われたように、古墳が多い場所として知られていた。「八十」というのは「多い」という意味で、成田ニュータウン造成以前には80基どころか、少なくとも110基以上の古墳があったとされている。現在は39基の古墳が公園や小学校校庭内などに保存されている。式内社「麻賀多神社」奥宮(2012年6月9日記事参照)に隣接する古墳は公津ヶ原古墳群39号墳とされ、初代印波国造・伊都許利命の墳墓であるとの伝承がある。


大和國古墳墓取調室さんのHPから(公津ヶ原古墳群)


写真1:「船塚古墳」(公津ヶ原8号墳)。北側から(前方部?)。


写真2:同上。南側から(後方部?)。確かに巨大な船のような形。


写真3:「天王塚古墳」(公津ヶ原21号墳)。北東側から。鳥居は「八坂神社」のもの。


写真4:同上。南東側から。こちらには「浅間神社」が祀られている。


写真5:同上。南西側から。括れがわかる。


写真6:「吾妻神社」本殿。円墳の上にあるらしいが、公津ヶ原古墳群のナンバーは振られていない。


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麻賀多神社(千葉県成田市船形)(下総国式内社・その5の2)

2012-06-09 23:00:30 | 神社
麻賀多神社(まかたじんじゃ)。
場所:千葉県成田市船形834。吾妻中学校の西、約800m。駐車場有り。
当神社の由緒については、前項の「麻賀多神社」(成田市台方)を参照。祭神は稚日霊命。
当神社は、式内社「麻賀多神社」のいわゆる論社ではなく、その元社であり、奥宮であるとされる。因みに、現・成田市、佐倉市、富里市などを含む印旛地区に「麻賀多神社」と称する神社が18社あるとされるが、論社ではなく、台方の式内社「麻賀多神社」及びその奥宮である当神社の分社で、特に争いはない。
当神社の特色は、何と言っても、古墳の隣にあることで、しかも、その被葬者が初代印波国造・伊都許利命(イツコリ)であるとの伝承である。イツコリは、神武天皇の皇子・神八井耳命の8世の孫といい、阿蘇国造や科野(信濃)国造など、多くの国造家を出した一族である「多(おお)氏」に連なる。一説には、「麻賀多神社」の「多」の字は「多氏」に因むという。
この古墳がイツコリの墳墓であるということは確認されてはいないが、現・成田ニュータウンを中心に広がる印旛沼東側の古墳群の規模から見て、この付近が印旛国造家の中心地であったとみて、間違いはないだろうと思われる。この古墳群は、地名をとって「公津ヶ原古墳群」というが、「こうづ」というのは元々「国府津」(国府の港)、あるいは「神津」であったともいわれている。


玄松子さんのHPから(麻賀多神社(船形))


写真1:「麻賀多神社」(船形)境内入口の石鳥居。傍らの社号標は「総社 麻賀多神社」となっている。


写真2:社殿前の両部鳥居


写真3:社殿。扁額は「麻賀多大神宮」


写真4:ご神木の大杉。台方社ほどの大きさではない。


写真5:境内に入って直ぐ右手にある「印波国造伊都許利命墳墓」(千葉県指定史跡)。石棺が露出している。


写真6:神社前の道路から見た古墳(公津ヶ原39号墳)。一辺35mの方墳とされる。
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麻賀多神社(千葉県成田市台方)(下総国式内社・その5の1)

2012-06-02 23:24:52 | 神社
麻賀多神社(まかたじんじゃ)。
場所:千葉県成田市台方1。国道464号線「宗吾霊堂前」交差点から北へ、約1.5km。駐車場有り。
社伝によれば、景行天皇42年(112年)、日本武尊が東征の折、現・成田市船形に上陸された。このとき、日本武尊は近くの住民を集め、大きな杉の幹に鏡を懸けて祭祀すれば五穀豊穣となると教え、伊勢大神を遥拝されたのが創始という。その後、応神天皇20年(290年)に印旛国造・伊都許利命(神武天皇の皇子・神八井耳命8世の孫)が初めて社殿を創建し、祭神として稚日霊命(ワカヒルメ)を祀ったとされる。また、伊都許利命は、神託により、大杉の根元に埋められていた7つの勾玉を掘り出し、これを御霊代として稚産霊命(ワクムスビ)を併せ祀った。この2神を称して「真賀多真大神(マガタマノオオカミ)」という。更に、推古天皇16年(608年)に、伊都許利命8世の孫・広鋤手黒彦命が現・成田市台方に稚産霊命を遷宮したのが当神社で、当神社を「大宮」、元の神社を「奥宮」という。後に、三種の神器の「勾玉」と同名なのを遠慮して「真賀多」とし、当地が麻の産地であることを記念して、「麻賀多神社」と称するようになったとされる。
あるいは、「まかた」というのは、本来は「真潟」で、「船形」・「台方」の「かた」も同じく、当時は内海(「香取海」)であった印旛沼の入江に鎮座した神であったともいわれている。因みに、当神社の西約1km、印旛沼湖畔に一の鳥居(通称「大鳥居」)がある。この鳥居は、延暦2年(783年)に勅使として大伴家持が参向したときに建立したのに始まるという。その後、61年毎に建て替えてきたが、平成7年に成田市の道路計画により重要神事が行われる浄地「御はしり」の中心部が道路とされてしまい、現在地に移転、石造で建立されたものである。印旛沼湖畔に一の鳥居があり、社殿が印旛沼の方向(西)を向いているということは、神が海(かつて印旛沼は「香取海」という内海の一部だったとされる。)からやってきたということなのだろうと思われる。


千葉県神社庁のHPから(麻賀多神社)

玄松子さんのHPから(麻賀多神社(台方))


写真1:「麻賀多神社」(台方)正面鳥居。鳥居には十六菊の紋が付けられている。傍らの社号標はシンプルに「麻賀多神社」。


写真2:社殿前の石段の傍らには「式内社麻賀多神社(稷山社)」の標柱


写真3:社殿


写真4:ご神木の大杉。通称「公津の大杉」(県指定天然記念物)。当地に遷座してきたときに植えられたといい、樹齢は約1300年。幹周り約8m、高さ約40m。


写真5:「大鳥居」。向って右の石碑には「麻賀多神社神輿渡御之地」と刻され、左に「大鳥居」の由緒が記されている。
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