楯縫神社(たてぬいじんじゃ)。同村内の同名の神社と区別して、通称:信太郡惣社楯縫神社、又は信太楯縫神社。
場所:茨城県稲敷郡美浦村信太1830番地。国道125号線「トレセン入口」交差点から南へ約950m、「信太地区公民館入口」という案内板が出ているところで左折(南東へ)、約260m進んで「津田整体院」の角を左折(北へ)、約300mのところで右折(北東へ)、直ぐ。正面の鳥居の右側を通り過ぎると、境内へ自動車が入れる入口があって、その先に駐車スペースあり。
社伝によれば、第12代景行天皇の御代(71~130年?)に創建、霊亀元年(715年)再建という。主祭神は経津主命。常陸国信太郡の式内社「楯縫神社」の論社とされるが、一般に、同じ美浦村郷中に鎮座する「(一宮)楯縫神社」(前項)が比定されており、式内社を紹介する本やウェブサイト等でも触れられていないことが殆ど。ただし、その鎮座する地名でもわかるように、この辺りが古代「信太郡」の中心部であったらしく、「信太郡家(郡衙)」の想定地でもあるとのこと。よって、当神社が式内社「楯縫神社」の後身であっても良く、あるいは、古代に地元の有力者(豪族)によって郡家の守護神として勧請されたということも考えられる。
写真1:「楯縫神社」鳥居。扁額は「信太郡惣社楯縫神社」となっている。
写真2:社殿(拝殿)。なお、当神社は台地の先端にあり、社殿の背後(北側)から急に下がっている。
写真3:社殿(本殿)
場所:茨城県稲敷郡美浦村信太1830番地。国道125号線「トレセン入口」交差点から南へ約950m、「信太地区公民館入口」という案内板が出ているところで左折(南東へ)、約260m進んで「津田整体院」の角を左折(北へ)、約300mのところで右折(北東へ)、直ぐ。正面の鳥居の右側を通り過ぎると、境内へ自動車が入れる入口があって、その先に駐車スペースあり。
社伝によれば、第12代景行天皇の御代(71~130年?)に創建、霊亀元年(715年)再建という。主祭神は経津主命。常陸国信太郡の式内社「楯縫神社」の論社とされるが、一般に、同じ美浦村郷中に鎮座する「(一宮)楯縫神社」(前項)が比定されており、式内社を紹介する本やウェブサイト等でも触れられていないことが殆ど。ただし、その鎮座する地名でもわかるように、この辺りが古代「信太郡」の中心部であったらしく、「信太郡家(郡衙)」の想定地でもあるとのこと。よって、当神社が式内社「楯縫神社」の後身であっても良く、あるいは、古代に地元の有力者(豪族)によって郡家の守護神として勧請されたということも考えられる。
写真1:「楯縫神社」鳥居。扁額は「信太郡惣社楯縫神社」となっている。
写真2:社殿(拝殿)。なお、当神社は台地の先端にあり、社殿の背後(北側)から急に下がっている。
写真3:社殿(本殿)