兜石(かぶといし)。星兜石ともいう。
場所:秋田県横手市金沢字安本館4(「金澤八幡宮」境内)。国道13号線「榊柳」交差点の南、約600mにある押しボタン式信号のところで左折(東~北東へ)、約260mで「金沢公園」・「金澤八幡宮」の入口。そこから道なりに東に進み、約1kmで駐車場。
「金澤八幡宮」は、源義家が後三年合戦(後三年の役)において清原家衡・武衡に戦勝できたのは日頃崇敬する「八幡大神」の加護によるものとして、寛治7年(1093年)、激戦地であった「金澤柵」跡に社殿を建立し、「石清水八幡宮」の神霊を勧請して出羽国の守護神としたものという。江戸時代、久保田(秋田)藩主となった佐竹氏は由緒正しい源氏の嫡流で、八幡信仰があったせいか、当神社を厚く崇敬して「秋田十二社」の1つとした。現在の祭神は、誉田別尊・息長帯姫命・玉依比売命。
「金澤八幡宮」参道途中にある「兜石」は、源義家が凱旋の折に兜を埋め、その上に置いた石であるという。また、その石の傍にある「兜杉」は、清原(藤原)清衡が戦勝記念に植えた杉であるともいわれている。「兜石」自体は、巨石というわけでもなく、形も特別なものでもないが、今でも注連縄が張られ、それ自体が信仰の対象となっているようである。
秋田県神社庁のHPから(金澤八幡宮)
写真1:「金澤八幡宮」鳥居
写真2:同上、社殿
写真3:同上、境内社「兜八幡神社」。「金澤八幡宮」参道途中にあり、源義家・義光兄弟を祀る。
写真4:「兜石」
写真5:「兜杉」。根回り7.45m、目通り5.50m、樹高26m。樹齢約900年といわれる。昭和58年に失火で焼失するまで、横手市天然記念物に指定されていた。
写真6:駐車場にある「納豆発祥の地」石碑。源義家が戦闘糧食として農民に煮大豆を俵に入れたものを差し出させたところ、数日経って糸を引くようになったが、食べてみると意外に美味しかったところから、食用として作られるようになったという説がある。
写真7:「金沢公園」にある「景政(景正)功名塚」。後三年合戦に16歳で初陣し功名を立てた鎌倉権五郎景政(景正)が、源義家の命により敵の屍をこの地に手厚く葬り、弔いのため塚の上に杉を植えた。昭和23年に火災に遭い、杉は幹だけになってしまったが、この塚を中心に「金沢公園」が整備された。
場所:秋田県横手市金沢字安本館4(「金澤八幡宮」境内)。国道13号線「榊柳」交差点の南、約600mにある押しボタン式信号のところで左折(東~北東へ)、約260mで「金沢公園」・「金澤八幡宮」の入口。そこから道なりに東に進み、約1kmで駐車場。
「金澤八幡宮」は、源義家が後三年合戦(後三年の役)において清原家衡・武衡に戦勝できたのは日頃崇敬する「八幡大神」の加護によるものとして、寛治7年(1093年)、激戦地であった「金澤柵」跡に社殿を建立し、「石清水八幡宮」の神霊を勧請して出羽国の守護神としたものという。江戸時代、久保田(秋田)藩主となった佐竹氏は由緒正しい源氏の嫡流で、八幡信仰があったせいか、当神社を厚く崇敬して「秋田十二社」の1つとした。現在の祭神は、誉田別尊・息長帯姫命・玉依比売命。
「金澤八幡宮」参道途中にある「兜石」は、源義家が凱旋の折に兜を埋め、その上に置いた石であるという。また、その石の傍にある「兜杉」は、清原(藤原)清衡が戦勝記念に植えた杉であるともいわれている。「兜石」自体は、巨石というわけでもなく、形も特別なものでもないが、今でも注連縄が張られ、それ自体が信仰の対象となっているようである。
秋田県神社庁のHPから(金澤八幡宮)
写真1:「金澤八幡宮」鳥居
写真2:同上、社殿
写真3:同上、境内社「兜八幡神社」。「金澤八幡宮」参道途中にあり、源義家・義光兄弟を祀る。
写真4:「兜石」
写真5:「兜杉」。根回り7.45m、目通り5.50m、樹高26m。樹齢約900年といわれる。昭和58年に失火で焼失するまで、横手市天然記念物に指定されていた。
写真6:駐車場にある「納豆発祥の地」石碑。源義家が戦闘糧食として農民に煮大豆を俵に入れたものを差し出させたところ、数日経って糸を引くようになったが、食べてみると意外に美味しかったところから、食用として作られるようになったという説がある。
写真7:「金沢公園」にある「景政(景正)功名塚」。後三年合戦に16歳で初陣し功名を立てた鎌倉権五郎景政(景正)が、源義家の命により敵の屍をこの地に手厚く葬り、弔いのため塚の上に杉を植えた。昭和23年に火災に遭い、杉は幹だけになってしまったが、この塚を中心に「金沢公園」が整備された。