沓掛ノ大欅(くつかけのおおけやき)。
場所:茨城県坂東市沓掛 843-1。茨城県道20号線(結城坂東線)と同24号線(土浦境線)の「沓掛南」交差点から北西へ約230m、「西村南」交差点を左折(南西へ)、約95m。「アイン薬局 坂東沓掛店」の背後にある。薬局の南側に「神明社」の参道があり、その前に駐車スペースあり。
「沓掛ノ大欅」は、現・坂東市の「神明社」の御神木で、大きさは幹周り約8.5m、樹高約30mというケヤキの巨樹。樹齢は不明だが、一説に約800年という。主幹の中央部が枯死しており、過去の台風により大きな幹が折れて横に伸びているなど、状態は良くないようだが、葉が茂り、今も健在に見える。このケヤキが生えている場所は周囲より一段高くなっているが、これは古墳の墳丘上にあるからだといわれてきた。ただし、その形状は東西約40m・南北約30mの概ね楕円形で、周囲の宅地・農地化により変形しているため、古墳とは断定できない。平成元年に発掘調査が行われたが、古墳時代の遺物は発見されなかった。しかし、周囲は「神明遺跡」という先史時代からの遺跡で、貝塚や石器・土器類が出土しているという。
伝説によれば、神代の昔、利根川上流の住民が移住のため東に向かっていると、遠くに多くの星が落ちるのが見えた。行ってみると、樹木の生い茂る丘があり、前面(南方)には清らかな沼沢地が広がっていたため、そこに定住することにした。ところが、星の毒気に当てられて、樹木はどんどん枯れていってしまった。その中で唯一残ったのが、この大ケヤキだったので、この木を神として祀ったのが現在の「神明社」であるという。現在の祭神は、天疎向津比売命(アマサカルムカツヒメ)。天疎向津比売は、諸説あるが、一般には天照大神の荒魂とされる。当神社では、元は神一般を「神明」として祀ったと思われるが、後に「伊勢神宮」から勧請された神社を「神明社」と称するようになったことにより祭神とされたものと思われる。
写真1:「神明社」鳥居
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写真2:鳥居横の「天然記念物 沓掛の大ケヤキ」石碑(昭和7年に茨城県の天然記念物に指定)
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写真3:「神明社」社殿
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写真4:「神明社」背後の「沓掛ノ大欅」。北西側から見る。
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写真5:同上、根元。
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写真6:同上、南東側から見る。
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写真7:同上、根元。
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写真8:「神明社」社殿背後から見上げる。
場所:茨城県坂東市沓掛 843-1。茨城県道20号線(結城坂東線)と同24号線(土浦境線)の「沓掛南」交差点から北西へ約230m、「西村南」交差点を左折(南西へ)、約95m。「アイン薬局 坂東沓掛店」の背後にある。薬局の南側に「神明社」の参道があり、その前に駐車スペースあり。
「沓掛ノ大欅」は、現・坂東市の「神明社」の御神木で、大きさは幹周り約8.5m、樹高約30mというケヤキの巨樹。樹齢は不明だが、一説に約800年という。主幹の中央部が枯死しており、過去の台風により大きな幹が折れて横に伸びているなど、状態は良くないようだが、葉が茂り、今も健在に見える。このケヤキが生えている場所は周囲より一段高くなっているが、これは古墳の墳丘上にあるからだといわれてきた。ただし、その形状は東西約40m・南北約30mの概ね楕円形で、周囲の宅地・農地化により変形しているため、古墳とは断定できない。平成元年に発掘調査が行われたが、古墳時代の遺物は発見されなかった。しかし、周囲は「神明遺跡」という先史時代からの遺跡で、貝塚や石器・土器類が出土しているという。
伝説によれば、神代の昔、利根川上流の住民が移住のため東に向かっていると、遠くに多くの星が落ちるのが見えた。行ってみると、樹木の生い茂る丘があり、前面(南方)には清らかな沼沢地が広がっていたため、そこに定住することにした。ところが、星の毒気に当てられて、樹木はどんどん枯れていってしまった。その中で唯一残ったのが、この大ケヤキだったので、この木を神として祀ったのが現在の「神明社」であるという。現在の祭神は、天疎向津比売命(アマサカルムカツヒメ)。天疎向津比売は、諸説あるが、一般には天照大神の荒魂とされる。当神社では、元は神一般を「神明」として祀ったと思われるが、後に「伊勢神宮」から勧請された神社を「神明社」と称するようになったことにより祭神とされたものと思われる。
写真1:「神明社」鳥居
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写真2:鳥居横の「天然記念物 沓掛の大ケヤキ」石碑(昭和7年に茨城県の天然記念物に指定)
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写真3:「神明社」社殿
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写真4:「神明社」背後の「沓掛ノ大欅」。北西側から見る。
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写真5:同上、根元。
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写真6:同上、南東側から見る。
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写真7:同上、根元。
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写真8:「神明社」社殿背後から見上げる。
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