常陸国分尼寺跡(ひたちこくぶんにじあと)。
場所:茨城県石岡市若松3-1。「府中小学校」の北側に隣接。小学校北西角のところに入口があり、駐車場もある。
「常陸国分寺」(前項)と同様に、天平13年(741年)、聖武天皇の勅願により各国に建立された国分尼寺(法華滅罪之寺)で、国分(僧)寺の北西約500m(直線距離)の位置にある。発掘調査により「法華」と書かれた土器(土師器)が発見されたことから国分尼寺であることが証明され、寺域は約160m四方、南から一直線上に南大門、中門、金堂、講堂が並ぶ伽藍配置とされる(塔は元からなかったらしい。)。それらの建物の礎石が良く残っており、貴重な遺構となっている。「常陸国分寺」と同じく、天正18年(1590年)に佐竹氏が(常陸)大掾氏の拠点であった「府中城」(旧・「常陸国府」)を攻撃したときに焼失したとされ、その後は廃絶したらしい。「常陸国分寺」とともに昭和27年に国特別史跡に指定され、現在は史跡公園となっている。
茨城県教育委員会のHPから(常陸国分尼寺跡)
石岡市観光協会のHPから(常陸国分尼寺跡)
写真1:入口にある「史蹟地 常陸国分尼寺址」の石碑。右側は「府中小学校」、左に見える建物は「若松尼寺ヶ原公民館」。
写真2:「常陸国分尼寺 法華滅罪之寺跡」の石碑。
写真3:広大な跡地に説明板。
写真4:礎石
場所:茨城県石岡市若松3-1。「府中小学校」の北側に隣接。小学校北西角のところに入口があり、駐車場もある。
「常陸国分寺」(前項)と同様に、天平13年(741年)、聖武天皇の勅願により各国に建立された国分尼寺(法華滅罪之寺)で、国分(僧)寺の北西約500m(直線距離)の位置にある。発掘調査により「法華」と書かれた土器(土師器)が発見されたことから国分尼寺であることが証明され、寺域は約160m四方、南から一直線上に南大門、中門、金堂、講堂が並ぶ伽藍配置とされる(塔は元からなかったらしい。)。それらの建物の礎石が良く残っており、貴重な遺構となっている。「常陸国分寺」と同じく、天正18年(1590年)に佐竹氏が(常陸)大掾氏の拠点であった「府中城」(旧・「常陸国府」)を攻撃したときに焼失したとされ、その後は廃絶したらしい。「常陸国分寺」とともに昭和27年に国特別史跡に指定され、現在は史跡公園となっている。
茨城県教育委員会のHPから(常陸国分尼寺跡)
石岡市観光協会のHPから(常陸国分尼寺跡)
写真1:入口にある「史蹟地 常陸国分尼寺址」の石碑。右側は「府中小学校」、左に見える建物は「若松尼寺ヶ原公民館」。
写真2:「常陸国分尼寺 法華滅罪之寺跡」の石碑。
写真3:広大な跡地に説明板。
写真4:礎石