深奥山 方広萬寿禅寺(じんのうざん ほうこうまんじゅぜんじ)。本尊:釈迦如来。
場所:静岡県浜松市北区引佐町奥山1577-1。県道303号線(新城引佐線)と県道68号線(浜北三ケ日線)の「奥山」交差点から県道68号線を西へ、約600mで参道入口。駐車場あり。拝観料300円。
当寺は臨済宗方広寺派の大本山で、建徳2年(1371年)、無文元選禅師(後醍醐天皇の皇子)が当地の豪族奥山六郎次郎朝藤に招かれ、開山した。末寺約170ヵ寺という巨刹だが、「方広寺」というより、「奥山半僧坊(おくやまはんそうぼう)」として有名。しかし、「奥山半僧坊大権現」は、当寺の別称ではなく、鎮守である。無文禅師が中国から船に乗って帰国する途中で台風に遭い、今にも沈没というときに、禅師が一心に観音経を読んでいると、鼻が高い異人が現れて禅師を無事に送り届けることを誓った。船が無事に博多港に着くと、異人はいったん姿を消したが、禅師が方広寺を開くと再び現れ、禅師の弟子となり、修行しながら禅師の世話を始めた。このとき、禅師から「お前は、既に半分は僧である。」といわれ、以来「半僧坊」と名乗った。禅師が亡くなると、当寺を守ることを誓い、姿を消したという。
「奥山半僧坊大権現」は一般に天狗の1人であると思われている(知切光蔵著「天狗の研究」の大天狗番付では、「秋葉山三尺坊」が東の前頭4枚目、「奥山半僧坊」は同21枚目となっている。)。その姿は、白衣に金色の袈裟を肩に掛けた半僧半俗、木の杖を持ち、身長は一丈余(約3m余)もあり、乱髪に顔は赤く鼻が高いというもの。あたかも猿田彦命のようだとされている。ただ、翼が生えているなどの異形ではなく、必ずしも不思議な技を示したわけでもない。もともと天狗は魔縁といわれるように、人間に仇をなす、あるいは天狗倒しや天狗礫のように人間を脅す、驚かせる性質を持っているはずだが、「秋葉山三尺坊大権現」も「奥山半僧坊大権現」も専ら仏法の守護神であり、随分大人しい。ただ、昭和18年の大火で「秋葉神社上社」は焼失してしまったのに対して、「奥山半僧坊」は明治時代にあった3度の裏山の大火でも、一度も類焼しなかった。今日のように大衆のうちに「奥山半僧坊」の神威が高まったのは、それ以来であるともいう。
臨済宗方広寺派大本山方広寺のHP
写真1:「方広寺」総門
写真2:山門
写真3:「奥山大権現」の扁額のある両部鳥居
写真4:椎河大龍王堂。無文禅師が中国での修行から帰国し、遠江国を行脚していたとき、増水した河が渡れず難儀した。そのとき、龍神が現れ、その身を橋にして禅師を渡した。この龍神は、後に禅師の徳により解脱し、昇天したという。
写真5:七尊菩薩堂。七尊菩薩(富士浅間大菩薩、春日大明神、伊勢大神宮、稲荷大明神、八幡大菩薩、梅宮大明神、北野天満大自在天神)を合祀した鎮守堂で、応永8年(1401年)の建立。県下最古の木造建築物という(国指定重要文化財)。
写真6:奥山半僧坊真堂。椎河大龍王堂、七尊菩薩堂と合わせて、奥山三社という。
写真7:奥山半僧坊真堂の背後に岩が露出している。これは磐座とは違うのだろうが、面白いと思った。
場所:静岡県浜松市北区引佐町奥山1577-1。県道303号線(新城引佐線)と県道68号線(浜北三ケ日線)の「奥山」交差点から県道68号線を西へ、約600mで参道入口。駐車場あり。拝観料300円。
当寺は臨済宗方広寺派の大本山で、建徳2年(1371年)、無文元選禅師(後醍醐天皇の皇子)が当地の豪族奥山六郎次郎朝藤に招かれ、開山した。末寺約170ヵ寺という巨刹だが、「方広寺」というより、「奥山半僧坊(おくやまはんそうぼう)」として有名。しかし、「奥山半僧坊大権現」は、当寺の別称ではなく、鎮守である。無文禅師が中国から船に乗って帰国する途中で台風に遭い、今にも沈没というときに、禅師が一心に観音経を読んでいると、鼻が高い異人が現れて禅師を無事に送り届けることを誓った。船が無事に博多港に着くと、異人はいったん姿を消したが、禅師が方広寺を開くと再び現れ、禅師の弟子となり、修行しながら禅師の世話を始めた。このとき、禅師から「お前は、既に半分は僧である。」といわれ、以来「半僧坊」と名乗った。禅師が亡くなると、当寺を守ることを誓い、姿を消したという。
「奥山半僧坊大権現」は一般に天狗の1人であると思われている(知切光蔵著「天狗の研究」の大天狗番付では、「秋葉山三尺坊」が東の前頭4枚目、「奥山半僧坊」は同21枚目となっている。)。その姿は、白衣に金色の袈裟を肩に掛けた半僧半俗、木の杖を持ち、身長は一丈余(約3m余)もあり、乱髪に顔は赤く鼻が高いというもの。あたかも猿田彦命のようだとされている。ただ、翼が生えているなどの異形ではなく、必ずしも不思議な技を示したわけでもない。もともと天狗は魔縁といわれるように、人間に仇をなす、あるいは天狗倒しや天狗礫のように人間を脅す、驚かせる性質を持っているはずだが、「秋葉山三尺坊大権現」も「奥山半僧坊大権現」も専ら仏法の守護神であり、随分大人しい。ただ、昭和18年の大火で「秋葉神社上社」は焼失してしまったのに対して、「奥山半僧坊」は明治時代にあった3度の裏山の大火でも、一度も類焼しなかった。今日のように大衆のうちに「奥山半僧坊」の神威が高まったのは、それ以来であるともいう。
臨済宗方広寺派大本山方広寺のHP
写真1:「方広寺」総門
写真2:山門
写真3:「奥山大権現」の扁額のある両部鳥居
写真4:椎河大龍王堂。無文禅師が中国での修行から帰国し、遠江国を行脚していたとき、増水した河が渡れず難儀した。そのとき、龍神が現れ、その身を橋にして禅師を渡した。この龍神は、後に禅師の徳により解脱し、昇天したという。
写真5:七尊菩薩堂。七尊菩薩(富士浅間大菩薩、春日大明神、伊勢大神宮、稲荷大明神、八幡大菩薩、梅宮大明神、北野天満大自在天神)を合祀した鎮守堂で、応永8年(1401年)の建立。県下最古の木造建築物という(国指定重要文化財)。
写真6:奥山半僧坊真堂。椎河大龍王堂、七尊菩薩堂と合わせて、奥山三社という。
写真7:奥山半僧坊真堂の背後に岩が露出している。これは磐座とは違うのだろうが、面白いと思った。