真山神社(しんざんじんじゃ)。
場所:秋田県男鹿市北浦真山字水喰沢97。国道101号線から秋田県道55号線(入道崎寒風山線)に入り、入道崎方面に(西へ)向かう。国道・県道の分岐(「牧野」交差点)から約2.8kmのところで左折(南へ。案内看板がある)、約9km。駐車場有り。
社伝によれば、景行天皇の御世(71~130年?)、武内宿禰が北陸北方地方視察の後に男鹿島に立ち寄った際、「湧出山」に登って使命達成・国土安泰・武運長久を祈願するため瓊瓊杵命(ニニギ)、武甕槌命(タケミカヅチ)の2柱を祀ったことが始まりという。その後、貞観年間(859~877年)に、円仁(第3代天台座主、慈覚大師)によって「湧出山」は、北の「真山」(標高565m)、南の「本山」(同715m)に二分され、それぞれ修験の聖地となった。神仏混淆の中、天台宗総本山「比叡山 延暦寺」の守護神である「赤山明神」と習合、南北朝時代に別当寺「真山 遍照院 光飯寺」が天台宗から真言宗に転宗したが、修験霊場としての隆盛は変わらず、近世には秋田藩主・佐竹氏の篤い庇護を受けた。明治に入り、神仏分離によって「真山神社」と改称したという。因みに、「なまはげ」は鬼ではなく、「真山」の神の使いとされ、五穀豊穣・災難除去を祈って行われる「柴灯祭(せどまつり)」は当神社の特異神事となっている。
なお、当神社に隣接する「なまはげ館」には「男鹿真山伝承館」が併設され、いわゆる「なまはげ」習俗を体感できる。それによって、まさに「なまはげ」が鬼ではなく、神の使いであることが実感できるので、機会があれば是非訪問してほしいと思う。
真山神社のHP
秋田県神社庁のHPから(真山神社)
「なまはげ館」のHP
写真1:「真山神社」拝殿。本殿は「真山」山頂にあるとのこと。参拝日にはかなり強い雨が降っており、拝殿周辺のみの訪問となった。
写真2:境内の「薬師堂」。かつての別当寺「光飯寺」の本尊であった薬師如来像などが祀られている。
写真3:同上、内部。
写真4:同じく境内の「歓喜天堂」
写真5:同じく境内の「榧(かや)の木」。根元周囲4m、樹高7m、樹齢約1200年とされ、慈覚大師手植えのものという。ここが「光飯寺」跡らしい。
写真6:秋田といえば「なまはげ」。国道101号線(船川街道)沿い、男鹿半島の入口となる船越水道に架かる男鹿大橋手前の「男鹿総合観光案内所」にある巨大な「なまはげ」像。高さ15m。
場所:秋田県男鹿市北浦真山字水喰沢97。国道101号線から秋田県道55号線(入道崎寒風山線)に入り、入道崎方面に(西へ)向かう。国道・県道の分岐(「牧野」交差点)から約2.8kmのところで左折(南へ。案内看板がある)、約9km。駐車場有り。
社伝によれば、景行天皇の御世(71~130年?)、武内宿禰が北陸北方地方視察の後に男鹿島に立ち寄った際、「湧出山」に登って使命達成・国土安泰・武運長久を祈願するため瓊瓊杵命(ニニギ)、武甕槌命(タケミカヅチ)の2柱を祀ったことが始まりという。その後、貞観年間(859~877年)に、円仁(第3代天台座主、慈覚大師)によって「湧出山」は、北の「真山」(標高565m)、南の「本山」(同715m)に二分され、それぞれ修験の聖地となった。神仏混淆の中、天台宗総本山「比叡山 延暦寺」の守護神である「赤山明神」と習合、南北朝時代に別当寺「真山 遍照院 光飯寺」が天台宗から真言宗に転宗したが、修験霊場としての隆盛は変わらず、近世には秋田藩主・佐竹氏の篤い庇護を受けた。明治に入り、神仏分離によって「真山神社」と改称したという。因みに、「なまはげ」は鬼ではなく、「真山」の神の使いとされ、五穀豊穣・災難除去を祈って行われる「柴灯祭(せどまつり)」は当神社の特異神事となっている。
なお、当神社に隣接する「なまはげ館」には「男鹿真山伝承館」が併設され、いわゆる「なまはげ」習俗を体感できる。それによって、まさに「なまはげ」が鬼ではなく、神の使いであることが実感できるので、機会があれば是非訪問してほしいと思う。
真山神社のHP
秋田県神社庁のHPから(真山神社)
「なまはげ館」のHP
写真1:「真山神社」拝殿。本殿は「真山」山頂にあるとのこと。参拝日にはかなり強い雨が降っており、拝殿周辺のみの訪問となった。
写真2:境内の「薬師堂」。かつての別当寺「光飯寺」の本尊であった薬師如来像などが祀られている。
写真3:同上、内部。
写真4:同じく境内の「歓喜天堂」
写真5:同じく境内の「榧(かや)の木」。根元周囲4m、樹高7m、樹齢約1200年とされ、慈覚大師手植えのものという。ここが「光飯寺」跡らしい。
写真6:秋田といえば「なまはげ」。国道101号線(船川街道)沿い、男鹿半島の入口となる船越水道に架かる男鹿大橋手前の「男鹿総合観光案内所」にある巨大な「なまはげ」像。高さ15m。