権現山古墳(ごんげんやまこふん)。通称:村松権現山古墳。
場所:茨城県那珂郡東海村村松943-1他。茨城県道62号線(常陸那珂港山方線、通称:原研通り)と同284号線(豊岡佐和停車場線、通称:いちょう通り)の「村松」交差点から、284号線を南西に約500m。県道沿いに「素鵞神社」の鳥居と「権現山古墳」の説明板があるところ。駐車場なし。
「(村松)権現山古墳」は全長約87mの前方後円墳で、後円部径約45m・高さ約5.5m(前方部のデータ不明)、東海村では最大、茨城県内でも19番目という大きな古墳である。後円部西側裾部では周壕の痕跡が認められ、出土した円筒埴輪(県下で唯一、格子目タタキがあるもの)などから5世紀中頃の築造と推定されている。主体部は未調査で、当然ながら被葬者は不明であるが、その位置や大きさなどから那賀国造一族の墳墓であろうとされている。東海村指定史跡。なお、後円部墳頂には「素鵞神社」社殿と樹齢約200年という山桜(東海村指定天然記念物)がある。
因みに、当古墳の東側、「東海村 真崎コミュニティセンター」(駐車場有り)の南西側の丘に「真崎古墳群」があり、公園のようになっている。現在8基の古墳が確認されており、前方後方墳や六角墳(?!)とされるものもあるという。
茨城県のHPから(権現山古墳)
写真1:「素鵞神社」鳥居と「権現山古墳」説明板。古墳は南東向きで、こちらは後円部の西端辺り。
写真2:後円部西側。古墳の形に沿って道路が巡っている。
写真3:前方部西側からみる。括れがわかる。
写真4:前方部東側からみる。方形の形(かなり削られているようだが、それでも結構大きい。)と括れがわかる。
写真5:後円部東側から前方部を見る。
写真6:後円部墳頂。「素鵞神社」社殿と山桜の大樹がある。
写真7:後円部墳頂から前方部へ少し下りる。
写真8:前方部の尾根
写真9:前方部墳頂
場所:茨城県那珂郡東海村村松943-1他。茨城県道62号線(常陸那珂港山方線、通称:原研通り)と同284号線(豊岡佐和停車場線、通称:いちょう通り)の「村松」交差点から、284号線を南西に約500m。県道沿いに「素鵞神社」の鳥居と「権現山古墳」の説明板があるところ。駐車場なし。
「(村松)権現山古墳」は全長約87mの前方後円墳で、後円部径約45m・高さ約5.5m(前方部のデータ不明)、東海村では最大、茨城県内でも19番目という大きな古墳である。後円部西側裾部では周壕の痕跡が認められ、出土した円筒埴輪(県下で唯一、格子目タタキがあるもの)などから5世紀中頃の築造と推定されている。主体部は未調査で、当然ながら被葬者は不明であるが、その位置や大きさなどから那賀国造一族の墳墓であろうとされている。東海村指定史跡。なお、後円部墳頂には「素鵞神社」社殿と樹齢約200年という山桜(東海村指定天然記念物)がある。
因みに、当古墳の東側、「東海村 真崎コミュニティセンター」(駐車場有り)の南西側の丘に「真崎古墳群」があり、公園のようになっている。現在8基の古墳が確認されており、前方後方墳や六角墳(?!)とされるものもあるという。
茨城県のHPから(権現山古墳)
写真1:「素鵞神社」鳥居と「権現山古墳」説明板。古墳は南東向きで、こちらは後円部の西端辺り。
写真2:後円部西側。古墳の形に沿って道路が巡っている。
写真3:前方部西側からみる。括れがわかる。
写真4:前方部東側からみる。方形の形(かなり削られているようだが、それでも結構大きい。)と括れがわかる。
写真5:後円部東側から前方部を見る。
写真6:後円部墳頂。「素鵞神社」社殿と山桜の大樹がある。
写真7:後円部墳頂から前方部へ少し下りる。
写真8:前方部の尾根
写真9:前方部墳頂