御船神社(みふねじんじゃ)。通称:おみふね様。
場所:茨城県行方市蔵川495-2。茨城県道185号線(繁昌潮来線)沿いの「行方警察署麻生東派出所」(向かい側に「麻生蔵川簡易郵便局」がある。)から北西へ約500mの押ボタン式信号のところを左折(南西へ)、約270mで左折(東へ)、直ぐ。狭いが、駐車スペースあり。ただし、県道から先は自動車1台分の幅の上り坂で、結構怖い。あるいは、派出所の南、約100mの信号のある交差点から西へ約300m進んで、右折(北へ)すると「麻生東小学校」正門があるので、その手前辺りで駐車させていただき、校門の左手の未舗装路を北へ約300m進む方が安全かもしれない(なお、この未舗装路も自動車通行は可能。)。
社伝によれば、景行天皇28年、日本武尊が東国を平定中に船で当地に上陸し、 ここから騎乗して征旅を進めた。 大同2年(807年)、村人が船の接岸地に石祠を建てて聖地として永く保存すると共に、栗毛の駒を得られたところに駒形神社を祀り、騎馬群の勢揃いした場所に日本武尊を祀る神殿を設けて、船に因み「御船神社」と名付けた。なお、この船は岩と化して、北浦の水中に今もあるという。明治14年、村社に列格。祭神は日本武尊。
伝承によれば、日本武尊の乗ってきた船が化石化した場所の近くに「御井戸(おえど)」という聖地があった。それは、日本武尊が船から降り、静かな水面に顔を写して、髪を梳った場所と言い伝えられ、周囲を茅や芦に囲まれた広さ1坪・深さ2m程の溜池だった。近くに直径2m程の榛(ハシバミ)の木があり、その根元に石祠が東面して建てられていた。しかし、近代の圃場整備で「御井戸」は無くなり、石祠は当神社境内に遷された。「駒形神社」は、元は現・真言宗豊山派「蔵川山 宝泉寺」(行方市蔵川438)の右手寄りの高台近くにあった小祠で、土器の馬2頭が祀られていた。その前を農耕馬が通ると、馬が驚き騒ぐので、当神社の境内社として遷した(かつては「宝泉寺」から当神社に至る小径があったが、今は絶えているという。)。日本武尊が乗った馬が栗毛だったので、当地では栗毛の馬は飼わなかった。そして、「駒形神社」に、藁つとに飼料を入れて捧げると、腫物が治るという御利益があった。これは、馬が腫物(クサ)を食べてくれるという意味だったらしい。現在、「駒形神社」のほか、境内社として「姫宮神社(祭神:大橘比売)」、「稲荷神社」がある。因みに、当神社の西側には古墳数基があり、鳥居付近からも土器・刀片・勾玉などが出土したとされるので、往古から祭祀の地であったかもしれない。
さて、当神社の特殊神事として「ナーバ(苗束)流し」(毎年5月24日)がある。神田の田植えの際、麦藁で大きな男根と女陰を作り、笹竹を2本立てて注連縄を張ったところに吊り下げる。それが風で揺れると、麦藁の男根と女陰が離合するので、これを生殖の様に見立てて、五穀豊穣・子孫繁栄を願うものとされる。伝承では、当神社の御神体は舟型の黒い石と白い石剣であるとのことで、これが「ナーバ流し」と関係があるかもしれないという。
「神社探訪・狛犬見聞録」HPより(御船神社):「ナーバ流し」の画像もあり。
写真1:「御船神社」参道、社号標
写真2:鳥居
写真3:拝殿
写真4:本殿。覆いが掛けられ、外から見えない。
写真5:境内社
写真6:石祠など
場所:茨城県行方市蔵川495-2。茨城県道185号線(繁昌潮来線)沿いの「行方警察署麻生東派出所」(向かい側に「麻生蔵川簡易郵便局」がある。)から北西へ約500mの押ボタン式信号のところを左折(南西へ)、約270mで左折(東へ)、直ぐ。狭いが、駐車スペースあり。ただし、県道から先は自動車1台分の幅の上り坂で、結構怖い。あるいは、派出所の南、約100mの信号のある交差点から西へ約300m進んで、右折(北へ)すると「麻生東小学校」正門があるので、その手前辺りで駐車させていただき、校門の左手の未舗装路を北へ約300m進む方が安全かもしれない(なお、この未舗装路も自動車通行は可能。)。
社伝によれば、景行天皇28年、日本武尊が東国を平定中に船で当地に上陸し、 ここから騎乗して征旅を進めた。 大同2年(807年)、村人が船の接岸地に石祠を建てて聖地として永く保存すると共に、栗毛の駒を得られたところに駒形神社を祀り、騎馬群の勢揃いした場所に日本武尊を祀る神殿を設けて、船に因み「御船神社」と名付けた。なお、この船は岩と化して、北浦の水中に今もあるという。明治14年、村社に列格。祭神は日本武尊。
伝承によれば、日本武尊の乗ってきた船が化石化した場所の近くに「御井戸(おえど)」という聖地があった。それは、日本武尊が船から降り、静かな水面に顔を写して、髪を梳った場所と言い伝えられ、周囲を茅や芦に囲まれた広さ1坪・深さ2m程の溜池だった。近くに直径2m程の榛(ハシバミ)の木があり、その根元に石祠が東面して建てられていた。しかし、近代の圃場整備で「御井戸」は無くなり、石祠は当神社境内に遷された。「駒形神社」は、元は現・真言宗豊山派「蔵川山 宝泉寺」(行方市蔵川438)の右手寄りの高台近くにあった小祠で、土器の馬2頭が祀られていた。その前を農耕馬が通ると、馬が驚き騒ぐので、当神社の境内社として遷した(かつては「宝泉寺」から当神社に至る小径があったが、今は絶えているという。)。日本武尊が乗った馬が栗毛だったので、当地では栗毛の馬は飼わなかった。そして、「駒形神社」に、藁つとに飼料を入れて捧げると、腫物が治るという御利益があった。これは、馬が腫物(クサ)を食べてくれるという意味だったらしい。現在、「駒形神社」のほか、境内社として「姫宮神社(祭神:大橘比売)」、「稲荷神社」がある。因みに、当神社の西側には古墳数基があり、鳥居付近からも土器・刀片・勾玉などが出土したとされるので、往古から祭祀の地であったかもしれない。
さて、当神社の特殊神事として「ナーバ(苗束)流し」(毎年5月24日)がある。神田の田植えの際、麦藁で大きな男根と女陰を作り、笹竹を2本立てて注連縄を張ったところに吊り下げる。それが風で揺れると、麦藁の男根と女陰が離合するので、これを生殖の様に見立てて、五穀豊穣・子孫繁栄を願うものとされる。伝承では、当神社の御神体は舟型の黒い石と白い石剣であるとのことで、これが「ナーバ流し」と関係があるかもしれないという。
「神社探訪・狛犬見聞録」HPより(御船神社):「ナーバ流し」の画像もあり。
写真1:「御船神社」参道、社号標
写真2:鳥居
写真3:拝殿
写真4:本殿。覆いが掛けられ、外から見えない。
写真5:境内社
写真6:石祠など