
夏の終わりに女神は現れた。いつものように棋譜並べをしているといつの間にか彼女が盤の向こうに座っていたのだ。中盤の難所で最善手を求めて道を見失いかけていた時、すっと彼女の指が伸びて思わぬ駒を前に進めた。それは棋譜には現れない妙手と言えた。一手の意味をたずねると彼女はゆっくりと棋理の深淵について語り始めた。
「私が見えますか? ついに覚醒しましたね」
ほとんどの時間、彼女はただ座っているだけだった。けれども、ここぞという局面で指が伸びて、斬新な一手を指してくる。(決まって人間には浮かばないような手だ)その一手が私にとってどれだけ衝撃的だっただろう。暑かった夏は終わり、一雨毎に私は強くなっていくことを感じた。並の棋士と比べ私は一手深く読める(みえる)ようになっていた。十分な成長を実感すると独りの時間を取り戻したくなった。
「この丼を買っていただけますか」
向こうの世界に戻るためにお金が必要だと言った。謝礼として考えれば納得がいく。私はどこにでもありそうな丼に50万円を払うことになった。
「困った時には触れてください」
丼を残して彼女は盤の前から消えた。
これで荷物がまた1つ増えた。対局の朝、私の鞄は並の棋士よりも少し膨らんでいることだろう。だが、女神のくれた丼を取り出すことはそうないはずだ。あくまでそれは保険のようなものだった。切り札が近くにあると思えれば、心置きなく指し続けることができるではないか。心の安定は将棋の芯を強くする。
トーナメントを勝ち上がり、私は順調に決勝戦に駒を進めた。私の何が変わったのか、その秘密を知る者はいない。私にあるのはただ一手の自信だった。切り札を取り出すまでもなく、私は優勝カップと賞金300円を手にした。
「おめでとうございます! 勝ちを確信したのは、どの辺りだったでしょうか?」
「そうですね。馬を引いた手が詰めろになるので、一手勝ちなのかなと思いました」
「優勝賞金の300円はどのように使われますか?」
「そうですね。コーヒーでも飲んで、考えようかなと思います」
「そうですか。どうぞゆっくりとお考えになってください」
今日の勝利に浮かれている時間はない。私にみえている世界は、決して安泰とは言えない。女神は私の前から消えたにすぎない。
ならば今はどこに?
私に葬られた棋士の前に現れて、そっと指を伸ばしているのかもしれない。一手の強み。それはミルクのように儚いものではないか。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます