7月28日(月) 昨日の続き
横浜に来た当時、この球場をカタカナ名前で呼ばれていた記憶があり、調べてみました。
1929(S4)年「横浜公園球場」誕生⇒1945(S20)年終戦後、駐留軍に接収され「ゲーリック球場」と命名⇒1952(S27)年接収解除で改修し1955(S30)年「横浜公園平和球場」と改名⇒1978(S53)年老朽化に伴い建替え「横浜スタジアム」竣工 カタカナ名前の意味判明
ちなみに、接収中の1948(S23)8月17日プロ野球初のナイター(巨人:中日戦)が開催され、8月17日を現在も「プロ野球ナイター記念日」とされています。
気になった選手
東海大相模 大田 泰示 選手 背番号 6
試合は4回彼のホームランで始まり、13回マウンドに立ちホームランを打たれて終わりました。
慶応 普久原 裕輔 選手 背番号 15
1塁コーチャーズボックスに立つメタボ体格で仕草もオッサンくさい選手発見
同点に追着いた9回表、コーチャーズボックスから消えたと思ったら代打で登場、ヒットを打ってピンチランナーと交代。
投打の花形選手、1打にかけて結果を出した選手、どちらも思い出深い夏になったことでしょう。