11月11日(木)
4月の開放日に「庭園茶室ツアー」ボランティアによる解説に参加し庭を散策、しかも参加者に限り二棟の茶室は内部まで見学したのに誤って消去してしまったのか?茶室の写真が一枚もありせんでした、秋の庭園を見ながら写真をもう一度と '東京国立博物館'へやって来ました。
玄関左の'ゆりの木'(木蓮科)も綺麗に黄葉、
玄関左の桜も庭園も
京都御所内の九条邸にあったものを東京赤坂の九条邸に移し、1934(S9)年九条家から寄贈され移築された。
尾張国(現在の愛知県大治町)天台宗寺院明眼院の書院として1742(寛保2)年に建てられ、益田孝(鈍翁・1848~1938)の東京品川邸内に移築、1933(S8)年寄贈され移築された。
1784(天明4年)円山応挙(まるやまおうきょ1733~1795)が明眼院に眼病で滞留していた際に揮亳したものであると伝えられ、床張付に老松と石と竹・腰障子に稚松と石と竹を描かれている。 作品保護のため複製画
17世紀中頃(慶安年間)に奈良の興福寺慈眼院に建てられた。興福寺大乗院内にあり良国立博物館に移された八窓庵、東大寺塔頭四聖房の隠岐録(おきろく)とともに大和の三茶室といわれ。1875(M8)年博物館が購入、解体輸送中に伊豆で船が難破したが幸い材は流失をまぬがれ当館に移築、第二次大戦中再び解体され疎開し1947(S22)年数寄屋の名工木村清兵衛により再建された。
小堀遠州(こぼりえんしゅう1579~1647)が京都伏見の六地蔵に建てた茶室で、その後大原寂光寺に移築され1963(S38)年当館に茶入とともに当館に寄贈され移築された。
江戸時代 河村瑞賢(かわむらずいけん1618~1699)が摂津淀川改修工事の際に建てた休憩所で、その後大阪へさらに原三渓(1863~1939)により横浜の三渓園に移され、1937(S12)年に埼玉県所沢市にある松永安左エ門(耳庵・1875~1971)の柳瀬荘内に移築され、1948(S23)年に寄贈され1959(S34)年に移築された。
説明を聞きながらの1時間ちょっと慌ただしかったけど、ボランティアの江口・五十嵐・眞鍋・益田・須藤・木内さんありがとうございました、楽しかったです。
公園内では色んなパフォーマンスやっています、休日だと沢山出てるそうです。
御徒町駅前の'ファミリーデパート吉池本店'でカミサンの土産に'舟和'のあんこ玉(なぜかここには黒だけのパック入りがあるのです)を買って帰ります。 テクテク歩いて19,500歩でした。
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