「家」 @ 鎌倉七里ガ浜 + 時々八ヶ岳

湘南七里ガ浜(七里ヶ浜とも)から発信。自分の生活をダラダラと書きとめるブログ。食べ物、飲み物、犬の話題が多い。

クルマが故障して、クルマの「ブランド」ということについての会話を思い出す@七里ガ浜

2009-09-24 16:38:34 | クルマ


今日も平和な七里ガ浜の坂道。数々のTVドラマやCMで登場したこの坂道。七里ガ浜の住宅街も平和。良い天気。気温も高い。緑のプロムナードという名前の遊歩道もなんだかポワワァ~~ン。愛車は故障でディーラーさんのガレージ入りである。今日は歩くしかない。愛車が駐車場にないということは、なんとなく寂しい。



愛車を買ってから2年半になる。構造的な故障はまったく経験しておらず、助かっている。しかし今回もそうだが、何度も同じところが故障する。それがなんともつまらない箇所なのだ。

私はこれまでに11台のクルマに乗った。そのうち7台は国産車で、4台は外国車である。4台の外国車の国籍というかブランドとしての原産地は「独・米・独・英」である。最近は自動車会社の国籍がなんだかよくわからなくまっているが。マツダは米国資本が入り、日産はフランス資本が入る。ロールスロイス、ボルボ、アストン・マーティン・・・。皆国際的な業界再編の波に飲み込まれ翻弄されて、本来の生産国とは異なる資本の傘下にいる。

今回のつまらない、本当になんともつまらない故障を含め、数少ない自分の11台の経験を経て思うのは、日本車は小さな工夫が得意であるということだ。日本人はあれこれ小さな工業的技術の工夫の集大成のようなクルマを器用に作る。一方、細部を見ると外国車は荒いと思う。だから外国車はつまらないところがしばしば故障する。



あるクルマ好きな英国人と会話していた時のことだ。彼は日本の事情もよく知る。彼の愛車はなんとエスティマだ。彼によれば、日本や米国のクルマは工業製品としては立派だとしても、確立されたブランドとして残りえないらしい。ティファニーなんてブランドをヨーロッパ人が無視するのと同じだと言う。彼が例を挙げて説明してくれた。以下はその彼の説明だ:

仮に30年前に死んだあるドイツ人がいたとする。そのドイツ人はこの30年間に起こったことを何も知らない。彼は30年前の当時に最新型だったメルセデスを見て死んだ。彼をいきなり現代に生き返らせることが出来たとしよう。30年ぶりに目覚めた彼に、最も古典的メルセデスからはかけ離れた現代のメルセデスの最新最小のA型モデルからエンブレム取ってしまい、それを見せてみて「これなぁ~に?」と聞いたとする。彼は間違いなく即座に「そりゃ、メルセデスさ」と答えるだろう。同じことはBMWでも出来る。英国ならジャガーでも出来る。皆30年前と同様、まぎれもなくそれぞれの顔をしているからさ。それが「ブランド」ということだ。

トヨタ最高級ブランドのレクサスの先代セルシオが生まれたのは20年ほど前だ。そのたかが20年前に死んだ日本人を現代に蘇らせて、今のレクサス最新型を見せて「これ何だ?」と聞いたら「セルシオだ」と言うかな?おそらくわからないのではないか。間違って「シーマ」と言うかもしれない。トヨタはお雇い外国人デザイナーを次々と採用し、その時その時の世界の流行を凝縮した最大公約数のようなクルマを作って来た。そしてそれは売れる。でもそれでは自己のブランドを確立出来ないだろう。



英国人の話は続く・・・

トヨタはクルマ作りが上手だ。レクサスは工業製品としては一級品だ。しかし芸術品としてはどうか。レクサス最高級車種の価格はイタリアのマセラッティ・グランツーリスモの価格とほぼ同じだ。でも前者は工業製品。後者は芸術品だ。「工業製品で何が悪い」とあなたは言うかもしれない。でも、レクサスが米国や新興国では非常によく売れているが、ヨーロッパで売れない理由のひとつはそこにある。10万ドルを超えるクルマは、単なる工業製品では価格相応の役が務まらない。

ロンドンであの黒くて背が高くて中が広い前後向き合って座るタクシーに乗った時、「あっ、これは馬車だ」と思うだろう。100年前はそうだったわけだ。斯様に自己のブランドの確立は簡単なことではなく、歴史の踏襲が必要で、レクサスの「お雇い外人によるその時その時の最新ファッション最大公約数」的作り方ではそれは出来ない。現代技術を尽くした最新のビル建築が古い教会に勝てないのと同じだよ。
【ある英国人の長い話は終わり】



悪かったなぁ。そりゃあマセラッティは芸術品でしょう。ベネチアやフィレンツェの世界でしょう。しかし確かに上のロゴ・マークのモーガンなんて会社は「伝統」の塊のようだ。立派なものである。こういうモノが生き続けることが出来るお国柄というものが羨ましい。モーガンをご存じない人は同社のウェブサイトをどうぞ。彼の国はこういうクルマを作る人がいて、買う人がいるのだ。

http://www.morgan-motor.co.uk



例えば2005年まで作られていたこのクルマの内装(↑の画像)。英国車であることが一目でわかる雰囲気だ。私はウッドとレザーの問題を言うのじゃない。それも伝統だが、私が指摘したいのはインパネが立っていることだ。

現代ならウッドを使ってなんでもアリだ。ウッドをグニャッと曲げることだって出来る。しかしウッドを使った内装は昔はそうは行かなかった。簡単にはウッドは曲がらなかったからだ。だから何でも丸っこい内装が流行の現在に、この直立したインパネをわざわざ作ることは、これが英国車であることを古いイメージを利用して意図的に主張しているわけである。



じゃあ、いつまでもそうなのだろうか。ひょっとして、それって非英国人による勝手な英国イメージ? 他国資本の傘下に下った英国ブランドを利用する出資者のダンナたる外国人が持つ英国イメージなのか・・・。どうもそのようである。

どんな国も変わる。「modernな英国」として英国人自身がイメージしたいのはむしろこんなのらしい。ベントレーだ。同ブランドの最新モデルはこちらだ。



これを見ていやだーー!と思う私は外国人なのだろう。英国も変わる。英国車には昔の英国車らしさを外国人は望むのだろうが、英国人は新しいブランディングを望んでいるらしい。前述の英国人のコメントとは相反する新しい英国車を英国人自身が作り始めている。

自動車業界の再編に翻弄された英国車。しかし翻弄されながらもそれぞれの外国資本の傘下でブランドとして残るところが、英国ブランドのスゴイところだ。サントリーが買収したシングル・モルト・ディスティラリーのようなものか。買収した側も、大事な銘柄としてその「ブランド」を温存する。トヨタがもしどこかに買収されたらそうは行かないだろう。その生産力や販売網はおおいに利用されるかもしれないが。



インド資本となったこれ。道具があれば砂漠でも自分で修理出来る国連軍御用達のこのブランド。当然ながら王室もこれが大好き。クイーンもこれでカントリーサイドにお出掛けになるらしい。さて、このブランドはどうなるのか。それが今の私の疑問だ。エネルギー価格高騰の世の中ではこのブランドは分が悪い。日本では輸入停止の可能性もあると言う。もしそうなら誠に残念である。
コメント (14)
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