さあ、街道をゆくよ。
こんな普通の道を。
朝夷奈の切通へ向かうのだ。
あとでこの画像の下(↑)にある飯塚板金の前を通るよ。
これぞ街道をゆく! by 司馬遼太郎だ。
司馬遼太郎先生の文体を真似てみましょう・・・
・・・私はここで大きな道を逸れて、西へ。
このあたりは「切通」と呼ぶにはまだあまりに開けた土地である。
右手に、大きな木が鎮座している。御神木だろうか。
私は縄を見ていた・・・(ちょっとだけ、司馬遼太郎風)。
この大木はトウヒだろうか。
否。モミではないのか。
この木を見ているだけで、中世の道に迷い込んだ如き錯覚に襲われる・・・(ますます司馬遼太郎風💗)。
ふざけていると司馬遼太郎先生に叱られる。
こちらが先ほど申し上げた飯塚板金。
自動車ではなく、住宅の板金だ。
屋根とか樋とか。
朝夷奈の切通の説明はこちらだ。
この鉄工所を最後に、この先しばらく建物はないよ。
あとはずっと切通に向かうだけだ。
では、音楽を。
カラヤン指揮のBPOで、ドボルザーク作曲交響曲第9番、第四楽章をどうぞ♪
東欧的な音楽だよね。
山の中をこれから歩くわけで、音楽的にはせめてこれくらい熱情的なものを聴かないといけない。
いきなりここからいにしえの六浦道(路)的になる。
古来からの道。
東京湾側の六浦(横浜市金沢区)から、三浦半島を横切り相模灘側の鎌倉に入った道。
遠くから海路を六浦までやって来た物資や、六浦の塩田で作られた塩を、鎌倉へと持ち込んだ道。
鎌倉へ入る七口の一つがこの朝夷奈の切通なのだ。
このあたりから、いきなり空気感が変わるよ。
さっと空気が冷たくなる。
鎌倉時代最大の建造物がこれ(↓)だ。
・・・ウソ。
これは昭和時代の巨大なコンクリート建造物で、横横(横浜横須賀道路)だ。
勝手に、それも朝夷奈の切通の上を、横切るとはけしからん。
私もよくそこを通り抜けてるけど(^^;;
しかもクルマで(^^;;;;
その下をくぐり抜けて、我々夫婦は先人たちにならい、徒歩で鎌倉入りするのだ。
落石注意だ。
もうこのあたりから鎌倉時代にタイムスリップするよ。
これが朝夷奈の切通のうちの、小切通だ。
上を見上げるとこんな状態。
どぉ?
先人の努力を見よ。
ショベルカーもブルドーザーもダンプカーもない時代にこれをやった。
もっとも鎌倉時代以降も、なんども改修や追加的工事があったみたいだが。
横浜市さん、この(↓)の緑の樹脂製フェンスが嫌だー。
どうせここを通るだけで危ないのだから、いっそのこと取り除いてよ。
すごいよねー。これぞ The 切通。
何度も見せちゃうぞぉ。
美しいねえ。
工事開始から、幾度も改修が行われてはいるが800年以上が経過した。
角が取れて丸くなった岩の壁。
これを見て(↓)!!
地層の柔らかいところと固いところがよくわかるでしょう?
上の画像のとおり、柔らかいところは、左右対称に溝のように流れ落ちているから。
地層好きなブラタモリのタモリさんを連れて来たい。これを見せたい。
この興奮を分け合いたい。
鎌倉観光で、寺巡りも面白いんだけど、こんな面白いものはないよ。
だいたい、見ただけで美しいじゃないの。
日本では稀。
人の手がちょっとだけ加わって、でもそのままに何百年の単位で保存されている。
この流れ。
僅かだが水が湧き出て流れている。
ここはまだ登坂で、我々は東京湾側、三浦半島の東側から登って来ているのだから、この水は東京湾へと流れ込むものだ。
水が湧き出てそれが三浦半島の西側、つまり鎌倉に入り相模湾に流れ込むことになる分水嶺はまだ先だ。
それまでは、まだまだ登坂が続く。
落石注意だらけ。だから楽しい場所なのだが。
通らせてくれるだけ、ありがたいと思おう。
あ、やぐらかな?
これ(↓)も古来の道っぽいよねぇ。
また落石注意だ。
ここで一旦、左に曲がる。
熊野神社だ。
源頼朝の勧請で、建造された神社だ。
山奥ゆえ、今でも徒歩でしか行けない。
それにしてはかなり立派な神社であって、その歴史を感じさせる。
朝夷奈の切通は、鎌倉七口のひとつで、最も難関と言われたところ。
そこを護る意味で建造されたらしい神社だ。
そこへ行ってみましょう。
のどかな山道。
木々が伐採されていて、道は明るいが、どころどころぬかるんでいる。
これ(↓)が見えたら右へ。スグですよ。
この先だ。
ほら、あった。
今も徒歩でしか行けない熊野神社。
しかし立派なものだ。
昭和、平成と寄進者はたくさんおられたみたいだ。
あらたに拝殿も建造されている。
とてもしっかりしたものだ。
しかし鳥居や灯篭は相当古い。
角がなくなり、丸い。
いいよねえ。
先にお見せしたのは新しい拝殿であって、本殿は上にある(↓)。
拝殿からは、このように不自然な階段がある。
おそらく拝殿はあとから出来たのでしょう。
この階段(↑)は使えなくなっている。
で、新しい参道はこちら(↓)。
このとおりだ(↓)。
この階段を迂回路のように使うと、本殿に行き着く。
徒歩でしか行けない山奥ゆえ、賽銭の管理まで出来ならしく、賽銭箱はない。
しかしここでいつもの私のお願い。
「カネと健康、カネと健康、カネと健康」
お願いしたら戻る。
お願いが終わった妻はサッサと戻る。
そしてもと来た道をまた上る。
鎌倉目指して、上がるのだ。
そしてまた落石注意。
ここが大切通だ。
なぜかヤンキー座りの妻。
元ヤンキーなのだろうか。
知らなかったが。
深く掘り込まれた切通だ。
恐ろしく深いよ。
重機が何もない時代に、よくぞここまでやったね。
根本には水平に深い穴。
誰がどういう思いで掘ったのか。
やはり寺巡りより面白い。
すごいねぇーー。
切通が巨大なのか、妻が小さいのか。
神奈川懸と書いてある(↓)。
「横濱市」とある。
はい、ここまでが横浜市金沢区なのであります。
ここが東西の分かれ目、分水嶺でもある。
ここまでが上りで、ここからが下りだ。そしてここから先がいよいよ鎌倉だ。
現代の住所区分で言うと、鎌倉市十二所となる。
これ(↓)は何が掘られたもの?
朝夷奈の切通を東から来ると、うっかりすると見落とすのがこれ。
摩崖仏(まがいぶつ)だ。
横浜市側からここへ来た人は、しっかり振り返り、これを確認しましょうね。
もっと拡大して魅せちゃう。
その横には深い穴が掘られている。やぐらという感じではないが。
ここからは鎌倉への下り道となる。
道を造った人への供養塔らしい。
どんどん鎌倉っぽくなるよ。
ちゃんと読み取って来なかったが、南無阿弥陀仏と書いてある。
あちこちから水が染み出て来る。
先ほどまでとは違い分水嶺は通り過ぎている。
三浦半島を西へ進み、やがて相模湾に流れ込む川の始まりだ。
こうやって流れて行く。
そしてやがてこの流れは滑川となり、鎌倉の中心部を流れて由比ヶ浜から海に注ぎ、シラスを育ててシラス漁があって、我々がそのシラスを食べる。
鎌倉の谷の始まりの典型的な風景だ。
鎌倉の谷戸って、どこもジトジト。
でもこれが自然なんですねえ。
鎌倉市の紋章が、ここが鎌倉市十二所であることを主張している。
ズルズルと足を滑らしながら、下る。
流れが勢いをつける。
なんて美しいこのブログ((´∀`*))ヶラヶラ
水量が僅かではあるが、増えて来る。
下って行くよ。
どうです、司馬遼太郎先生的な旅になるでしょ。
こちらは三郎の滝。
朝夷奈の切通を開いたとの伝説がある朝夷奈三郎義秀の名から、三郎の滝。
下の画像で、左が我々が下りて来た道で、そこにさっきからずっと追って来た流れがある。右が三郎の滝だ。
それらがここで合流する。
そして一つの川となる。
そこにさらに、太刀洗水が注ぐ。
梶原景時が太刀を洗ったとされるのがここだ。
梶原景時たって、中村獅童じゃないよ。TVドラマじゃないんだから。
上を見上げると、もう住宅が迫っている。
現代の山越えは、今回我々が歩いた古道よりも高いところにある県道を抜けて来るのだ。
こちらがそれ。画像中央部に一ガードレールが見えている(↓)
その道路の下にはやぐららしきものがいっぱいだね。
今回の連載の中で、最も司馬遼太郎的なストーリーな部分が終了した。
次は鎌倉市のモンタナ州こと、鎌倉市十二所を紹介する。長ぁ~い。
【つづく】