本日のストーリーは、位置的に中心が逗子にあるので、逗子の音楽で。
【Full】 マイベイビー ~好きになればなるほど~ / 逗子三兄弟♪
今日は歩きますよ。

鎌倉の西の果てである七里の自宅を出て、逗子市に入り、そこから横浜市金沢区に移動し、そして鎌倉の中心部に入る。
これから始まるお話は、街道をゆく(三浦半島記)なのである。

司馬遼太郎先生は話をするのに点で解説せず、面で解説する。
三浦半島の根本にある鎌倉の歴史を説明するのに、左右のもっと大きな二つの半島も含めて説明している。

これを読めば、鎌倉殿の13人なんてドラマは視聴しなくて良いくらいだ。
司馬遼太郎先生は鎌倉を訪問するにあたり重要なこととして、以下の3点を強調した。
1.葉山から大磯にかけての海沿いの地域を大雑把に「湘南」と呼ぶが、その中で鎌倉だけは三浦半島の一部という色が濃い。
2.鎌倉の寺や神社やその他をバラバラの観光スポットとして捉え、コース的に便利な順にいくつか見て満足するなんてことではダメ。鎌倉を線や面として捉え、もっと重要なこととしては山や海や川や平地と言った自然の地形全体を俯瞰するように意識して移動しながら、各スポットを理解する努力が必要である。
3.そのためには、JRあるいはクルマでいきなり鎌倉駅その他に入ってそこから観光することを避け、鎌倉の外から、古来からの細い道を使って徒歩で山を上り、そこをやがて下って鎌倉入りせねばならない。

渋い言葉だ。
本当に司馬遼太郎先生はそんなことを言ったのだろうか。。。 (^^::
言ってない。1.は本当だが、2.と3.は怪しい。それもかなり怪しい。私の創作だからだ(笑)
でも本日はその2.と3.を実行に移す。三浦半島を東から西へ横切り、峠を越えて鎌倉入りする。それも徒歩で。
稲村ヶ崎の谷戸に向かう。

これは江ノ電稲村ヶ崎駅に向かう道。

毎日何百人もの人が通ることでしょう。

巨大な土地が売り出されてるよー。

ソフトバンクの携帯電波中継アンテナが立っているので、貸地料が結構入るはずだ。
固定資産税の一部がそれで賄えるよ。
江ノ電稲村ヶ崎駅。

軒は木材。

この屋根工事は何年前だっけ?
鎌倉行が到着。

江ノ電がやがて鎌倉駅に着く。稲村からは、10分ちょっとかな。

江ノ電がぶつからないように、親子ガエルが見守る。

カエルがその役割を果たしているというよりは、この鉄の巨大な車止めがその役目を負っている。
これはラヴィー社(ドイツ企業)の製品。。。って、知ってた?

ラヴィー社のホームぺージはこちらだ(↓)。

とにかく江ノ電の車両は、親子ガエルとドイツ企業により守られている。

鎌倉駅で江ノ電からJRに乗り換える。
そして横須賀線で逗子へ向かいましょう。

結構待たされた。
横須賀線の逗子止まりが来た。その先へ行く人が、逗子で乗り換えるやつ。

しかし我々は逗子駅で下車。

元逗子市民の私としては、たまに来るたびに、懐かしくなる風景が広がる。
逗子駅前と言えば一番有名なのがここだろう。
魚佐治。

鮮魚店だよ。
見ていて、いつも楽しくなる。

これに相当するのものが、我が家の近くに欲しい。
子供の頃に近所にあったような、大きな鮮魚店だ。

いいよなぁ。
イワシだとか、豆アジだとか、いっぱい入れて安く売っている。

東京の人に私の自宅が七里ヶ浜ですなんて言うと「お魚が新鮮でいいですねぇ~」なんていう反応が返って来るが、お魚は東京の方が流通の関係で、早くて多いと思うよ。
私も逗子市民に戻ろうかしら??

魚佐治の店頭をいっぱい見せちゃう。
これを見ていると、逗子に住みたくなる人が多数おられるはず。

JR逗子駅で下車して、自宅に帰る途中ここで魚を購入して、夕食は焼き魚や刺身なんて人は多いのだろうねぇ。

久しぶりの魚佐治店頭。名残惜しいが、先を急ぐ。
私にとってはおなじみの逗子市役所だ。

するとすぐに現れるのが、京浜急行新逗子駅。

こちらから入ると、通路が長いので~す。

あ、羽田空港行き急行が到着した。

その次も羽田空港行き急行、さらにその次も同様。
京浜急行の新しい車両は豪華である。。。座面が。

まるで高級ソファに腰かけたようだ。
分厚い。
しかもなんとも心地いい固さ・柔らかさ。

この快適なソファ付き車両に乗れば、そのまま羽田空港まで行けてしまうのだ。

さらにそのまま羽田から、ハワイに行きたい。。。と思った。
しかし我々は新逗子駅始発でわずか2駅目、六浦駅で降りるのだ。

長い電車が行ってしまった。

京急六浦駅でトイレ。

ここからしばらくはトイレがないからね。
六浦ってのは古い地名だ。「浦」ってくらいだから、海がある場所である。
六浦は「むつうら」と読まれるけれど、六浦道あるいは六浦路と書かれると、たいてい「むつら」と読まれる。

遠浅で良港を持たない鎌倉にとっては、三浦半島を挟みその反対側である東京湾沿いで現在の横浜市金沢区の良港六浦は重要だった。六浦に船で到着した物資や六浦の塩田で作られた塩を、六浦道(路)を通って鎌倉中心部に招き入れた。
京急六浦駅の前はこんなところだ。海岸線は鎌倉時代と比べれば遠い。江戸時代以降はどんどん沖が埋め立てられているし、六浦駅はちょっと内陸にあるから、海辺の雰囲気は京急六浦駅前にはない。

ちょっと行くと三信住宅が現れる。

三信とは三井信託銀行のことで、ここは同行系の三信住宅販売から売り出された住宅地だ。
その住宅地に近づきましょう。坂道だ。

かなりの急坂で、三信住宅地に到着するのは大変だった。
ここがその住宅地だ。

このあたりから住所は東朝比奈になる。もはや六浦ではない。

朝比奈という地名は、これから行く朝夷奈切通しの朝夷奈とは同義。
朝比奈(朝夷奈)とは、家名でもある。同姓で、三郎義秀なんて有名。
まだここは三信住宅の中だ。

大きな橋を渡る。

この橋の下を横横(横浜横須賀道路)が通っている。
残念ながら、せっかく上った三信住宅の土地から、一旦降りなければならない。

さらにまた先で、かなりの登坂になるのだが。
ほら、横横。

こちらが横横。
奇抜なデザインのマンション。

古いマンションもある。水道のタンクを高く置くタイプ。

金沢八景クローバーハイツと云うらしい。

ちょっと八景には遠くないかねぇ?
朝比奈って感じだな。
どんどん下ってしまう。ここまでの上りがもったいない。

やがて三叉路に来る。
右に行くと東京湾方面だ。
左は内陸部へ向かう道。そこを行く。

先にお見せしたところの住所は東朝比奈。
ここからは朝比奈町。どちらも朝比奈(朝夷奈)だが、ちょっと違うのよ。

こちらは昔からここにあるワットマン。

ただし昔は単なる電器店だったが、今はかなり複雑。
中古品いろいろ。
さて、ここは完全に内陸部だ。

ここが朝比奈のバス停である。

鎌倉からここへ来るのには、我々が来たような大変なルートもあるが、JR鎌倉駅から京急バスでここまで一気に来る手もあるよ。
ここも朝比奈町だ。

やっと現れたのが、朝夷奈の切通入口である。

ここからがまた大変。
【つづく】