10月26日、27日で下関で「県スポーツ大会」が実施されました。「国体」が「国スポ」にかわったように「県体」も「県スポ」になりました。内容的には大きな変化はありませんが。今回、3年生が最後の大会という事でした。何一つ強制はしていません。中国大会、IH以後「続ける」も「引退する」も各自の判断に任せていました。やるからには「きちんとやる」という条件を付けてはいましたが。モチベーションの部分もあってどこまでできるか分かりませんでした。それでも最後に3年生が全員「県スポ」に出場することは意味があったのではないかと思っています。
先日から「すべて納得して終わることはできない」という話をしていました。競技をしている全員が「結果」にすべて納得して「笑顔」で終われるかどうかというのは「無理」だと思っています。ドラマは存在しません。上手くいくこともあればいかないこともある。当然の話だと思っています。それでも「やり切った」と思えるかどうか。ここは重要なことだと思っています。9月末から県外に行くことも多くほとんど練習に行くことができていませんでした。それに対して「不満」もあると思います。中国新人、国スポ、U18、県スポと試合が続いたのもあり「強化」という意味での練習が不足している部分もあります。メニューを作ってやり取りはしていましたが、「動きを見てもらいたい」と動画を送ってくれた選手以外には細かいアドバイスはできていません。物理的に無理だったからです。
その中でどうレースをするか。試合に出場するか。難しい部分ではありました。バトン練習に関してはほぼできていません。上述のように様々な試合が続いたのでいつも「誰かがいない」という状況でした。メンバーも代わりながら。田島記念に出場した際もバトン練習は「当日の朝のみ」です。受験などもあって全員がそろわなかったからです。今回の県スポも「火曜日にバトン練習をやる」と決めていましたが、天気が「雨予報」だったのでメニューを切り替えて「ショートスプリントのみ」としていました。が、結局雨は降らず。競技場練習を水曜日にしたのでそこは「専門」のみ。90分で終わらせる。となると試合の前日くらいしかバトンができない。私は前日下関に行かなければいけなかったので見れない。そんな状況で本当にリレーが組めるのか。大きな疑問でした。それでも「リレー」を組むという姿勢は崩さない。選手に任せることになっても対応できるのではないかなと思っていました。
当日の朝も委員の仕事があってほとんど練習は見れませんでした。確認しただけ。個別に足長をどうしたらいいかと聞かれたので状況を確認しながら対応。それがよかったのかどうかですが。
県スポは2日間で実施。スプリント系は予選決勝ですがハードルはタイムレースのみ。うちの100mHには3年生が2人出場しました。一人は「県記録更新」を目標にもう一人は「15秒台」を目標に。良い記録が出ればいいとかではなく「やってきたことを出す」というのが大きな目標だと思っていました。レースは国スポの代表になっている選手が独走。5~6台目で崩れましたが、持ち直す。1週間前にU18を走っています。練習らしい練習はできていません。それでも最後までリズムを保って走る。速報は「13秒83」でした。県記録は「13秒82」です。この日のレースを見ているとタイム的には速報よりも速くなることが多かった。上井も祈る気持ちで待っていましたが結果は「13秒84」でした。県記録更新ならず。追い風0.8m。他の組は1.6mくらい吹いていたのでその風が吹いていたら記録更新していたと思います。本人は涙を流していました。「PB更新」の喜びの涙ではないというのは分かると思います。「届かなかった」という悔しさです。
もう一人はスタートで少し出遅れてしまいました。なんとか粘っていましたが、16秒35で4位。表彰台まであと0.1秒でした。PB更新ですが悔しかったと思います。しかしながらここで最後にレースに出れたというのは大きな意味があると思っています。最後までやり続けることの意味。そこに何があるか。分かりません。そのプロセスの中で何かを感じ取ってくれているのではないかなと思っています。
400mは無難に走って勝っていました。記録的に物足りませんが。それでも練習が足りない中でここまでなんとか最後まで動きが保てたのは大きいかなと。ここ最近のレースで最初から積極的に入るというのが課題としてありました。なかなか克服できません。それでもその時その時にやれることをやり続けて来たというのは大きい。中学の時の実績はほとんどありません。その中で県総体2連覇、国スポの代表になれたことはこの子の努力の結晶だと思います。
100m。2年生と3年生が出場。なんとか2人とも表彰台に上がってもらいたいなと強くなる願っていました。特に3年生の選手はインターハイが終わってから大きな目標が持てないなかでここまでやってきてくれました。リレーを引っ張ってくれた選手です。去年12秒44を出してからこれからという時に膝を痛めてしまって練習もレースもできない。苦しい中でやってきました。PBを更新してもらいたいという強い気持ちがありました。今回のレースもかなりいい感じで走っていたのですが最後の最後に力んでしまいました。95m地点までは間違いなく3位以内入っていました。最後にかわされて4位。本来の走りをさせてあげられなかったのは私自身の責任だと思っています。本当に申し訳ないなと。最後のレースが
それでもこの子が走ってくれないとリレーにはなりません。「リレーを頼む」と背中を押しました。頼りにしてきましたから。
まとまらないですが記録しておきます。全くブログらしくなっていませんが。すみません。