kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

普段の練習

2025-02-05 | 陸上競技

大阪に行くのでそちらのほうがメインになっていた部分はあります。しかし、通常の練習も続けていました。本当に少人数ですがその時その時にできることをやるだけですから。

 

この2週間くらいは「きちんと走る練習をする」というのをテーマに掲げていました。ショートスプリントが中心の選手なので量を追う練習をするわけではなく「できるだけ少ない本数で追い込む」というのを重視していました。

 

スプリント系は「加速段階」の練習に加えてスタブロからの出の練習も。話をしながら昨年の冬季は冬季にスタブロからの出をやっていなかったので感覚が崩れてしまったと話していました。それを克服するために。練習を見ていると一歩目が出てくるけど二歩目が出ないというのがありました。ここに関しては改善していきたいと思います。少し腰が残る部分もあるのでそこの改善もしたい。

 

本人に「やってみたい練習があるか?」と確認すると「バウンディング」だと。加速段階練習の時には入れています。しかし、それだけでは不十分と感じているのかもしれません。確かに「スピードバウンディング」のように前に進むようなバウンディングができていません。さらにその手の練習は苦手です。二歩目が出ないのはそこの部分も影響しているのかもしれないなと思います。2週間の期間中に少しだけ入れました。頻度も考えながら取り入れていきたいと思っています。

 

ハードル。走力がありません。筋力も。だから「無理」というのではなくだから「やる」のです。時間をかけて課題を克服していくための練習をする。まだまだ前半の3台がスムーズに3歩で走れません。ここが本人は気になるので前半の練習が多くなってしまいます。しかし、そこだけを克服したとしても一番の課題である「後半の減速」は改善されません。12月末から1月初めまで色々と重なって練習ができない時期がありました。それにより筋力も落ちてしまい走力も落ちてしまった。何とかして取り返さないといけません。

 

ハードル練習は色々とバリエーションを変えながらやりました。後半のことを考えたら12台ハードルというのも必要だと思っています。しかし、もっと走りながら負荷をかけていきたい。5歩ハードルも何度もやっています。後半にスピードの維持ができなくなるのでここも重要。さらには5歩ハードルと3歩ハードルの組み合わせも。こういうときには1台目までを10歩にしています。できる限り最大スピードを出して走れるようにするためです。目的が「高いスピードを出してインターバルを走る」というのであれば走りながら越えるという部分を強調するべきだと思っています。

 

5歩3歩ハードル。上手くできません。最初は5歩で越えていって途中から距離を短くして3歩にします。通常では出せないスピードで3歩のリズムを経験できます。が、そのスピードに対応できなくて「踏み切れない」というのがありました。走力の部分もあると思いますが、耐えられない部分が大きいなと思いますね。一つの練習パターンを繰り返しやるのも重要だと思います。しかし、自分の弱点になる部分の練習もやっておかなければいけません。特に後半減速してしまう選手は動きが保てないことが要因だったり、抜き足が前まで持ってこれないことが走れない部分につながってきます。手を変え品を変え。ハードルについてやりながらですね。

 

あとは走練習。ここはパターン化しています。60mTと120mT。これはしんどい。ここも時間があるときに触れられたらと思います。

 

で、補強は常にやり続ける。シャフト補強とプラスアルファでやりたいのですが、専門練習や走練習になると時間が微妙に足りなくなります。ここに対してどう対応するかですね。できる限り補強は減らさないようにしています。ここができるかどうかによって大きな差が生まれると思います。走れるようになってきているからといってそちらに振れた練習を増やすのではなく、基礎基本をやりながら身体づくりをする。ここが重要だと思っています。ひたすらやっています。

 

書きたいことがあるのですが時間の関係で。一応「陸上日記」として位置付けているので時々は陸上競技のことについて触れておかなければいけないかなと思います。ざっくりと。

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大阪室内に想う

2025-02-05 | 陸上競技

2025年2月1日に実施された大阪室内。指導させてもらっている選手がA決勝に残り6位に入りました。文字にするとたったこれだけです。

 

多分、多くの人にはわかってもらえない部分があると思います。普段はそれほど前に出るタイプではないですが、こうやって「目に見える成果」を出してくれたことは本人にとって大きな意味があります。中学時代に全国的に無名であっても戦える可能性がある。高校1年生の秋からハードルを始めたとしても全国で入賞できる可能性がある。ヨンパは高校からですがショートハードルは中学時代からあります。多くの選手は中学時代の実績があってそのまま上がってくる。「全中に出ました」というところからスタートするのと「今から始めてみます」では大きな差があったと思います。

 

高校1年生の秋に「ハードルをやる」と言って始めました。元々100mと200mがメイン。が、高校に入って13秒台でしか走れなくなっていました。このころ私はほとんど指導に関わっていませんでした。見守るだけ。時々ハードルの指導をするという感じ。ハードル練習会は実施していたのでそこでは指導をしていましたが。2年生の春になるときに女子の指導をさせてもらうことに。

 

2年生の春先は16秒台。県選手権で15秒0で走り、県総体では14秒54。いきなり14秒台に入りました。始めて半年足らず、スプリントは12秒台に入るか入らないか。ハードリングに関してはかなり良かった。それでも中国大会は過度の緊張から思うような力を出せず14秒63で8位となりインターハイに進めず。せめてU18を狙いたいという話でしたがユースハードルを設定してもらった大会前に足首の故障。ターゲットナンバーに入れず。大阪室内に出たいということで狙っていたのですが、中国新人で14秒41。大阪室内の標準記録が14秒40。届かない。国スポで狙っていたのですが14秒19の追い風2.3。これまたあと一歩届かず

 

3年生の冬季は本気で取り組んでいました。動画を撮ったら必ず送ってくる。不安な部分もあるのだと思いますが。何度も何度も動画で確認をしていました。13秒7を出してIHの決勝を狙うという目標。シーズンインから14秒33。県選手権で14秒14。県総体の決勝でうまく乗れずに14秒45。競り合うレースを経験せずに中国総体。予選で14秒05追い風2.3、準決勝で13秒95追い風2.4。追い風参考ながら13秒台に入って「インターハイで戦う」というのが現実味を帯びてくる。決勝で優勝した選手と競り合いながら7台目を越える。8台目踏切が近くなりリード足でハードルを倒す。転倒こそしませんでしたが大きく崩れて14秒97で8位。目標としていたIHに届かず。どん底だったと思います。立ち直れるのかどうかというレベルだったと思います。

 

中国総体が終わって2日後に自分でハードルを跳ぶようにだけ伝えていました。ハードルにぶつかって跳べなかった部分がトラウマになってしまうと怖いので。私はその場にはつかず。自分でやるようにだけ伝えていました。冷たいかもしれませんが乗り越えるしかないと思っていました。私がどのような声をかけても「現実」は変わらない。そうであれば自分自身と向き合って「次に進むしかない」という部分です。

 

そこから秋に向けて。中国選手権で初めて公認で13秒97。支部新人のオープン参加で13秒96。全日本実業団ではドリームチャレンジとして出場させてもらって13秒91。ここでは日本記録保持者の隣で走らせてもらいまいした。

 

10月の国スポでは13秒92で力は出せたが10番目で決勝進出ならず。U18ではユース規格で13秒73。これは全体の9番目でA決勝に残れず。最後の最後の県スポで13秒84の自己ベスト更新。しかし、県記録が13秒82。ここもあと一歩届かず。全てにおいて「あと少し」でした。ここに関しては「何かが足りないからもう少しが届かない」という話はしました。

 

そんな経緯があっての今回の大阪室内のA決勝です。全ての選手が出場したとはいえないと否定的にとらえる人もいるかもしれません。ここに「大阪室内がある」というのは分かっているので「全国大会」という部分は変わらないと思っています。本人がこの冬に必死になって取り組んできた成果だと思います。

人それぞれ思うことはあると思います。しかし、ここに向けて取り組んできたことは「事実」でしかありません。同じような状況であっても「必死になってやる」ことができない選手もいると思います。「全国で6位に入る」というのはこれまでの経緯から考えると本当に素晴らしいことだと思います。実績ではない。大事なのは「今」だというのが明確になります。「過去」の結果だけではなく「今」に向けてどれだけのことができるのかが重要。やはり「結果」には「経緯」があってそこには明確な「理由」があります。「能力が高い」だけで上手くいくことはない。もちろん、才能あふれる選手は強いと思います。しかし、それをどう生かしていくのかは全くの別問題。「磨くことができるか」どうかです。

 

選手をほめてやってもらいたいなと思います。目標に向かって進んでこれたのは本人の努力と想いだと思います。多くの人に声をかけてもらえるようになったのも。近くで見てこれて本当に良かったなと思います。すでに全日本インカレのB標準は突破しています。A標準が13秒80。「インカレに参加する」のが目的ではないでしょうからもう少し上のレベルを目指して取り組んでもらいたいなと思います。

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大阪室内2025

2025-02-03 | 陸上競技

大阪室内のことを。思うことは色々とありますが、感情的な部分はまた別の記事に。

 

2月1日大阪室内のU20の60mHがありました。奇跡的にこの日に誕生日を迎える選手と一緒「A決勝に残る」というのを目標に冬季練習に取り組んできました。順調に来ているなというのは感じていました。ケガもなく。普通の選手よりも一生懸命にやっている部分もあります。3年生がこういう姿を見せるのは下級生にとって大きな意味があると思います。大学で競技を続けるという気持ちがあるからできるのだと思っています。

 

朝は地下鉄とJRを乗り継いで大阪城ホールへ。ついてすぐに体を動かす。ハードルが跳べる時間は8時から8時半。これも日本選手権とU20で2レーン分。練習ができないというのは仕方ない部分です。下に降りてアップすると60mに出場する選手と重なってアップにならないという判断をしていたので通路を使って基本的なアップ。走る寸前まで準備してから下に降りました。少し動いてスパイクを履いて。そこからショートダッシュをして・・・という感じでした。とにかくレーンが限られているのでさっと入ってさっと走るという感じで。スタブロ練習をやっているので普通に走れるレーンがほぼありません。棒高跳びピットの外側でショートダッシュを繰り返していく。

 

8時少し前になって全レーンが「ハードル配置」を始めたので走れなくなりました。なかなか。本当に大行列になるので普段のハードルのアップとは異なる形で。5歩ハードルを入れたかったのですが時間的に無理。いきなり1台目に。スタンディングで。私は間に合いませんでしたからハードルを倒したりというのができないので手で倒したと言っていました。2回目は10分後くらいだったか。これはスタブロから。2台目を倒そうとしたら「倒せません」と言われました。時間の省略なのかもしれません。が、めちゃくちゃ危ない。「倒せません」と言われたので諦める。「ガシャーン」と手で倒していました。他のレーンも同様だったので何台かハードルが壊れていました。仕方ないのかもしれませんが。さらに10分後くらいに3台目まで。話ができていなかったのでジェスチャーで伝達。珍しく2台目の着地で潰れました。いつもと感覚が違うのだと思います。

 

不安が残る状態でしたがこれから並んでも絶対にハードルは跳べない。空いているレーンに入ってショートダッシュをするほうがいいなと思っていました。本人が「空いているレーンで3歩で走るイメージを作っておく」と申し出てきてそれに合わせました。さらに自分からサッとレーンに入ってもう1本ショートダッシュをして終了。これまでからすると考えられないくらいの行動です。成長。

 

本アップも同様に室内で行って走るときは土のグランドへ移動。最初から「土用のスパイク」を持ってきていました。最大スピードを出せる状況を作り出したいというのがあったので。天気もかなり良かったのでしっかりと走ることができました。

 

レースは1組目。組の中で持ちタイムは3番目です。全体の11番目のランキング。この日上位2名が欠場していたので純粋なランキングとしては9番目。ギリギリ。スタートまでの時間に少し待たされましたが冷静に動いていました。レースはスタートからまずまずの感じ。隣はランキング1番の選手でしたがそれほど遅れずについていきます。60mはあっという間。気が付いたらフィニッシュです。トップの速報タイムが8秒41。それほど差がない。電光掲示板には8秒53と表示されました。昨年は8秒65までがA決勝に残れています。とはいえ、今年度のレベルの高さは異常。手が震えました。2組目のトップが8秒72。3組目は1着2着が同タイムで8秒52。これでランキングが4位。4組目はトップが8秒44、2着が8秒58、3着がIHチャンピオンで8秒59。これでランキングは5番目。5組目にはランキング5番目、6番目がいます。が、2人だけ可能性は十分。5組目はトップが8秒64。

 

これにより結果的に全体の5番目で念願のA決勝へ。3位までは0.01秒差。表彰台も見えていましたが、一番はずっと目指していた「全国の決勝」という舞台に進むことができました。国スポでは10番目、U18では9番目と「あと少し」で決勝に残れずに悔しい思いをしてきた選手の想いをやっと掬うことができました。意図的に「掬う(すくう)」という言葉を使っています。「救う」ではありません。誰かを助けているわけではありませんから。やっとやっとたどり着いた場所。いつもと同じ感じで関われたらと思っていました。ここにきて今更「やるぞ」「狙うぞ」という雰囲気にするのは違うと思います。まずはA決勝に残った。あとはきちんと走るだけです。

 

しばらく時間が空いてアップ。特に気負うことなく招集所に送り届けました。任務終了。あとは上で見守るだけです。

 

U18の時のB決勝は「選手紹介」はありましたが遠くから映すだけ。その時A決勝ではカメラに映し出されての「選手紹介」でした。今回B決勝では「選手紹介」さえありませんでした。時間の関係だと思いますが。寂しいですね。そういう部分では「A決勝」は誇らしい部分がありました。奇跡的に1~3レーンの並びは「予選1組」と全く同じ並びでした。レース自体は3レーンのランキング1位の選手が飛び出しました。それに少し遅れながらもついていくことができました。これもあっという間の時間でした。フィニッシュ時点でトップとは少し差がありました。着順は6番。タイムは8秒61。予選よりもタイムを落としてしまいましたが「人生初めての全国の決勝」ということを考えると十分だと思います。本当に良く走ったと思います。

 

親しい方々からはすぐに連絡がありました。気にかけてくれてもらったことは本当にありがたいことだと思います。特に倉敷中央のmrsd先生は大会前に「どのような流れで準備するか」についても直接アドバイスをくださいました。本当にありがたいことです。その後直接会って話をすることもできました。感謝しかない。

 

これまでは「記念写真」でしたが今回は「入賞写真」となりました。保護者も来てくださっていたので晴れの舞台の姿をお見せすることができたかなと思います。ここにたどり着くまでに多くの方々の力を借りてきました。今年度になって本当に多くの先生方が選手に声をかけてくれるようになったと思っています。それだけ一生懸命に取り組んでいたのかなと。

 

個人的な感情に関してはまた別に。この日の事実だけを記しておきます。

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大阪へ

2025-02-03 | 陸上競技

1月31日。大阪に向かうことに。

 

前日はセミナーに参加していたので帰宅したのは23時前。分かり切っていた日程ですがなかなかハード。4月当初はこの日に東京に行く予定でした。発表のために。しかしながら大阪室内の標準記録を突破し、ターゲットナンバーに入ったこともあり優先事項は大阪に変更となりました。グチグチ言っていましたが(笑)。

 

少し前から「前日練習」をどうするかを検討していました。大阪城ホールで練習ができるのは午後から。それもハードルを跳ぶのは15時過ぎ。さらに「日本選手権&U20」の選手で1レーン分しか確保できていません。この状態で会場練習をしても意味がないなと思っていました。待ち時間だけが過ぎていって練習ができない。これは困った。色々と調べてみましたが近隣に競技場がない。もっと幅広く調べてみると「園田学園女子」のグランドまで少し足を延ばせばたどり着けることが判明。すぐにfjkw先生に連絡をしました。ありがたいことに使わせていただけることに。その代わりに「ハードル陣の練習を見る」ことになりました。昨年の合宿でも一緒にやっている選手たちなのでこちらも指導しやすい。快諾。

 

9時に新大阪に到着してそこから尼崎へ。何事もなくJRの切符を改札に入れたら「料金が足りません」と出て戻されることに。「周遊券」があるので大丈夫と思っていたのですがよく考えてみると「大阪市内」でした。兵庫の駅で降りているので全くダメなパターンでした。無念。fjkw先生が迎えに来てくださっていたのでグランドまで連れていって頂きました。ありがたい。

 

10時くらいから練習。うちの選手は自分でアップをしていくことに。園田の選手は少しずつドリルの確認をしました。新しいメンバーも数人。ドリルから初めて実践的な練習も。暖かいのもありよく身体が動いている感じでした。普段は土の上でやる練習もタータンで。1歩ハードルと1歩3歩ハードルは詰まっている感じがありました。これならもう少し伸ばしてもいいなと。タータンでやるときは微調整が必要になるなと思います。ショートハードルは10歩ハードルと8歩ハードルの組み合わせ。さらに高さを変えながらどうやって1台目までのアプローチを速くするかを考えていきました。大事。3台目まで。意欲的な選手の指導をさせてもらうのは楽しい。ヨンパは歩数を増やしていきながら。最後は17歩のストライドで走る練習に。ここもこの1年間で多くの選手の指導をさせてもらったのでこちらの幅も広がりました。パターンを組み合わせながらヨンパの練習ができます。こういう機会ももっと色々とできるといいなと思っています。ヨンパの選手の中には教え子と同級生の選手も。ありがたいことです。

 

 

うちの選手は自分のペースで試合のアップから実践的な練習へ。普段より少し多めにやった感じがあります。かなり暖かかったのでスピードも出やすい。気持ちよく走れていたのではないかなと思います。私が大学生の指導をしていると「先生!」と声を出して手を挙げています。「今から行くから見ろ」というアピールです。こういう意味でもめちゃくちゃ成長しています。最初はほとんど会話もない中で練習をしていました。人見知りというのもあったので。自分が結果を出したいというのもあるので「何をするべきか」を判断できるようになっているのだと思います。良い感じに走れていたと思います。

そのままfkw先生にラーメンを食べに連れていってもらいました。濃口醤油ラーメン。fjkw先生もラーメン好きです。前回来た時には2軒一緒に回りました(笑)。おいしいラーメンでした。

 

 

大阪城ホールへの移動もfjkw先生に連れていってもらうことに。何から何までありがたい。三段跳びと棒高跳びの選手も一緒に。道具を運ぶついでにということで。後々気づいたのですが「連れていってもらう」ことで道を覚えないという最大の問題点がありました。これまでの大阪もほとんど誰かについていくだけ。または大阪城ホールの近くの京橋に泊まるという感じだったので覚えなくても問題ありませんでした。

 

14時30分くらいに大阪城ホールに到着。観客席に荷物だけ置きに行く。いつ見ても混雑しています。この写真はかなり少ない状況です。多分これから人が増えていったと思うので。ハードルがないですしスタブロ練習もしていないので問題ないかなという人数。増えすぎていたら待ち時間が長くなるのでアップになりません。

一応グランド状況を確認するために下に降りました。シューズで2本程度走って終了。

終わったのでさっさと宿舎に戻ることに。Googleマップで検索をかけると「歩いて30分」くらいと出てきます。谷町四丁目という場所をとっていたのですが「大阪城の向こう側」という距離感でした。距離も2キロ程度。もっと早くたどり着くだろうと思って歩く。スマホ頼りです。が、お堀があってぐるっと回らないとたどり着けません。なんだこれは・・・。歩いて大通りに出た時にすでに気持ちが折れる(笑)。目の前に大阪メトロの駅があったのでそこから1区間地下鉄に乗ることに。

 

地下鉄の駅から出るのに迷う(笑)。出口が多い。格子状に地下鉄が走っているというのを理解していないので全く違う出口(同じ路線沿いの出口)から出ることに。入口たくさんあるのに何でうまく出れないのだ?!と(笑)。田舎者です。さらには食事をとるのに「お肉を食べたい」という要望に応えるために店を探す。まったく見つかりません。結局歩いて行って「堺筋本町」の駅まで。1区間分歩く。お店は「営業中」になっているので見てみると全てのお店のシャッターが閉まっています。なんだこれは?!と思って周辺を探しますが見つかりません。ナビに騙されたのか・・・と言いながら「帰って宿舎の周辺で店を探そう」と「堺筋本町」の地下鉄の駅に入っていくとなんと地下に「飲食店スペース」が存在していました。地下にあったのか・・・。そんなの分からないし。たまたま諦めて地下鉄に乗ろうとしたから分かっただけで下手をしたらそのまま歩いて戻るところでした。

 

最後、宿舎に帰るときも先ほどと同じ失敗をしました。「谷町四丁目」から出るのに「さっきと違う方向から出たら宿舎の目の前の出口に行けるんじゃない?」と思っていったらホテルから一番遠い「NHK」の前から出てしまいました(笑)。今の私なら「いや、中央線じゃなくて御堂筋線で出るんだよ」と教えてあげられるのに(笑)。やはり経験は大事。勉強になります。

 

大会当日は「谷町四丁目」から「森ノ宮」まで地下鉄、そこからJRに乗り換えて「大阪城公園」というルートを設定。歩かずに行けるようにしました。本番ですからそこは抜かりなく。

 

記録しておきます。ほとんど意味の分からない話になっていると思いますが。

 

 

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